4月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
4月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
場所:クロスパル高槻 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
4月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
やめることができない
近年は、年度末になると携帯電話(スマートフォン、以下スマホ)の代金や家の通信費用、電気料金やガス料金など毎月払っている支出の見直しが恒例行事となっている。親や子たちのスマホや、各携帯会社に紐づいているプロバイダー、電気会社など、それぞれの料金プランやそこに付与される特典を把握して、どこの会社のどのプランと契約するかを決定していくのは至難の業である。最近ではスマホを2年借りて返すなどのレンタルもあり、携帯キャリアを変更するのは複雑怪奇で不可解である。一つのスマホを変えるだけでも、開発や製造や流通や販売などたくさんの労力と時間が動員されているはずだが、なぜかその変更をしないと利用者の方が損をする事態になっている。もっとおかしいのが、家族の中の誰かが使えなくなるなどして、スマホ本体を変えなければならないとすると、ただ一つのスマホを買えば済むような話しが、他の家族と家の通信費用や電気料金なども一緒に変更すると、スマホが無料で手に入るだけでなく、そうしてキャリアを移動して他の家族分の必要もない機種も同じように買い換えることもできれば、変更するだけでどっかから生み出される高額の特典が付与されたりもする。携帯キャリアやスマホを変え続けていると現金でのキャッシュバックがあったり、ポイントで付与されたりで実質無料というか、利用者の「儲け」がでるようなことがある。どこに移動しようが利用者が月々に支払う金額や仕様は、ほとんど変わらない。キャリアやそこに紐づいている会社を行き来するだけで、今後支払う金額以上の特典がついたりする。利用者や家電量販店の店員が一緒になって、皿に乗った豆を、隣の皿に移し、それをまた元の皿に移すだけで、何かが生み出されるようなことが起きる。
要するにこのスマホの変更は商品を売買しているのではない。株主優待みたいな特典が、キャリアを変えるだけで、何度でも付いてくると云えばいいだろうか。それでも携帯電話会社は、利用者による月々の支払いで、濡れ手に粟のように儲けているのだろうし、そこで実質得をしているような人があれば、どこかで誰かが馬鹿みたいな金を支払わされているのに違いはない。それを詐欺とも云わないし、金を持て余し訳の分からない仕事を作って、利用者も共犯関係にあり付き合わされている。付き合わない利用者は、金をふんだくられる。日本は特にこのデータ通信費が高いと言われているし、日本に住む人以外はこの複雑怪奇で不可解な料金システムを理解するのは困難であろう。毎年のように更新する取扱説明書を読まされるようにして、私はこの時期を過ごすことになる。10年以上も昔はネットで調べて、ネット上で契約を変更することが多かったし、頻度も2年や3年に一度とかで良かった。でも最近は、紐づいた10弱の契約が関連づいたりしているので、その全てを管理して組み立てることはやらなくなった。なので少なくとも一年に一回は近所の家電量販店などへ行って、店員に捕まって2日くらいかけて議論し、契約変更するなんてことになっている。家電量販店のスタッフは当然、訳の分からない料金プランに詳しいのだが、結果としては客はただキャリアを行ったり来たりしているだけで、この仕事は何も生産していないどころかむしろ全体として利益すら下げている。キャリア同士の偽競争をなくして、ただ通信費を安くした方が、誰にとっても得だろうと思いながら、私も毎度こういった行為をやめられないでいる。ただ続けていれば、この仕組みに吸い上げられる一方といって、くだらない仕組みに関与し続けるしかなくなっている。果たしてそうなのだろうか?今回もこの儀式に関わる中で、一つ前向きに、これはスマホの契約を毎回破棄して止める行為なのだと自分を納得させることにした。続けるためにではなく、止めるために毎回時間をかけていると考える。いつか止めてやると、でもまだ続けてしまっている。
問題などが生じている時、何かをし始めることよりも、今やってしまっていることを止めた方が良い場合は多い。先に挙げたスマホなんかもそうで、この話しは前にもどこかで書いたが、例えば依存症については分かりやすい。酒やたばこ、薬やギャンブル、ゲームなどが日常生活を続ける上で問題となるのならば、それらを止めるにはどうすればいいかを考える。これが同じ依存症でも、食事や性愛、人間関係のような事であれば、それらを全て止めてしまうことはできないので、多少は新たな依存先というか、新たに何かをし始めることも大事だろうが、やり続けている行為にどういった意味があって、依存し続けていることを止められないかを考えることだろう。再三書いてはいるが、「ひきこもり」と名指されている名は、元々は引きこもるという動詞、行為から派生した名詞である。引きこもるのは行為である。それなのに「ひきこもり」は、学校へ行かないとか働かないとか外へ行かないとか「~をしない」状態ばかりが問題にされる。引きこもる個人を問題とする話しと同じである。引きこもり続けていることは行為として理解はされず、新たにでもなく、場合によっては過去にやっていたことを再びやらせること(社会に同化させること)で、「ひきこもり」を社会復帰させることで問題を解決しようとする。引きこもっている原因が、かつてやったこと(学校へ行くなど)であったとしてもお構いなしに、学校に行かなくなった子が、どのようにすればまた学校などに行けるようになるかを、本人や周りが考え続けることもある。それこそが引きこもる行為を続ける直接的な外因でもあり、周囲も巻き込んだ堂々巡りだと云うのに。引きこもり問題の核心は、学校に行かないとか働かないとか気力がないとかではなく、当然引きこもり続けていることにある。もっと言えば引きこもり続けているのでもなく、引きこもるという行為を止めることができないでいる。そこで引きこもる行為を、ないことにしてはいけない。なぜ引きこもる行為を止められないのか、多くの人が引きこもる行為を止められない「引きこもり問題」は、この社会に何を問うているのか。「ひきこもり」は、社会問題であると言っている理由はここにもある。
2025年3月15日 髙橋淳敏
日時:4月13日(日)12時~16時 第504回
※持ち寄りになります。手作りの物でもお勧めの一品でも甘いものでも大歓迎です!
おにぎりと飲み物はこちらでも用意しておこうと思います。
葉桜かもしれませんが暖かいことを願って、みんなで外でご飯を食べましょう!
待ち合わせ:11時30分JR高槻駅改札口
※待ち合わせに来られる人数を把握しておきたいので必ず参加申し込みをしてください。
現地に来られる方は12時までに来てください。場所は申し込みしてもらったら説明します。
場所:「芥川桜堤公園」高槻市清福寺町12
参加費:カンパ制
初めての方も久しぶりの方もぜひ参加ください。
雨天:いつもの鍋会通り「へそでちゃ」で開催します。雨が怪しいときは当日の朝10時までにはHPでお知らせいたしますのでご確認ください。
3月9日(日)鍋の会開催しました。6名参加でした。暖かい日でドアを開けていてもお陽さまがぽかぽかとしていて、お花見でもできそうなお天気でした。何鍋にしようかと聞いたときに豚キムチ鍋が食べたいという意見があり、キムチ味のそんなに辛くないお鍋になりました。昨年の夏に地域のお祭りに出店した時の売上でその祭りがんばったの打ち上げを2月の末にやっとできたのですが(半年も後になってしまいましたが、笑)その時に買った牛肉が少し残っていて、なんと牛キムチ鍋になりました。豚の甘い脂の感じではなく、すっきりとした牛とキムチの旨味の美味しいお鍋になりました。この日は初参加の方もいて話の中で皆さん趣味はなんですかと聞いてくれたので、さっそくそのまま自己紹介を兼ねてみんなで趣味について話しました。思い返してみると6人とも家の中でできることでしたね(^^)あとは来月のお花見についても話し合いました。一番満開かもしれない第1週目ではなく、葉桜上等の第2週目4月13日に決定しました。持ち寄りになります。みなさん手作りの物でもお勧めの一品でも甘いものでも大歓迎ですので持ち寄ってみんなで外でご飯食べましょう!ぜひご参加ください。(くみこ)
2月15日(土)11名参加(内家族の方は6名)でした。引きこもりは個人の問題ではない。でも本人は自分の能力がないと思っている。本人を変えるのではない。周りの関わり方がおかしいことに気づくことがまず大事だろう。例えば子どもが社会に出ようとした時の接点の一つである就職活動での面接について。売り手市場だった頃は、働いてくれる人が必要だから企業の方から迎えに来るようなコミュニケーションだった。面接などでも、はい、いいえで答えられるようなやり取りで良かったり、働きだしてからも辞められたら困るので手取り足取り教えてくれたり周りの手厚い関りがあっただろう。それにはもちろんお節介だったり嫌な面もあっただろうが、少なくとも社会に出ようとする若者は必要とされていた。嫌なことを嫌だと言いやすいなど人間関係がやりやすかったのではないか。しかし就職氷河期などの世代になるとそのコミュニケーションは180度変わっていった。買い手市場となり、必要な人数に対して働きたい人の方が多く、どれだけ他の人より自分の方が優れているか、何ができるかをアピールしなくてはならない。人より先手を打ったりするのが苦手な人にとっては就活は難しくなる。このことを親も本人も自分ができていないせいだと思う。「あなたじゃなくても他にたくさん代わりはいる」というこの関わり方では必要とされている気はしない。これがコミュニケーションがしにくい原因だろう。
その後参加していた皆さんの話を聞いて感じたこと。この会でもどちらもよくある話ですが、一度も働いたことがないまま動けなくなっている人と、何年間も働いてから引きこもりの状態になっている人がいます。でもどちらの人も学生時代にコミュニケーションが苦手だったり、みんなが楽しそうにしている中には入れない、入らなかったという話を聞きます。自分もそうだったので想像できるのですがその時は自分が面白い話の一つもできずその場の空気を悪くしてしまうと、自分のコミュニケーション能力がないことが悪いと思っていました。でも本当にそうでしょうか。人より多く何かを持っていることをアピールしたり何かをうまくできることを見せたりするような、「さぁお前は何ができるんだ」という雰囲気の中で話せないのは、例えば真面目で優しいところがあったり、そういうことを言うことで傷つく人がいることを感じられるほど感受性が豊かだったり、とても良いところもたくさん持っているとも言えるのではないでしょうか。面白い話ができないし場をしらけさせてしまうことが怖くなるということは、自分より相手を大事に思って合わせようとしているからです。だからそのままの自分でいいんだと、必死のパッチで毎日を生き抜いているんだから一人一人が自分の話し方でなら話せる話は尽きないはずです。真面目に生きているほどクスっと笑ってしまう面白い話も多いです。自分がそれでいいんだと肯定できている人の話なら、意外と人は聞いてくれます。でもいきなり話しにくい雰囲気の中で試すよりは、そこにいる人から否定されず安心していられるような場で自分の話し方で自分の話ができる体験を重ねることが大事だと思います。だから一人でいても、コミュニケーション能力がないという思いはなくなりません。自信は持てないままだと思います。だから自分が安心できる場を探すことをする。そしてそれがゴールなのではなく、人と出会っていく中で傷ついたり嬉しかったり悩んだり、そこからの方にたくさんの時間をかけていきたい。(くみこ)
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