NPO法人 ニュースタート事務局関西

9月定例会報告

By , 2020年9月21日 9:47 PM

9月19日(土)の定例会は12名(内親御さん6組)参加でした。

冒頭は「元気」について。親世代が本当にやりたかったこととは。経済で世界一になりたかったわけではなかったはず。一人ひとりが幸せだと感じられるような社会にしたかったのではないか。そういうことこそ「気力」の「元」だったのではないか。

皆さんの話では。子どもの意見が出る前に親が決めたことを進めてきてしまい、いつの間にか、何でも相手に合わせてしまう自分の意見を言えないような子になってしまう。「学校に行きたくない」が初めての自己主張だったという話。でもこれは目の前にあるものを拒否しただけで、自分のやりたいことを主張しているわけではない。

例会において毎回のように出てくる重要なポイントでもある「これからは本人が選ぶのを待つ」という言葉。でも親が「待ち」始めた時点で本人は何も選べないのではないか。そもそも小さいときなど子どもが「これがしたい!」と言ってくる時は突然で親は「えっ!ちょっと待ってね考えてみるから。」というような感じで子どもがそれを言葉に出す前にいつから心の中で考え始めたのかなんて知らないものだ。学校をどうするつもりか、人生をどうしていきたいかなんて大事なことを、いつ考え始めるんだろう、いつ言ってくるだろうか、とこちらが子どもの代わりに考えてしまうくらい耳を澄ましている状況。こんな時に子どもは選ぶことなんてできるだろうか。それでは親は一体どうすればいいのか。例えば、子どもの動向に耳を澄まさないでいいように物理的に離れること。そして親自身がどう生きていくのか、何をやっていきたいかに向き合って必死に生活をしていれば、子どもがいつから考え始めるかなんて気にしないでいられるのではないか。子どもが引きこもり立ち止まった時こそ、子どものことを四六時中考えて心を痛めて悩んで自分の人生を犠牲にするのではなく、親は一人の人間としていろんな人に出会い仲間と話しながら一日一日を大切に生きることが大事なのではないかと感じた。その生き様を見てもらうことくらいしか親にできることはないのかもしれない。その際に子どもを家族以外の他人につなげる努力はしていくことも大切だろう。(く)

10月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2020年9月20日 1:54 PM

10月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

10月17日(土)14時から (261回定例会)
場所:高槻市総合市民交流センター(クロスパル高槻) 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】

「お元気ですか?」高橋淳敏

By , 2020年9月20日 1:52 PM

 久しぶりに会った相手に「お元気ですか?」とか、別れ際に「元気でね。」とかは挨拶の定番だが、それは健康ですかとか健康でねと言うのとは少し違う。元気という言葉には、ちゃんと食べたり寝たりしていますかなどの診療言葉でもなく、例えばそのときの気分や幸せですかとか幸せになりなさいよというような意味も含まれているのだろう。「元気」とはなんなのだろうか。職場とか、学校とか、日本社会的で取り繕っているような場面では、その人が元気であるかはあまり気づかないことも多いが、生活を共にしている家族や、あまり取り繕わなくてもいい友達関係のような場面では、その人が元気であるか、前に会った時と違うかは、よく分かることがある。会う直前に財布をなくしてしまうような不運な出来事があって元気がないのか、会っていない長い期間ずっと不安に思うようなことがあり本人も気づかないような元気のなさなのか、その辺を判断するのは難しい。だが、なんか元気がないなとか、妙に元気だなとかは出会う環境にもよって、感じることはできたりはするものだ。その感覚によっては、その時に話しかける内容が大いに変わったりもする。元気かどうかは感覚としか言いようのないことであり、自分の方が元気でなければ相手の変化を勘違いしたり気付くのに時間がかかるようなこともある。昨今のリモート状況(ソーシャルディスタンス)においては、自ら話したり言語化できなければ、その人が元気かどうかは分かりにくいことは多くなるだろう。なのでいろいろと心配にもなる。そもそも元気でもなければ人に助けてと言えないようなこともあるし、自分が元気かどうかなんて自分では分からないようなこともある。

 

 そう、その元気であるとはなんなのだ。先に健康とも違うと書いたが、ご飯も食べられていて、よく寝てもいて、経済的時間的余裕もあって病気でもないけど元気がない人もあれば、貧しくてあまり食べるものなく、体を酷使するような労働もしていて、経済的時間的余裕もあまりないく病気しがちだが、元気なこともある。それは例えば前者は最近の経済で後者は戦後直後の経済に例えられる。アントニオ猪木の元気があればなんでもできる!とは思わないが、むしろベクトルが逆で、「できることがやれている」人は元気であるというのは感覚的にわかる。病床にあったとしても元気な日もあればそうでない日があるように、誰かが病室に尋ねてくれるだけでも元気になれることもある。もちろん誰か嫌な人が尋ねてくることで元気がなくなることもあるが、その「できること」というのは自分だけでできることとは違う。結果、相手があってできたことを考えるのがいい。元気とはそもそも今の生活の中で何ができているのかが大事なのであって、元気がない人というのはどんなにいろんなことをやっていたとしても、できることがやれていない状況にあるのではないだろうか。元気がないのは、やりたくもないことをやらされているとしか思えないような状況が続いていると考えると想像しやすいか。

 

 引きこもっている人が何もやっていないというのは、引きこもり問題が登場してからずっと続いている嘘である。その嘘は、引きこもっている人が何をやっているかやらされているかを黙殺したいからゲームやらネットやらの類のものでずっと誤魔化されているが、一日中部屋にいたとしても、気分の浮き沈みのようなものはあり、不安や恐怖と向き合うようなことは繰り返されている。仕事などをしている人はONやOFFがあっても、引きこもっている人はずっとONの状態なのだと言った人もあった。何もやっていない人と誤解されがちだが、ずっとONかは分からないがその生活には外の世界との緊張関係があり、少なくとも何もやっていないOFFの状態ではない。なぜそのように誤解されるかは、本人たちにも依っている。彼・彼女らは何もやれていないと思わされている。不安や恐怖と向き合うことは、世間的には何もやれていないことであり、それでは何もやったことにはならないのだと思わされている。それではだめだと思わされていることがまず元気になれない一つの要因である。不安や恐怖と向き合っていても元気であることは、やらされているのでもなければできることである。

 

 それでも引きこもっていて元気でないというのならば、例えばそれは不安や恐怖と向き合わさせられているだけなのかもしれない。自分が向き合いたい相手でもなく、自分の人生設計でもなく、自分が向き合いたくもない相手や人の人生設計に向きあわさせられているのではないだろうか。「やっている」のと「できる」のとは違う。それに「できる」というのは自分一人でできるのとは違う。機械化やITなどの現代社会において肥大化した独りよがりな能力ではなく、相手があってこれからもやり続けることが「できる」ような、ちょっとした自信である。その相手が居なくなればたちまちにして人は元気を失ってしまうことがある。相手とは、家族かもしれないし友達かもしれないし恋人かもしれないし好敵手と言われる人かもしれない。元気があればいいのだが、元気でいてほしいのだ。

2020年9月19日    高橋淳敏

次回鍋の会9/27に決まりました。

By , 2020年9月11日 10:28 AM

日時:9月27日(日)12時から16時ごろまで

場所:カフェコモンズ(高槻市富田町)

待ち合わせ:JR摂津富田駅改札前に11時45分(そこから歩いて5分ほどです。)

参加費:カンパ制

○今回もみんなで鍋を作って食べるという形ではなく、こちらで料理を(メニュー未定)作っておきます。

換気や消毒、食べる時以外はマスクをつけるなど対策をして集まりたいと思います。

参加希望の方は事務局まで申し込みしてください。他にわからないことなどありましたらお問い合わせください。

090-6050-3933

 

8月おしかけ鍋会報告

By , 2020年8月27日 10:17 AM

8月23日(日)おしかけ鍋の会開催しました。

参加は11名で、カフェコモンズのテーブルにたがいちがいに座る形になりました。

今回は集まって何鍋にするか考えて買い物行って作るといういつもの流れではなく、

作っておいた料理を食べて、その後話をするという感じでした。

チキンカレーの上にキンパと漬物

食べて少し落ち着いてきたところで恒例の自己紹介タイムです。

大人になるとみんなの前で自分のこと話す機会はあまりないので緊張もする時間ですが、

今まで月2回鍋の会をしていたときには自分の中では当たり前のようになってもきていました。

今回は久しぶりの鍋の会だったので、みんなの、言葉にうまくできないような話も自分なりに言葉を選んで伝えようとするこの時間は大事だなと改めて感じました。

自分も上手く話せないからこそ、他の人の話にもゆっくりと耳を傾けて何を言おうとしてるんだろうと想像する。

これから鍋の会をどうしていくのがいいかも話し合いました。

今日のこのやり方で来月もしてみたらどうかということになりました。

次回の鍋の会日時決定しだいまたご連絡します!

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