NPO法人 ニュースタート事務局関西

12月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2025年11月16日 10:01 AM

12月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

12月20日(土)14時から (321回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 会議室
 
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。

12/14鍋の会&12/28忘年会

By , 2025年11月16日 10:00 AM

12月の鍋の会

日時:12月14日(日)12時~16時 第512回

みんなで集まってから何鍋にするか考えて買い物に行って鍋を作ります。もう寒くて熱々の鍋が美味しい季節ですね。次回は何鍋にしましょうか。

初めての方も久しぶりの方も大歓迎です。参加される方は必ず申し込み下さい。

場所:「へそでちゃ」(JR摂津富田駅から徒歩15分弱)

待ち合わせ:11時45分JR摂津富田駅改札口

 

12月28日(日)へそでちゃで忘年会やりますー!

18時から21時までへそでちゃにて。カンパ制です。

持ち寄りの会になりますので、お勧めの一品でも手作りの一品でもみんなで持ち寄ったものを食べましょう!

 

「愛について」髙橋淳敏

By , 2025年11月15日 5:00 PM

愛について

 私は76年の生まれで、来年には50歳になりますが、この50年間でも「愛」という言葉は多くの場面で使われてきて、概念は曖昧なままにも、ほとんどは肯定的な意味だった。その意味は違うが、「平和」なんかに似た出自がある。「愛」も「平和」も昔からあるようでいて日本語では、今のような使い方がされたのは明治以降と聞く。平和は戦争の対義語のように使われるが、よくよく考えてみるとそうでもなく、平和の内にこそ戦争状態はある。例えば他国の戦争状態があって、今の日本地区の平和と思われる事態が成立していると考えることができる。今のアメリカやアメリカがやってきたことなんかが分かりやすいが、絶対的な悪のような存在はなく、戦争でぶつかり合うのは双方の正しさである。アメリカの平和は、常に戦争によって保たれている。いわんや、その保護下にある日本の平和をやである。平和と平和の間に戦争があるか、戦争と戦争の合間に平和があるのは地理だけでなく歴史を見ても明らかである。戦争と平和は対というよりも共存している。そのどちらかに転ぶのかの平和の均衡は、身も蓋もなく武器や金や核やエネルギーなど、力によって支配されているようにも見える。そして、同じような時期にアメリカや西洋の近代文明とともに輸入されていた「愛」について、私は「愛」を使うこともほとんどないが、少し考え直したい。英語のLOVEなどを訳した愛にも、深いなどではないもっとあからさまな意味がありそうだ。

 もう十年ほど前の話しとなってしまうが、久しぶりに会った人から受けた質問を度たび今でも思い返す。「今の社会は良くなっていると思いますか?」と、十年以上ぶりに、たぶんその人は前に私に会ったことすらも覚えていなかったと思うが、その後長く話し込むことになる私に対して、かなり早い段階で質問された。私は、その質問に応えるのに窮して、あいまいな答え方をしたと思う。当時の私は「社会は良くなってしかるべきなのに、なぜか悪くなっている」と言葉にはできなかったが、応えることができたかもしれない。簡単に答えると「悪くなっている」だが、私は「社会は良くなってしかるべきだ」という考えの方を、いろんな人と共有したり話したくて、悪くなっている事実を共に見ようとはしていなかったのかもしれない。だが、私が質問の応えに窮しているのを見届けた後、その人はすぐに「悪くなっていると考えている」と私見を明らかにした。私だけでなく、その人は誰に対してもそのように質問して、そのように答えていたのかもしれないが、このような想像の範囲内の難しくもないやり取りで、気づくことがあった。私は良くなってしかるべきであるという「正しさ」で、人と話しをしようと望んでいて、でも対話とは今の事実をお互いがどう感じ、考えているかの共有からしか始まらないようなことであった。

 近代化がそうあるのは戦争も経て、経済も民主化も、科学技術においても、人類の進歩や発展と云える出来事が多々あって、生産においても通信や移動においても、あるいは自然や人権や金融などにおける知識や技術も、一方向的に右肩上がりに向上してきたのであって、この社会が以前に比べて悪くなるはずはないと。そのように考えがちだが、「悪くなっている」と答えるには、それなりの思想というか、現実の見方が必要になる。私も、増加し拡大し恒常化していく「引きこもり問題」を通じて、この社会が「悪くなっている」実感はあった。近代化が極まっていけば人が働く時間は減っていくはずだったが、働く時間が増えたり生産性が上がったのに賃金が減ったり、1つの家がつぶされた土地に2つの家ができて、以前より狭い家に窮屈に住んでいるのに家の値段は高くなっているとか。ゴミ問題もそうだが、物に溢れているのに、便利にもなっているはずなのに、幸せになっているどころかむしろ不幸になっている。喜びも楽しみも数は増えているのかもしれないが、その内容が貧しくなっている。だが、なぜ「悪くなっている」と答えられなかったかというと、悪いことの自らの理解が及んでいなかったからだった。

 悪い事態を立場は違っても、お互いにその当事者として確認し合うことに、平和や愛の営みはある。平和とか愛をそのまま言葉にしたところで、それは空虚なものでしかない。夏目漱石が「I LOVE YOU」を「月がきれいですね」と訳したらしいが、その意図は分かりもしないが、愛とは言葉や概念などではなく、共にある行為のようなものと云いたかったのかもしれない。日本で80年代をピークに作られた性愛や自由恋愛、核家族の愛の形はあったとは云えるが、もはやその行為は形骸化してしまっている。今、ある愛や平和の行為とはなんであろうか。

 最後に、ここでもよく取り上げるCP者の集まり「青い芝の会」の綱領、「われわれは愛と正義を否定する」を取り上げる。かれらは、70年代にすでに、愛と正義の欺瞞について気づいていた。それは、愛と正義を振りかざす一般社会が、彼らの存在を「あってはならないもの」としたからであった。引きこもり問題は社会問題である。それなのに、「ひきこもり」は「あってはならない存在」として、扱われることが多々あった。私は引きこもり問題が、この世界の「愛」や「平和」の革新的なテーマであると考えている。

20251115日 高橋淳敏

11月鍋の会報告

By , 2025年11月10日 11:46 AM

 11月9日(日)鍋の会6人参加でした。朝から雨の日でしたが、寒くもなく熱くもなくザ・秋という温度でしたね。キムチ鍋が食べたいという声がありキムチ鍋に向けて準備が始まります。何を入れたいか話して買い物行ってご飯炊いて野菜を切って、味はキムチが多くなかったのもあって優しい味だけど、野菜や肉から味が出てて沁みるお鍋になりました。やっぱりたくさんの具材で作るお鍋は美味しいです。差し入れに、フランスの美味しいバターのクッキーや、他にも頂き物の柿やみかん、ミョウガなども。美味しいものをしっかり食べて、話したり笑ったりすることが何より元気になりますね。あぁ!もう来月12月ですね。年末の鍋の会(忘年会)どうするか来ていたみんなで話し合えば良かったです。(くみこ)

10月例会報告

By , 2025年10月24日 9:46 AM

 10月18日(土)10名参加(内家族の方は4名)でした。いつもは冒頭に代表が話をするのですが、今回は私が30分ほど時間をもらって自分がどうしてニュースタート(NS)に関わることになったのかを聞いてもらい、生きづらさについて一緒に考えれたらと思い話をしました。学生時代自分が周りの人とうまく話したり関わったりできないことをずっと自分のコミュニケーション能力の無さや面白くないせいだと自分を責めて落ち込んでいました。就職活動を始めなくてはならない時期になった時に、なぜかわからないけど就活ができない自分。したくない!私はしない!というような意志があったわけでもなく、どうしても就活に向けてがんばれなくてそれも自分が悪いのかとも感じました。それでそれならどうするのかと悩んで、試してみてぶつかりながら辿り着いたのがNSの定例会と鍋の会でした。そこで話を聞いて肌で感じて気づけたことは、今まで欠点だと思っていた、真面目だったり人の気持ちを敏感に感じすぎるところや繊細なところは長所だったんだと思えたのです。しかもそういう人は自分の他にもたくさんいることに驚き、そんな人たちが生きにくいと感じる社会の側に問題があるのではという視点を持つことができました。それは自分の方を向いていたカメラが外に向いた瞬間で、そうなって初めて自分を肯定でき、他の人と関わってみようと思えました。自分を責めながら1人だけでいくら考えていても悩みや不安が大きくなるだけで、自信をもてるようにもならないし、やりたいこともわからなかったのです。そのことを自分と同じようにも悩んでいる人がいるなら伝えていきたいとNSに関わってきました。能力が足りないとかできていないのではなく、逆に繊細でいろんなことに多く気づけているすごい人なんだと。

 皆さんと話から。引きこもり始めて何年か経過して落ち着いてきている。初めは不安定で動きもあったが、今は静かに安定している。でもそれはそれでこれから先このままだとどうなるんだろうという不安。外の人との関りがなく家にいることが心配。

家で一人でいて他人と関わらなければ傷つくこともなく感情が動くこともなくなってしまう。そうなると何がしたいかわからなくなる。親ができることはなんだろう。これから先どうするつもり?何かしたいとことはないの?と聞くだけでは返事はないだろう。本人もわからないし心の奥底にあっても言葉にならない。そうではなくて、親は自分を主語にして、自分は今日こんなことがあってこんな風に感じたなど自分の話や、今家に一人でいて外に出ない状況はあなたにとっていいことではないと私は思っている、だから外に繋がるように考えたいなど正直に話すことくらいかもしれない。あなたのために~ではなく、自分はこう生きたいと親が言えるようになるためには、結構親は親で必死のパッチで生きることをしなくてはならなくて大変なことだ。(くみこ)

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