NPO法人 ニュースタート事務局関西

1月例会報告

By , 2025年1月22日 9:37 AM

1月18日(土)12名参加(内家族の方は6名)でした。毎年この1月定例会の時は、30年前の震災について話をすることが多い。失われた30年などと言われることも多いが、振り返ってみてどうだったのか。地震が起きた時、水が出なくなった。その時水を得るための行為をしなくてはならなくなった。これは不便なことではあるが、本来人は暮らすために「水を得る」ような行為をしていたはずなのにそれが省かれていたことに気づいた。今までしていた「蛇口をひねって水が出る」というのは「流れてくる水を制している栓を開ける」ということ。暮らしのために「水を得る」ような行為なら、引きこもっている人は動こうとするのではないだろうか。誰かと競ったり誰かを蹴落としたりするようなことではなく、自分や周りの人たちの暮らしのためにする行為なら。震災30年を機に「くらし」を考える。
 地震などが起きた時「災害ユートピア」と言われる状況になる。一瞬助け合いがおきる。隣の人がどれだけ偉い人でも関係なく、水が出ない電気ガスが止まる食べ物がない、どうしようかとフラットな関係になる。普段の地位や肩書など関係なく助け合う。働いていなくて家にいた人も近所の目を気にすることなく動けたのだ。
 皆さんの話からは。高2、高3頃から不登校になり始める、何とか大学に行っても行けなくなるという話は毎回のように出てきます。高校生は1年生の頃からすでに大学進学を意識させられ、高2になると高3の受験に向けて理系か文系だけでなくある程度の志望校は決めてその後の高校生活の選択を迫られる場面も多くなる。先生も生徒もなんとなくその流れで動いていく中、本当に自分は大学に行きたいのか行く意味はあるのかと考える子はどれほど心細く苦しい気持ちになるか。他の選択肢をほとんど教えてくれない教師と、大学に行くもんだと思っている友達、そして親さえも大学しか頭になかったら、本人は他に生きていく道はないような気になる。立ち止まるしかなくなる。何かしたいことがあっても声に出して伝える勇気も出ない。本当なら、周りに流されず自分で考えようとした子がいるなら周りの大人は一緒になって考えたり全力でサポートしてあげなくてはならないだろう。親は自分がやってきたこと以外分からないことだらけで、力不足だと自分で認めて、本人がいろんな人に会って話を聞いたりすることを助けたりすることしかできない。
 障害というのは持っているものではなく、自分と社会の間にあるもの。自分が何かをする時にできないようにできにくいようにさせられるもの。
 大学に行かないと生きていけないわけではない。親がまずそのしばりをはずす。障害物を押しつけない。でもだからといって何かしたいことがあるわけでもない。何がしたいかわからない。「やりたいこと」というのはどうしたら出てくるのか。自分のことをこれでいいんだと肯定できた時、人に頼られたり必要とされた時に自分の中にある「やりたいこと」が出てくるのではないか。言えずに沈めてた好きなことを「好きなんだ」と言えるようになるのでは。(くみこ)

2月の鍋の会

By , 2025年1月19日 10:00 AM

日時:2月9日(日)12時~16時 第502回

みんなで集まってから何鍋にするか考えて買い物に行って鍋を作ります。前回ついたお餅(エビもちと黒豆もち)も焼いて食べましょう!初めての方も久しぶりの方も大歓迎です。参加される方は必ず申し込み下さい。

場所:「へそでちゃ」(JR摂津富田駅から徒歩15分弱)

待ち合わせ:11時45分JR摂津富田駅改札口

現地に来られる方は12時までに来てください。

参加費:カンパ制 

参加資格:鍋会前か後に引きこもりを共に考える交流学習会に参加

 

2月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2025年1月18日 5:00 PM

2月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

2月15日(土)14時から (311回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。

「新貧乏生活」髙橋淳敏

By , 2025年1月18日 5:00 PM

 新貧乏生活 

蛇口をひねると勢いよく水が出る。ガスも電気も、家の中まで高圧をかけられ、栓やブレーカーによって常に制止されている。近年は、通信会社が放出している電波から情報に至るまで、押し売りされているものを、端末や指先で制しなければならない。車や電車も、乗っている人は振り回されないように身を固くし、運転する人は乗り物を常に制御する働きをする。十年前、人に建ててもらう金がなかったので、自分たちで家を造った時、インパクトドライバーと丸ノコという道具を使った。どちらも金づちとノコギリに代用される電化製品である。便利で作業効率も良かったが、電動器具を制するために酷使された身体の一部は壊された。金づちで釘を打つ自然に近い動作と、電気モーターによって暴れる本体を手先で制御する動作では、やっていることが違う。暴発するくらいの圧で押し売りされているインフラ、情報、乗り物、道具、食料品などを日常的に制し続ける身体は強張り、多くは無自覚に疲労している。
 朝起きて近くの川へ、一日に必要な水を汲みに行く。川は氾濫するので、不便でも少し離れた山間に居を構まえ、リバーサイドには住まない。歩いて15分あるだろうか、日照りが続いたので、畑に水やりをしながら、川までの道を何往復かする。このような能動的な身体が、人の暮らしを作ってきた。ちょうど30年前に阪神淡路大震災によって被災した私は、インフラが使用できなくなった時に、今までの暮らしが何者かに奪われていたことを知った。栓をひねれば水が出ることを、ありがたく思ったのではない。水を得る行為が、震災前までの生活から省かれていた。暮らしを形作っている様々な行為が、現代や都市部の生活で失われていたことに気がついた。地震こそが恵みであり、被災して知る暮らしがあった。「失われた30年」は、政治家や既得権益者による嘘である。少なくとも震災30年以上前、「失なわれていない」とする高度経済成長期やバブル期、人々の暮らしが最も失われていた時代といって過言ではない。
 いつからだろうか。150年以上も前、欧米から開国を迫られ、それぞれのお国を捨てたことで、日本は今の国家として統一された。国民などと煽てられ、(被)差別的で(被)植民地的な意識に人々が染まっていく中、近代国家が形作られていった。戦後はさらなる加速をして、田舎と言われて国家からは捨て去られ、東京に一極集中した地域性のない都市部での核家族や単身者の生活が中心となる。国家や近代化は、多くの人間の生存を可能にしただけで、人々の暮らしを大事にしなかった。人の暮らしは、解放された身体によって形作ることのできる大事である。常に制する方へと働く現代の生活で、人の暮らしを見ることは難しい。昨年の元旦に地震で被災し、国から見棄てられた奥能登地区へ、避難生活をしている方たちの暮らしを何度も見に行った。昨年の暮れには大阪の釜ヶ崎で、強制執行によってセンター周辺の路上生活者が、その暮らしを奪われた。それでも半数近くの釜ヶ崎の野宿者は「今の生活を変えたくない」と言っている。福祉施設に収容することは支援ではない。リバーサイドのタワマン生活よりも、野宿者の「その日暮らし」の方が大切なのだ。

 セルフレジに並んでいてふと思う。前の人が商品のバーコードを読み取って買い物袋に入れている行為は、去年までは店員の労働であった。それを今は客がやっていて、自らが行った行為の後、機械に請求されて金を払う。そのために順番を待って並んでいるが、ふと我に返り今私が何をしているのか分からなくなる。並んでいる列から離れ商品を元の位置に戻し、店を出たことが何度かある。セルフレジを導入は、商品を安くしたり、労働者や生産者に還元するため何かもしれないが、店側は人件費のコストカットなどを理由としているので、そのどれでもない。もっと以前は、商品を袋詰めまでやってくれる店員もあったり、バーコードがないときは値札を見て、レジ打ちする時もあった。長期的に見て、商品の値段が下がっているのでもない。客と言われる非労働者がレジ打ち行為をすることによって浮いたはずの利ざやは、どこに流れるだろうか。訪れた町でお腹が減ったけど、めぼしい外食チェーン店がないのでコンビニに入ってみる。入った途端に、後悔することもあるが、背に腹は代えられないと思って食品が陳列してある棚まで行く。どれも食べ物であることは分かるが、選ぶ気になれない。手に取ろうとして、食べることや味を想像しては、やめることを繰り返す。そうしているうちにどうでもよくなり、腹が減っていることを諦めて、店を出る。そういうことも何度もある。
 急激な人口減少時代に突入している。当然の結果として、経済は縮小し、国力は弱まる。だから、誰しもが少子化対策が必要だといって、政治家なんかも神経質に訴えている。だが、少子化対策は多少の子育て支援にはなっているかもしれないが、本来の目的には達していない。歴史的に見て、栄華を誇った国は、必ず衰退する。日本は30年以上前から衰退期に入っていて、今がその本番といった時代である。ここ何十年かあるいは100年か200年か人口減少に歯止めは効かない。過去100年で子どもが増えたのは、1945年以降の第一次ベビーブームと1970年代の第二次ベビーブームである。第二次ベビーブームは第一次ベビーブームがあったからの結果で一次以上の伸びはない。第一次ベビーブームは子育て支援が充足していたから、たくさんの子どもが産まれたのではない。戦争で負けて、貧しい中、人の暮らしの希望として子どもは産まれた。人口減少、経済縮小、国力の弱体化、それは歴史的に見ても自然なことであるし、大変結構なことではないか。私たち一人一人が使える土地や資源は増え、国に頼ることなく自分たちで助け合いながら暮らしていける。素晴らしい時代が到来している。さらには私たち一人一人が使える技術は、数十年前とくらべても、手に入れやすくなっている。それにだ、人口増加や経済成長などの栄華にしがみつくのではなく、貧しいなどといって見ぬふりをしている未来に開き直ることの方が、本来の少子化対策にもなるだろう。

2025年1月18日 髙橋淳敏

12月例会報告

By , 2024年12月27日 9:07 AM

12月21日(土)10名参加(内家族の方は4名)でした。30年前に引きこもりという問題が表面化し始める。今80代くらいの当時の代表からみると大学は勉強してるなら行かなくても(通わなくても)いいような場だった。なのに大学生の子どもが大学に行かずに家にこもっている、どうしたらいいのかと困る親たちがいた。「大学生の不登校」はここから社会問題となった。引きこもりは今でも主に個人の問題とされている。原因としては病気、障害、怠け、無気力、ゲーム依存、昼夜逆転などがあげられる。昔から、その人個人をどうにか変えて社会に戻すという支援のための政策はあった。福祉の観点からみると、あなたは支援する側です。される側です。と分けることをする。
 この30年間問題は解決していない。やはりこれは社会の側の問題なのだととらえ直す。とはいえ今日明日すぐに社会が変わるわけではない。社会が変わってから出るのではなくて、引きこもっている人が社会の引きこもり問題を解決するために一歩出る。この問題は自分だけではどうしようもないと気づき外に出て行くことでしか社会も動いていかないのかもしれない。引きこもっている本人は自分だけではどうにもできない。だからだれかと関わる中で考えていかなければならない。
 みなさんの話では。親が引きこもっている本人と話をしたいができない。これからのことは考えたくないという。そう言われたら考えられるようになるまで待つべきか。何もないところでは考えがないのは当たり前だろう。例えば行けなくなった学校について親が「やめなさい」という。親が自分の意見を言えばそれに対して本人は考える。何でもいいからあなたがやりたいことをやればいいと言っても何を考えているのかわからない。そうなると考えるとっかかりがない。この時親として難しいのは、本人の考え、欲望は強制してはいけないこと。親が意見を言う時は「私はこう思う」と私は、私が、という主語を忘れずに考えた方がいいだろう。「あなたがこれを選びたいって思うだろうからこうしたら?」というのは相手を尊重していそうで、相手の欲望を操作しかねない。特に親と子の関係においては。そして例えば学校をやめてどうしていくかというのは、正直親もわからないし不安でもある。(例えば高校→大学→就職というレールに乗るなら親も本人もある程度想像はつくしわかりやすいが)だから他人と関わったり仲間が必要だと子どもに本気で伝えられる。自分たちだけでは力不足だと認めて。そしてすぐに答えが出るわけでもなければ何が正解かもわからない。だから一日一日生きていきながらそれを考えていくしかない。そのためには道中たまには横にいて話ができる仲間が必要だ。
 引きこもっていて自分で決めて出て行くことは難しい。自分で決めて出て、もし失敗したら自分で責任を取らなくてはいけないと思ってしまうから。失敗してもやり直せる社会ならいいが、自己責任と言われるような今の社会では出て行けない。失敗してもまた考えてやり直す。これこそが生きる楽しさでもあるだろう。(くみこ)

Panorama Theme by Themocracy | Login