NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第337回「いじめと自殺」

By , 2016年6月20日 10:00 AM

「直言曲言」は2013年11月からであるから、2年6カ月間休筆していた。勝手ながら今回再開させていただくことにした。理由は妻が「このままでは、ますますボケていく」と命じたからである。私自身、脳梗塞を発症してから一旦は死の床のつもりでぼんやりと過ごしていたのだが、10年を過ぎるとなると、このままではいられない、という気になってきた。いずれにしても手前勝手な理由で再開することは許していただきたい。さて、再開するとなると当然、書きたいことは「引きこもり」のこと。ひきこもりの原因は大人の与えた<ストレス>だと考えているので、引き続きそのことを書く。

直接引きこもりには関係がないのだが、最近「いじめ」を苦にした子どもの「自殺」がよく目立つ。もちろん、いじめがよくないのは明白だが、これを苦にしたからと言って自殺をしてしまうのは許されない。幼い時に子どもがいじめられたという経験は良くあるけれど,それで子どもが自殺してしまったのでは、親にとっても社会にとっても経験にも何にもならない。自殺をした子どもを責めても何にもならないが、近ごろは自殺をしたくなるように仕向けている大人がいるような気がしてならない。いじめを憎むあまりに、いじめられた子が自殺をするのが「当然だ」というようなマスコミの論調が目立つのではないか。もともと、いじめに対する対抗手段を持たない子どもは、大人社会の論調に流され、自殺を有効な抗議手段のように思い込んでしまう。本人は自殺後の経過など知らないにしても、他の子の事例を見ていると、いじめた子の名前をノートに書き連ねたりして、恨みを晴らすような意図も見受けられることがある。これも本人の意図とは別に、マスコミの書き方による効果だと思われる。

高校の体育の先生による厳しい叱責や体罰によって、校舎から飛び降り自殺をした生徒がいた。これもマスコミにより、いじめを苦にした自殺と報じられた。自殺はマスコミ報道の後だから自殺は報道のせいだとは言い切れないが、その後も体罰に対する抗議自殺が続いた。自殺に正当な理由があると思われかねない。もちろん、体罰もいじめと同様に非難されるべきことだが、抗議して自殺することを正当化できることではない。すべての迫害に対して自殺で対抗しようとするのは、弱者の視点である。自殺は敗北である。体罰や過度な叱責の是非は別として、すべての迫害に対する抗議の自殺が正当化されるとすれば、叱責自体が許されない犯罪ということになる。いじめにしろ叱責にしろ、自分に対する敵対的行為はすべて悪意ということになりいじめか否かの判別も出来ない。

命はかけがいのないものである。たとえ、誤って失ったとしても取り返しようがない。仕返しや抗議のために使ってはならない。

『374回目の鍋』と『375回目の鍋』(5,6月)

By , 2016年6月20日 10:00 AM

『374回目の鍋』
5月22日。もうすぐ梅雨ですね。基本的に雨の日は苦手(濡れる、風邪ひく、鼻水止まらない)なので、
とても憂鬱な事この上ないです。自称晴れ男の自分でも梅雨だけはどうしても防げません。
車で移動出来る人、歩いて移動出来る人が羨ましい……そんな中、今日も自転車で鍋の会の会場(ドミトリー)に向かいました。
鍋はトマト鍋+グリーンサラダが良いという意見があったのでそれに決定。季節的にもちょうど良さそうですしね。
……そしてなぜかニュースタート代表の高橋さんが珍しくやる気になり(失礼)、鍋のだし作りから始めていました。
香ってくるのはカレーのスパイスっぽいけど大丈夫かなという心配も。
自分の記憶の中の高橋さん=料理というと泥を食べた方がマシと言えるほどまずい韓国の臭い虫の炒め物なんですが……まぁあれは食材(と呼べるのかどうかも謎ですが)が問題だっただけなんですけどね。
何やら自信あり気な彼の鍋料理……完成してみたらしっかりトマト鍋で安心しました。
スパイシーな感じも意外とトマトと合ってて良かったです。ちなみに自己紹介のテーマは「改めて自分を紹介」にしてみました。
要するに普通の自己紹介ですが、こういう場だからこそ気楽に出来る=他の場での練習になる、と思っていただければ幸いです。
『375回目の鍋』
6月12日。雨は降るの? 降らないの? そんな天気。この季節はとにかくジメジメしていて蒸し暑いですね。
こういう時期に極端に弱る自分としては、鍋の会の鍋にパワーをもらいたいという一心だけで必死に自転車を走らせます。
さぁて、こういう時期に食べたい鍋はあるだろうか。一応、鍋料理は年中色んな物があるにはあるので、たとえ暑い夏の真っただ中でも問題はないのです。
ゴマタンタン鍋が良いという声が上がったので、じゃあそれにしようという事に決まりました(タンタン麺の鍋バージョン。締めはもちろんラーメン)。ついでに美味しい冷ややっこも個別に作ります。
ご飯を炊いたり、野菜を切ったり、どう切ればいいのかわからない人に教えたり、場合によってはだし作りをしたり。
思えば鍋の会に来たばかりの頃はこれらを何一つうまく出来ていなくて、出来ている人たちが別次元の人間で自分とは完全な別物とさえ思っていました。今慣れてなくてうまく出来ていない人を見ると、あの頃の自分と重なって見えるのが何とも不思議な感覚で驚いてます。出来る出来ないはあくまでもただの結果であって、やるかやらないかが人としての一番重要な起点となるのではないでしょうか。
昔は「自分なんかが絶対に作れるわけない」と思っていた鍋料理も、今や「誰でも簡単に作れる美味しい料理」という認識に変わったのも、そういう起点があったからこそなのかもしれません。話が逸れてしまいましたが、完成したゴマタンタン鍋と冷ややっこはとても美味しかったです!ゴマタンタンという事でお好みでラー油を垂らしてみたりするとピリっとしてさらに美味しい。
鍋の会が終わって帰る頃には雨が降っていましたが、鍋パワーのおかげと気合いで何とか無事に帰る事が出来ました。
ところで夏の鍋で検索してみると意外とヒット検数があるのはご存知でしょうか。
もし興味のある鍋が見つかったら是非リクエストしに来てください! つぼい。

7月の定例会(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2016年6月19日 10:00 AM

7月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

7月16日(土) 14時から (210回定例会)

場所:高槻市総合市民交流センター(クロスパル高槻) 4階 第4会議室

当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。

参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら

※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。

【高槻市青少年センターと共催で行っています】

「障がい者」 髙橋淳敏

By , 2016年6月19日 10:00 AM

その時代や地域に適しやすい人の姿はあっても、それらを超えた人の本来あるべき姿というものはない。この先、人の足が進化して自立できなくなり、ほとんど全ての人が車いすでの生活になれば、段差というものはなくなり階段なんてものは遺跡となる。「昔の人たちは歩くことができて楽しそうだったが、階段の上り下りなんて不自由な生活を強いられていた」と、未来人は車いすに乗り、遺跡を巡り、階段を見て感心するかもしれない。車いすであれば、部屋の天井は低くてかまわないし、建物が低くなり空は高くなる。そのような時代にも人の生活があり、経済があり、競争があり、社会がある。そして、車いすに乗っている人は障がい者ではなく、自立して生活する人こそが不自由を強いられ、今でいうところの障がい者となるだろう。

障害は機能の欠損であり、機能不全を個人が所有しているように、ほとんどの場合は語られているが、それは正しくはない。障害とは、社会の側から個人に対して設ける「障害」のことである。よって、障害は個人が所有するようなものではない。障がい者とは、欠陥ある個人などの意味ではなく、社会との機会を社会から奪われている人のことをいう。生存だけでなく、表現においても自由を認めている今の社会において、障がい者に限らずその機会を奪われている人は多くいるが、それは自己責任なのではなく、社会の機能不全の問題である。そのような社会を変えるためには、障がい者がその障害を乗り越えるのではなく、社会の側が個人の前に設けてある「障害」を取り除き続けるように考え、実行していくことである。そのためには障害を、「障がい」などと表記してお茶を濁したり、あるいは障害を個人の特性として美談に終わらせてはならない。社会が設けている「障害」を常に自覚していなければ、障がい者が社会にかかわり続けることはできないし、社会が「障害」を取っ払う機会が訪れることはない。

身体障害や知的障害とも並んで、最近では精神障害といわれるようにもなり、精神においても社会が「障害」を設けていることが、明らかになっている。もちろんそのようなことは以前からあったわけだが、このことは精神疾患などとされ医者の領分に追いやられていたことが「障害」として、社会との間に再提起されたのである。それにも関わらず、「障害」に対して無自覚な多くの医療関係者は、いまだ脳機能の障害であるとして個別診断、投薬治療などを行って、それを仕事としている。「障害」の問題を医療に任せる社会に担保されなければ存続できない医療事業に、「障害」を取り除く仕事はできずに、主には個人を障害化していくことがその業となっている。高機能広範性発達障害などという無内容な診断名は、医療事業の中の混乱であり、「知的に問題ないが広汎に発達の問題がある」ということなのか、もちろん個人を特定しているのではなく、今の社会や医療の「障害」をその名称は表している。ちなみにその障害における主な症状は、コミュニケーションにおける問題とされているが、まさにそのようである。

一方近年、「障害学」という新しい学問が出てきた。古事記が引用されるほどに障がい者の歴史も長い。奈良時代には琵琶法師をはじめ盲人が活躍し、第二次世界大戦下ではユダヤ人とともにドイツ人精神障がい者が同じドイツ人によって大量に殺害されている。障がい者がどのようであり、どのようにして扱われてきたかを見れば、その時代や地域のことで分かることは多い。「障害」は社会システムの機能不全により現れるのであれば、その社会が乗り越えるべき問題である。社会との間に置かれてある「障害」を、正面から取り除こうとすることがコミュニケーションであって、それにより新たな生活がはじまり経済が生まれ、歴史が作られる。現在の日本の福祉政策は、製薬会社や医療福祉事業などを無駄に儲けさせ「障害」を強固なものとしてより拡大している。さらには、支援費という名の兵糧や支援者をその仕事ごと「障害」の向こう側に投げ入れ障がい者と一緒に排除している。今の社会ではその「障害」を自覚するものが、障がい者であり当事者といっても過言ではない。障がい者はしばしば健常者の生活や安全を脅かすものとされるが、社会保障や戦争や暴力の問題はこのような経済のしくみに問題があるのであって、障が者こそが我々の生を明るみにし導き、保障してくれる存在なのである。

2016,6,17 髙橋淳敏

☆ドミトリーの壁塗っちゃうぞ大作戦!

By , 2016年6月1日 10:00 AM

皆様、ドミトリーの壁塗っちゃうぞ大作戦!ご協力ありがとうございました。
「塗りたいなー」とつぶやきながら一言に壁塗りといっても、色を決めたり、置いてあるものどかしたり、そして戻したり。。立ちはだかる本棚。。色々考えるとなかなか腰が上がらず妄想にとどまってはや一年。
やろって決めて漕ぎ出すと、早かった。
作業は大きくこんな感じ
#ペンキの色決める、材料購入
#本棚はじめ荷物をどかして壁をあける
#マスキング
#ローラーペンキ塗り&ハケで端処理
#本棚はじめ荷物の収納
#エネルギー補給準備♥親子丼&フルーツサンド
大まかには計画して声かけたけど、あとは皆さんで足りないところ思い思いに協力してくださり、2日半のスケジュールが、1日半で完成するという結果に。
まずは、荷物をどかして塗りに入るまでがなかなかのパワーがいりましたが、翌日ローラーでの塗りに入ると、なかなか楽しいと壁塗りは午前中に大方完成。
ポカポカ陽気の屋上でエネルギー補給したら、あとは塗り仕上げチームと乾いた壁に本棚を収納するチームに別れて作業開始。ついでに、レイアウトも変更しよーってことで、どっちかって言うと本棚整理が大変やったかも?(笑)でも、これでどこに何があるかわかるぞと言うTさんはヘロヘロになりながら満足気な顔。
リビング見るたびに気持ちいいです。。など嬉しい感想にニンマリしながら。
次はこんな色にしてみたいっていう妄想が新たに始まってます。 アユミ。かべ2

 
朝早くから(8時から順に来れる時間で集合)寮生やスタッフ、元寮生や久しぶりの元寮生のみなさんが一緒にやろうと集まってくれました。部屋の雰囲気ががらりと変わるからやろうと中心になって準備からぬり方まで教えてくれたあゆみさん(^^)ありがとうございました。毎年大掃除の時は他の部屋もあってリビングをここまできれいにする時間がないので、この日一日掛かりで壁塗りと模様替え、掃除ができたおかげで見違えるような部屋になりました♪鍋の会はこの部屋でやっていますので、ぜひ皆さん鍋の会に参加がてら見に来てください!(く

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