NPO法人 ニュースタート事務局関西

6月18日例会報告

By , 2022年6月24日 8:56 AM

 6月18日(土)15名(内家族の方は3組)参加でした。初めにニュースタートがどのように引きこもりについて考えているかを話しました。今回のヴォイスにも載せましたがフランスからの2人のアーティストへのインタビューの中で、「人生を一本道に例えた人がいて、引きこもったことはその一本道から落ちて履歴書に穴が開いたという表現をした。そのことが印象的だった。」という話しがあった。おそらく日本ではこのように考える人は少なくないだろう。そもそも人生が一本道なわけはないのだが、この考え方が広がっていくのは戦後。就職してそこでずっと働き続けることで安定した生活が待っているという。この太くて安定している幹はバブルの崩壊などでやせ細っていくのだが、かつての安定を戻そうと幹を太くしようと、状況は変化しているのに同じことを繰り返してきた。太く思われていた一本道にしがみつく、この無理がある状態が始まった1990年代ごろから引きこもりも問題と言われるようになる。

 就職活動は企業がやるべきことだ。働いてくれる人材が必須なのは企業側で、これから生きていこうとする若者にとっては企業に就職すること以外にもたくさんの道はあり、就職が唯一の一本道なわけはない。そのはずなのにもう何十年の間も大学生や若者とって自己責任でやるべきことになっている。本来は勉強したり、どう生きていきたいかに向き合い仲間と時間を過ごすための期間に就職活動をさせられる。フランスのかれらにとって印象的だったということは、フランスでは日本ほどこの考えに縛られていないということなのだろう。

 皆さんの話しからは、引きこもった原因は完璧主義だからという意見がありました。ゼロか100かでしか動けないのでやると言ったら真面目にとことん疲れ切ってしまうまでやってしまい、その後休み休み中途半端にでも関わり続けるということはできなくて完全に行けなくなってしまう。何かを完璧にするということは正解があることなら可能だろうが、本来生きること生き方に正解なんてなくて間違えもないはずで、それこそ親以外にもいろんな生き方をしている人に出会っていくことこそ何よりも必要なことだろう。また自分のやりたいことを努力して頑張るというのとも違い、やらなくてはならないだろうということを完璧にしようとしてしまうということに近いのだろう。せねばならないにがんじがらめで動けなくなる人も多いのではないだろうか。 

 他にも、

「子どものために」ではなく「自分のために」ここに来ました。

 相手(たとえ家族であっても)はこう考えているだろうなと決めつけたり、そっとしておくのではなく、エネルギーのいることだし波風が立って痛くて苦しいことかもしれないがちゃんと聞くこと。

 周りに、家族でさえも肯定する人がいない。あんたは大丈夫だと背中を押せない。

など、参加されてる方同士でも意見を交換したりいろんな話をすることができました。初めての方もぜひご参加

「引きこもりの表現」インタビュー

By , 2022年6月19日 10:00 AM

引きこもりの表現

インタビュー  : アンヌ=ソフィ・テュリオン

         エリック・ミン・クォン・カスタン

インタビュアー:  高橋淳敏(ニュースタート事務局関西)

 

「ひきこもり」は、個人の無能力や怠惰を原因とされたり、病気や障害とも誤解され見えにくく、差別やハラスメントの温床となっている。会ってもいないのに「ひきこもり」と名指されることがある。部屋の中に閉じこもっていて、家族などから日常的なハラスメントに遭あっていても、本人の自覚がないこともある。フランス人アーティストのエリック(以下 E)とアンヌソフィ(以下 A)には、引きこもりは社会問題だと何度か説明して、意見交換をしてきた。引きこもるという動詞から派生し、90年代後半に流行した「ひきこもり」は、個人を指す日本語名詞だが、元々は「ひきこもり」が増えた社会の問題であった。引きこもる行為や引きこもる人に問題があるのではない。「ひきこもり」は、個人の問題や評価ではない。状態であり、現象である。経済成長によって地域社会が崩壊した後で、バブル経済は行き詰まり、企業社会は行き場なくあからさまな保身のため雇用を不安定化させるなどした。次世代を抑圧し権力や経済を維持する。核家族では正規雇用者が引き続き威厳を持った。一方で、非正規雇用が社会や時代の核になった。それなのに、「ひきこもり」だけに限らず、フリーターやニート、発達障害などへのバッシングや自己責任化は、現在も留まるところをしらない。そのところに欠けているのが、「ひきこもり」は社会問題だという当初からの問題意識である。「ひきこもり」はなぜ増えて、長期化し今も社会問題として深刻なのか。「ひきこもり」の増加によって社会が閉じられる被害妄想を抱いてはいけない。引きこもり問題を通してこそ、閉ざされた社会は開かれる。そこでは「ひきこもり」個人を変えようとすることには何の意味もない。今回は、日本の「ひきこもり」に関心をもって、自らの芸術活動を行うべく来阪した2人に、彼らの引きこもっていた人へのインタビューの合間に逆取材をした。

 

・ あなたたちはShonenカンパニーという団体をフランスで作っていますね。 

(E)Shonenカンパニーは協働組合でアソシエーションです。設立は2008年です。劇団のようでもあり、非営利組織で会社ではありません。私たちは舞台芸術や、舞台などの興行、映像フィルムの制作をしたり、私は振り付けをしたり教えたりしています。私の肩書は芸術ディレクターで公演など、プロジェクトごとに働きます。名前の由来は、少年漫画が好きで、「Shonen」としました。それでアンヌソフィの「等身大」という名前のついた芸術活動と出会ったことが今回の活動につながりました。

 

・あなたたちは今回のプロジェクトに日本語の「HIKU」というテーマを掲げました。

 (E)共同で行うときに、二人共の頭の中にあったのが、引きこもりや世になかなか出てこない人の言葉を借りた舞台がしたかった。表に出る機会の少ない人が、生の現場にでてきて披露してもらうことに関心があった。それで私たちも劇場というバブルを出て、外で出会った人を劇場に招くことを考えた。それが理想にあって、日本の「ひきこもり」に特に関心をもった。

(A)「引く」という日本語には、跳躍するための助走のような意味もあると聞きました。私たちのアソシエーションにとっても良い意味であり、人とコンタクトする上でも大事なことが含まれていると思いました。

 

・2年前に来阪した時は、どうだったか?

 (A)遠い国なので、母国語も通じないし、世界の端に来てしまった感覚はあったが、そこで出会ったニュースタート事務局関西の「鍋の会」という集まりの居心地が良かった。全く知らない人たちなのに、誰もが誰に対しても一定の決めつけをすることがなかった。それがとても心地がよかった。

 

・2年間、フランスでのコロナ期間はどうしてましたか?

 (E)私たちの間にはじめての子どもが産まれた。それが全てと言いたいが、仕事が打撃をうけ、生活が大変になりました。過去の活動を整理したり、映像作品にして売ったり、インターネットなどを通じていろんなところと連絡を取り合っていた。そんな中で、インターネットを通じれば私たちが今まで「障害」としていたものがなくなったり、リモートコントロールなどを使った芸術活動の可能性について考えることもできた。目標は2023年の舞台になったが、「ひきこもり」との関わりに時間をかける覚悟もできた。コロナ期間がなくて、すぐに舞台になっていたら、今のような交流はできていないので、表現も違っていただろう。新しいものを熟成させる準備期間だったと、今は考えられる。

 

・フランスでは「ひきこもり」がありますか?

 (A)フランスにも「ひきこもり」はありますし、HIKIKOMORIはフランスでも通用しつつある言葉です。昔の日本の引きこもっている人の印象に近くて、青少年とか不登校とかテレビゲームをするオタクのイメージが強い。日本は年齢の幅が広く、もっといろんな人がいて、長期化高齢化している印象があります。

 

・先の「鍋の会」もそうですが、引きこもり問題においては居場所が度々のテーマになります。どのような居場所が必要だと思いますか?

 (E)例えば、外の社会では無力だとされた人が、オンラインゲームの中でゲームの世界の案内をする場面があった。それも居場所になるかもしれない。隣で料理を作っていてその匂いがあったり、美味しいと感じるような身体的な感覚が伴う建設的な場所がいい。そして、嫌な質問をされるでもなく、ここにいてもいいんだという、心の錨を下せる場所。

 

・今回は引きこもっていた人とたくさん会って、個別に話しを聞きましたが。

 (A)自分の人生を一本の道に例えた人がいて、その道から落ちて履歴書に穴が開いたという表現が印象的だった。人間関係の濃淡がさまざまであった。あなたはお母さんから愛されたと思いますかという質問に対して、ずっと長い沈黙があって、その沈黙は永遠のように感じられた。そのあと「わからない」という言葉が返ってきたが、沈黙が言葉より意味をもっていた。

 

・引きこもりデモ(高槻市駅前で、この後5月20日に行われた)への意気込みを

 (A)たくさんのエネルギーが集まる場所になってほしい。

(E)アーティストとして「自由」とか「希望」とか、付け加えられるものがあれば協力して何かをやりたい。同じ時間、同じ場所に、そこにいることに何かを見出したい。

6月26日(日)おしかけ鍋の会

By , 2022年6月19日 10:00 AM

6月26日(日)おしかけ鍋の会 12時~16時 第472

場所:カフェコモンズ 

待ち合わせ:11時45分にJR摂津富田駅改札前

参加費:カンパ制

参加資格:鍋会参加前後に定例会に参加していただけたらと思います。

※集まってから手分けをして鍋を作りたいと思います。

もちろん差し入れなども大歓迎です!みんなで集まりましょう。

久しぶりの方も初めての方もぜひご参加ください。

※開催日時などの変更もあるかもしれませんので、参加希望の方は必ず申し込みください。

7月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2022年6月19日 10:00 AM

7月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

7月16日(土)14時から (280回定例会)
場所:クロスパル高槻 5階 視聴覚室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】

 

5月14日横断幕ワークショップと、21日例会報告

By , 2022年6月7日 9:31 PM

 

 5/1餃子パーティー、5/8押しかけ鍋の会でも横断幕へのメッセージ集めなどをしてきたが、5/14(土)には広い場所を使って実際に横断幕に字を描いていくワークショップを行った。これは、ニュースタートに関わってそれを表現活動にしていきたいとフランスから来ていたアーティストと引きこもりデモに向けて開催したもので、横断幕には「みんな みんな ひきこもり」「私は笑っていたい」「私は誰も排除したくない」「私は息子を助けたい」など、来れない人の分も含め一人称で語られるメッセージが載せられていた。他にも、「働きたくない」「働かせてくれ」とか「独りでいたい」「友達が欲しい」とか「言いたいことを言わせてくれ」「無理やり話させるな」とか「死にたい」「死ぬつもりはない」とか「社会復帰を押しつけるな」「社会を復帰させよう」などの言葉もあった。これらの横断幕は後日行われた「引きこもりデモ」で一人ひとりが掲げて歩いた。強い主張や何かに対する怒りを一方的に伝えるというよりは、自分の中での葛藤や願いなど普段心に押し込めている想いがわぁっとあふれ出たような横断幕でどの言葉も思い当たるような他人ごとではなく、デモでそれを目にした人にとって自分事のように、自分と何も変わらないことを感じられたのではないか。引きこもりは個人の問題ではないということが伝わるデモになったのではないだろうか。(くみこ)

 

 

 5月21日(土)クロスパル高槻にて定例会

15名(内家族の方は7組)参加でした。冒頭こちらからお話をし、その後参加された方から困っていることや今の状況などの話をしてもらいました。

 冒頭の話では、「いじめ」や「ひきこもり」が名詞化したことで、その被害を受けている個人だけの問題になってしまっていること。そのことによる社会の加害性に気づけなくなっている。

 皆様の話からは、高校のころから学校に行きにくいことがあり、その後なんとか大学に入るがそこで行けなくなる。そこから家族とも話さなくなり、どういう風に声をかければよいかわからない。その時に大学を辞めていない状態では、本人も周りもまずはどうすれば大学に行けるようになるかを考えてしまう。これからの人生自分がどう生きていくか考えて向き合うためにはまずは大学を辞めることも考えなくてはならないだろう。そもそも少し前までは大学に行っている時期にこそ、自分はどう生きていくか何がしたいかを考えることができる猶予期間であったのに、今の大学は学生たちがそういう風に考えられない空気があるのではないか。など話しあわれました。(くみこ)

 

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