NPO法人 ニュースタート事務局関西

6月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2022年5月22日 10:00 AM

6月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

6月18日(土)14時から (279回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】

 

次回のおしかけ鍋の会6月26日に開催します!

By , 2022年5月22日 10:00 AM

6月26日(日)おしかけ鍋の会 12時~16時 第472

場所:カフェコモンズ 

待ち合わせ:11時45分にJR摂津富田駅改札前

参加費:カンパ制

参加資格:鍋会参加前後に定例会に参加していただけたらと思います。

※集まってから手分けをして鍋を作りたいと思います。

もちろん差し入れなども大歓迎です!みんなで集まりましょう。

久しぶりの方も初めての方もぜひご参加ください。

※開催日時などの変更もあるかもしれませんので、参加希望の方は必ず申し込みください。

「名詞化した「ひきこもり」」髙橋淳敏

By , 2022年5月21日 3:00 PM

名詞化した「ひきこもり」

 虐めるという動詞から、「いじめ」という名詞ができた。引きこもりもそうで、90年代の後半に引き篭もるという動詞から「ひきこもり」という名詞が使用される。「不登校」もそうだろう、最初は学校に行かないとか行けないとか登校を拒否するという動詞が、名詞化された。このような単語の生成は、流行であり現代的な出来事である。いったいここで何が起こっているのか。
 「いじめ」という言葉は、「虐める」というそれまでにもよくあったに違いない加害行為より、「いじめられる」被害に重きがおかれる。虐めるという一方的な一つの行為が、「いじめ」という一環の出来事になる。直接的な一つの加害行為を断罪するだけでは「いじめ」という出来事はなくならない。「いじめ」という言葉が使用される以前は、虐める行為だけを取り上げてすんでいたのか、あるいは虐める行為が黙認されてきたのか。前者ならば、虐めることが都度是正されるかして虐められる被害も事なきを得るなんてこともあったかもしれないが、後者ならば虐める行為がただ日常的に黙認されていたことになる。たぶんその両方はあっただろうが、黙認できない「いじめられる」被害が多くなり、しかも虐める側の責任を問いにくいか、いじめる理由が分からないときに、いじめられている被害の実態を表す「いじめ」という言葉はとりあえずは便利であった。虐める行為はなくならない。それどころか同じような「いじめ」被害があると次々に噴出する。「いじめ」という出来事が起こる理由はその関係性だけを見てもよくわからない。直接的に加害を問うても、被害者は救済もされない。どうすれば「いじめ」はなくなるのか。「いじめ」は社会的事柄(問題)になった。「いじめ」という名詞には、虐める人と虐められる人だけではどうしようもない当事者間だけではない問題を含んでいる。似たように引き籠るというそれまでにもあった個別の消極的行為が、その一つの行為をやめたところで、「ひきこもり」はなくなることはなかった。「ひきこもり」という言葉が誕生すると同時に「ひきこもり」は社会問題化したはずであった。それは、「虐める」という動詞や加害行為全部をなくしてしまえば解決するとか、「引きこもる」という動詞や消極的行為全部をなくしてしまえばいい問題であるはずはなかった。「いじめ」も「ひきこもり」も社会の問題であって、いかにすればこの現代に現れた社会問題に私たちが向き合うことができるのか、個別では分からないそのメカニズムはなんなのか、それで「いじめ」や「ひきこもり」は名詞化され固定されたはずだった。だが、この名詞化を経て間もなく、虐められるやつが悪いとか、引きこもるやつが悪いというような、本末転倒が起きる。社会問題化したところで

社会がその問題を受け止めて変わったわけではなく、「いじめ」も「ひきこもり」も解決しないから、すぐに思考停止された。虐められる人は「いじめ」の後も学校に行けなくなり、引きこもる人を「ひきこもり」の後も学校や職場に行かせようとする。名詞化されたことで、最初っからはらんでいた転倒であったが、「いじめ」は個別の問題に還り、引きこもり問題は自己責任化された。社会問題化したときから、20年30年と随分と遠い地点にまで来てしまったが、それを今だからこそ問い返す意味があると私は考えている。虐める行為の加害性を問えずにきて、多くの人が引きこもるという行為を続けざるを得ないその原因は何だったか。私たちが、仕方がないと思ってやり過ごしてしまっているこの日常の中に多くの社会問題がある。「ひきこもり」もそういった問題の現れ方の一つである。

 私たちは引きこもる行為を否定したり批判するのではない。むしろ、引きこもりたいときは引きこもれたらいいし、引きこもる行為を支持し、支援もする。多くの人が勘違いをしているが、引きこもり問題は引きこもる行為が悪かったり、「ひきこもり」といわれる人が能力がなかったり、あるいは病気や障害があって起きている問題ではない。何度でもくどくど言うが、引きこもり問題は社会の問題である。普通に日本社会で生活している人たちが、この問題の当事者であって、その点で現在引きこもっている人たちも当事者ではあるが、それは他の人が引きこもり問題の当事者ではないという話しにはならない。現在引きこもる行為を続けている人は、引きこもり問題に直面している当事者ではあっても、直面しているからこそ、この問題に疲弊し、助けを必要ともしているが一人で向き合うこともできず諦めてしまいがちである。彼らと協力してこの社会的引きこもり問題に取り組んでいくことが、この社会問題を解決していく最もまともなやり方と言える。私たちはそのように考えて、これからの新たな活動をやっていきたい。
 最後に一つ問題提起というか飛躍ではあるが、この加害を問えない体質の根本はどこにあるかと考えるのだが、私は日本が先に起こした戦争や、明治期から西洋近代化した加害性をいまだにちゃんと問うことができていないことに依るところが大きいと考えている。この論考はとても時間がかかるので、すぐには書けないしいつも散らかっているが、いじめやひきこもりの被害の方からではなく、加害として起こるメカニズム、いじめや引きこもり問題における職場や学校や家族など社会の加害性について、今でも多くの人がなぜ無関心でいられるのか疑問である。はっきり言えば、「ひきこもり」は社会の加害を問えないことの問題である。
2022年5月21日 髙橋 淳敏

5月8日鍋会報告

By , 2022年5月10日 12:48 PM

5月8日(日)おしかけ鍋の会開催しました。この日は12名の参加でした。以前から交流のある、子どもの貧困に取り組むCPAOの新しく作っている拠点、若者のシェアハウスとなる場所へ押しかけての鍋の会でした。コロナ禍で全国から何らかの生きにくさで難波に若者が集まってきていることもあり、その場所は難波駅から徒歩10分くらいのビルの一室にありました。一すじ出ると都会の人混みなのですがその場所は静かで明るい場所でした。いつも通り集まってから買い物組と、部屋の中にテーブルを出したり準備する組とで分かれて準備しました。シェアハウスに住むかもしれないという二人の若者も参加してくれてニュースタートのメンバーとみんなでその場が作られていきました。今まで何度も会ったことはあったのだけど聞いたことのなかった話も聞けたりして、とても落ち着いてゆっくりした時間でした。おしかけ鍋の会は私たちにとってはアウェイのはずなのにその方がゆっくりとその場を満喫できる気がします。さあ次はどこにおしかけましょう。(くみこ)

5月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2022年5月4日 1:34 PM

5月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

5月21日(土)14時から (278回定例会)
場所:クロスパル高槻 5階 視聴覚室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】

 

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