NPO法人 ニュースタート事務局関西

「廃墟と化したワンダーランド」髙橋淳敏

By , 2022年7月16日 5:00 PM

廃墟と化したワンダーランド

 錆びついてか動かない古い器具、うるさいだけで面白くない遊具、大した広場やベンチすらなく、辺りはコンクリートやブロックで一面埋め尽くされているが、それが分からないほどにすき間から雑草が生えている。誰もが見たことがあって、想像することができる廃墟と化した施設。かつては、隔離してもらうための高い入場料や使用料を払って、理解しがたいドラマが展開される部屋に詰められたり、変な乗り物に乗せられたりした。それだからか、退廃はしていてもこの奔放な元施設の空気の方が、私にはまだましに思える。3,40年も前の昔話ではあるが、ただの人混みであっても、それは今の空気とは違った。日常的に誰彼となく生まれてくる「活気」や、近所のほとんどの人たちが楽しみに集まった業者に頼まない手作りの夏祭りを、今の子どもたちは知らない。だがこの活気が消えた「空気」なら、子どもたちはよく知っている。経済屋や政治屋たちは、かつてあった「活気」を取り戻そうと、何丁目かの夕日を再現するための古い器具や遊具を指さしては、そこで働けばいいし、気に入らないのなら新調すればいいなんてことを言うけども、子どもたちはこの退廃した「空気」に詳しいので、大人たちの言うことが単なるまやかしであることを、どこか分かって騙されたふりをしている。そもそも活気がないから作りだそうとしている空気に慣れている。いつの時代も大人が入り込むことのできない子どもたちの青春はある。最近の経済屋や政治屋は金のこと以外は考える物差しがなくて、もっと何も考えなくなった。インバウンドやらIRやらを次世代のためと言いながら。望まれてもいない場所に駅を新設し、近隣と競争して消費者をかき集めては、新たな商業地や居住地になる街をでっちあげ、箱物資産価値を捏造している。その昔、施設ばかり立ててその中身が何もないことを箱物行政と呼んでいたが、現在は老朽化や人口減少などを理由に既存箱物を縮小新設し、そうやって作った余剰地も含めた不動産金融業に行政が乗っかっている。誰も夢にも見ていない幻の開発が善い行いかのごとく、しめやかに金が金を産み続ける。いくらお金をもっても、貯金があったとしても、皆が貧しい時代になった。

 なぜにこんな社会になったのか、今に始まったことなのか。2,30年前には「景気」のせいだと言われていた。バブルが崩壊し不景気になったせいで、活気はなくなりみんな「元気」もなくなったと。だから、「景気」さえ良くなれば、また元のように元気を取り戻すことを多くの人が信じていた。戦争直後、もっとも貧しい不景気を乗り越えてきたのだから、必ずや同じように景気はまた自然に回復し、日本経済は元気になるはずだと。多くの人がそのようなドラマを懐かしみ共有したがっていた。今でも、ネット産業や仮想通貨などとは言ってはいるが、基本的には変わっていない。もうそろそろこの

ワンダーランドから抜け出さなくては不味いのではないか。それが間違っていたせいで10年20年と経済は失われ続けて、今は30年か?解放された遊園地のすき間から伸びた雑草のごとく、奔放に生きることもできるが、ここは人が生活する場所ではない。この古き悪き時代を脱出しなくてはならない。では何が間違っていたのか、まずはその順番、景気が悪くなったから元気がなくなったのか、元気がなくなって景気が悪くなったのかについてを正さなくてはならない。当然、後者に理がある。なぜなら、戦争が終わったから人は明日に希望をもてるようになり、子どもがたくさん産まれ、貧しくとも人は元気になり、そして景気は良くなっていったのだったからだ。景気が良くなって人が元気になるというのは嘘である。むしろ、景気が良くなればだんだん元気がなくなっていくというのが、高度経済成長やバブルなんかの歴史が証明しているではないか。大金を手にすれば、アドレナリンが分泌されるようなことは、やがてその大金を守らなくてはならない抑うつに変わるか、投機や博打などの過剰興奮依存へと変わるしかない。それは人が元気を失うことである。バブルは破滅的な遊びであったし、24時間戦えますかなんてテレビCMで言ってたのだから、その時代の大人たちは残りの元気を振り絞って、景気を支えようとしたのだ。

 先進国や新興国なんて言われた国々の多くは、歴史的には一つの到達を経験しているのだろうし、これほどの規模で衣食住に満たされることはかつてなかった。もうパンぐらいであれば、分け与えることもなく、誰かが少しでも働けば、他人からでも一日一人一個くらいは廻ってくる生産や流通がある。それが過剰とも偏向しているともいえるが、物質的に充足した世界はすでにある。私たちは何のために競争するのか、今までの競争は何だったのか、より分からなくなってきている。バブル崩壊前、一億総中産階級と言われ、一つの到達を経験した日本では、関係性の希薄とか人の心が問題になった。物質的には満たされても、人の生の拡充の頭打ちがその時代にはあった。そして希望が無くなってから、だいぶと経つ。私たちが元気がないのは景気のせいではなく、ただ希望がないからではないか?私たちは今一度、経済成長という間違いから学ばなくてはならない。

2022年7月16日 髙橋淳敏
 

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