お悔み
ニュースタート事務局関西の活動を始め、法人設立時の代表者であった西嶋彰さんが2026年1月16日未明に亡くなられました。西嶋さんは、60歳を前にニュースタート事務局関西の活動を精力的に行い、多くの若者と交流し、社会が囲っている「ひきこもり」を解放してきました。「引きこもりは病気ではない」は、2000年前後の西嶋さんの主張ですが、今でもよく思い出しては考えています。一人一人の相談に真剣で向かい合い、できないことを言葉にせず、相手にとって簡潔で分かりやすく伝える言葉は、多くの場合において的確でした。病気になられて私が代表になってからは、返ってくる言葉も少なくなりましたが、いつも明晰に私たちの活動を見てくださっていました。私にとって最良の相談者がいなくなってしまいました。そして私は何度、西嶋さんに勇気をもらったか分かりません。私が理屈を言っては、人や社会を信頼できず躊躇していると「ここがロドスだ、ここで跳べ」と挑発されたこともありました。西嶋さんはたぶん私かそれ以上に本当は臆病な方だったのかもしれません。ですが、西嶋さんはいかなる時も、知性でもって大きな身体を前へと推進し、前へと倒れる所を見せてくれる方でした。人への理解が深く、真に優しい人でした。それには適いませんが、残りの私の人生は、その姿を思い出すことで生きていけそうです。長い闘病生活で、やりたかったこともたくさんあったと思います。お疲れさまでした、また鍋を囲んでおいしい酒を飲んで、大勢の人と楽しくやっていてください。
清潔に保たれている汚い布巾
雑巾よりも見た目が汚くみえる焦げ茶色した布巾が、台所で立っている視界の中に掛かっている。以前は、すぐ汚れてしまう布巾が、台所という食品を扱う場所では似つかわしくなく思い、洗濯機に放り込んだり、何枚かをローテーションしたり、化学繊維に変えてみたり漂白までしたこともあったが、布巾の用途として何をしようにもしっくりこなかった。布巾なんて使い捨ての消耗品である訳なので、一つを使い続けることを諦めて、用途に応じて種類を増やすこともやってはみたが、増やしたところで掛けておく場所にも困るし、そもそも掃除道具の煩雑さは本末転倒のようにも思えた。
この問題の原因でもあり、解決するきっかけになったのは、鉄フライパンの存在であった。ある時に、テフロン加工のフライパンが焦げ付くようになってしまい、その代わりに週に一回ほどしか使わない鉄フライパンをメインに扱うようになった。以前もそのようなことはあったが、代わりになるようなフライパンが手に入ることで、鉄フライパンは常にサブ的な使い回ししかされなかったが、今回はPFAS汚染問題について意識したこともあって、新たにフッ素加工のフライパンを購入することを躊躇っていた背景があった。今、売られているテフロン加工のフライパンはかつて主流であったPFOSとかPFOAは、ほとんどというか禁止されて使われてはいない。だが、PFASだけでも1万種類あるようで、そうではないフッ素化合物と言われても詳しく表記もされていないどころか、かつてはアピールポイントでもあった「テフロン加工」や「フッ素加工」の表記すらよくよく見ないと見つけられない小さな文字で書かれている商品が多かった。そういう不信感もあって、PFASではないのは分かっていても、他のフッ素化合物ならば安全かもよく分からないし、表記も信用ならないところもあって、店先でフライパンを購入するには至らなく、ようやく鉄フライパンに向き合わざるをえなくなった。
布巾に使うものは、よくあるタオルの半分以下の大きさで、綿100%であればいい。汚れや水けを拭き取りやすいような触れ込みの化学繊維なんかが混じっていると、高温になった鉄フライパンを冷まさなくてはならない時に使い物にならない。鉄フライパンが焦げ付かないようにするためには、必須ではないものの濡らした布巾があればとても便利になる。だけどこの時に、綿であっても多少は変質していくし、何よりフライパンの底の焦げとか汚れが布巾に付着する。それが布巾の見た目を汚くする。でも考えてみると、200度を超える鉄で布巾の水分が熱せられ湯気が立ち上るくらいなので、布巾はその都度消毒もされている。匂ってみればわかるが嫌な臭いもしなければ、高温ですぐに乾きだすので干していても乾きやすくカビなども生えにくい。その布巾で台所周りを拭いて、また料理するときに水で洗って高熱消毒してという循環が生まれることになった。鉄フライパンが育つと同時に、汚れは布巾が育っていることがみえるので、愛着もでてくる。他の人から見たら、ただ汚い布巾なのかもしれないが、とても清潔に保たれている愛らしい布巾である。
いや、まあただそういう話しなのだが、引きこもりとも直接関係なく、なぜそんな話しをここに書いたかというと、他にも類似するような話があって、ここには字数の関係上書けないが、結論から言うと見た目ばかりを気にして、汚そうなものを少し遠くに追いやることによって、後戻りができない真に汚い世界になってしまったのではないかという壮大な話しをしたかったのです。万博のようなメガイベントにおけるクリアランス、野宿者や風俗の排除のことや、近所にできた駅前のマンモス私立大学の見た目ばかりの建物のことや、私たちの源である土の中のこと。赤ちゃんの肺はこの世界に晒されてからは、わが濡れ布巾のごとく日に日に汚れていく訳で、私たちは生きていれば汚れないで生きることはできない。むしろ、汚れていくことに愛着や価値もあるわけで、それを見た目で排除することはいけないよって、優しい話。
2026年1月17日 髙橋淳敏
12月28日(日)忘年会を開催しました。持ち寄りの会だったのでこちらでは飲み物とご飯ものを用意していましたがみんながいろんなものを持ち寄ってくれてお腹いっぱいの豪華なご飯になりました。からあげ、ハンバーグ、卵焼き、麻婆豆腐に豚肉と芋を炒めたやつ。ポテサラにお鍋もあり、ワイン、ポテチ、チョコ、クッキー、ミカンなどデザートまで。いつも事前に何を持っていきますとか言わないけれどなんとなくバランス良くなるのが不思議です。今年はどんな年だったかなど話しながらゆっくりと過ごしました。一年過ぎるのはあっという間のような、あの事があったの今年のことかぁ!と長いような。なんやかんやで元気に忘年会集まれて良かったです。
1月11月(日)餅つき鍋の会です。8名参加でした。この日は全自動の餅つき機でお餅をつきながらお鍋も用意して食べようという贅沢な鍋の会でした。12時からスイッチオンでちょうどお鍋の用意ができるころ一回目のお餅がつき上がって丸めてそして出来たてを食べる!あんこで大根おろしで醤油で(^^♪お鍋に入れてお雑煮にする人も。ほんとにお餅はお腹いっぱいでも入ってしまう不思議な食べ物ですよね。一通り食べたら二回目のお餅のスイッチオンしてその間に自己紹介タイムです。今年の抱負などをテーマに話しましたが、健康に気をつけていきたいという内容の人が多くて、年齢層が高くなってきたのかなぁと(笑)さてお鍋もお野菜たっぷり第二弾ができてお餅も二回目がつきあがりました。ぜんざいを用意してくれていたのであんまいあんこのお汁でできたてのお餅を食べたりしました。もうさっきお腹パンパンやったのにまた食べてしまう…。最後はみんなで4個ずつくらい袋に入れてお土産にしました。美味しかったです。(くみこ)
1月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
1月17日(土)14時から (322回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。
詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
12月20日(土)例会がありました。6名(内家族の方が4名)参加でした。今回は冒頭に例会のあり方について、鍋の会のこと、通信のことなどを話しその中で、通信にいつも載せている代表の文章について難しいかどうかなど聞いたりしました。その後この時の通信の文章について話しました。近代になり、精神と身体を分けて考えるようになる。精神は肉体とは独立していると。この考え方で引きこもり問題を見てみると、引きこもりを解決するためには本人の気持ちや考え方を変えればよいということになる。そんなこと可能だろうか。周りの環境や本人に対する他人の関わりに精神は依存しているのではないか。だからこそ本人の気持ちや考え方をコントロールしようとするのではなく、環境を変える、身体の健康さを考えたり、誰と関わるかなどが大事になるのではないか。
みなさんの話から。子が引きこもりだして色んな段階を経て少し落ち着いてきたころ、家の中は静かではあるが本人の動きがなくなることは心配でもある。そういう時はどうしたらいいのか。そういう風に引きこもりの状態で生活を続けていけるということは家族や周りがその生活を支えているということ。今までやり続けていたことをやめてみる。そんなことしたら愛されていないと感じるのではないかと不安でやめれない方もいるかと思います。そんなことで愛していないということにはなりません。本人は口では愛していないのか!というかもしれませんが、それを続けることが本人のこれから動いていくためのブレーキになっているんだとしたら、続けることの方がひどいです。悪者にされることを怖がってお世話し続けてしまうとそれは結果的に本人のためにはならないのではないでしょうか。引きこもりに関係なく、満ち足りた生活を与え続けることが必ずしも子どものためにはならないだろうなと思います。足りなくなるからこそ、あれが欲しい、食べたい、こんなことをやってみたい、など欲望がでてきてそのためには自分で動かなくてはならない(親に頼っててもやってくれない)状態になることも重要なのではないか。(くみこ)