NPO法人 ニュースタート事務局関西

8月例会報告

By , 2024年8月29日 9:34 AM

8月17日(土)11名参加(内家族の方は2名)でした。フランスからアーティストの二人が参加していました。彼らとは5年くらい前からの関わりで、引きこもりの人と表現活動をすることで彼らが動き出せるのではないかと何度も日本に来てニュースタート関西の活動に参加し私たちと長い時間を一緒に過ごしました。その中でニュースタート関西の活動の映像と、そこで出会ってつながりができた3人との遠隔での出演による演劇をつくり、2年前くらいからフランスで公演を重ねています。「HIKU」というその演劇はフランスで1年間に25公演ほどあり、評判も良くこれからは他の国や来年の春には東京での公演も予定されているそう。日本において「引きこもり」とは個人の問題であり深刻で、外に向けて表現することはほぼないが、彼らはそれを社会問題として表現活動をするところが面白いし学ぶところが多いです。
 8月の中頃に千葉のニュースタートを訪問して、代表の二神さん、スタッフの方々とも話をしてきました。ニュースタートは「ニュースタートプロジェクト」から始まっている。引きこもりという言葉もまだなかった頃にそんな状態の若者10人ぐらいをイタリアの農家に連れて行き2,3か月過ごすというもので、そこでは地域の人たちが何の偏見もなく関わって彼らも役に立てたりしただろうことは想像できる。その間元気に過ごした彼らは日本に戻ってきてまた同じように引きこもってしまった。その時、出てこれないなら迎えに行こうと事務局のスタッフが訪問したところから訪問活動が始まり今のニュースタートの活動が始まった。この「迎えに行く」ということの重要さ。誰も迎えになんて行かない。医者も相談窓口も困っている人が来るのを待っている。迎えに行くということは、自分たちの側(社会の方)が変わっていきますと言っていることになる。「待っている」ということは、そっちが変わってから来いとうこと。力の強い方が待つことになるのなら、訪問活動というのは引きこもっている人のホームにアウェイの他人が入っていく。そのことに意味がある。
 学校に行けなくなった人には学校に行こうより、行くな(個人が傷つけられるような差別されるような状況の場所なら行かない方が良いと親が本心で思えるなら)と言った方が本人はじゃあ自分はどうするかと考えなくてはならなくなる。自分で選ぶこと。本人に勇気もいるし、親もその子の選択を応援できるか試される。緊張のやりとりだ。
 就職氷河期には社会から「いらん」と言われた多くの若者がいた。そのことから引きこもりになった人も多かっただろう。しかし今は逆に若者が少なく「必要だ」と言われているのに若者が拒否している。そのことで少しずつでも社会は変容してきてはいる。若い人に寄り添って会社の方が変わってきているところもある。それなのに働きたいと思えないのはなぜか。働くことのその先に幸せがあるのか見えづらい。昔は一生懸命働けば幸せになれる、というような社会全体からあふれる雰囲気があったのかもしれない。
 親と一緒に暮らすことについて。親と子は違う人間で全く別の価値観をもつ。だからずっと一緒に居続けることは困難で、離れたいと思うことは自然。親は子にやりたいことを好きなようにやって欲しいと願うが、その子のやりたいことは親にとっては全く価値のないようなものに見えることもあるかもしれない。そうなると親の気持ちを考えるような優しい子であればあるほど、親が好まないことはわかるからやりたいことがあっても言えないし動けなくなる。子が家から出ていく一番大きな原動力は「家にいたくない」だろう。「家は居心地よいけれどやりたいことがあるか出よう」というのはよほど具体的にやりたいことがあり目指していることがなければ難しい。しかも引きこもっている状況では誰からも大人として扱われることはなく、家から出られる自信などできない。もし子が家を出る話をする時は、どうやって出てどう暮らしていくか話し合い背中を押せるかは、一人でも生きていけると信じていないとできない。子を信頼するということ。
 他に話の中で、大変になっていくこれからの時代に「引きこもっている場合じゃない」という言葉がありました。社会の生きにくさに気づいた私たちこそ社会を変える力がある。1人でやるのではなくてみんなで話そう。考えて自分たちでやっていこう。(くみこ)

9月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2024年8月17日 5:00 PM

9月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

9月21日(土)14時から (306回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。

「ニュースタート事務局」の支援活動について2髙橋淳敏

By , 2024年8月17日 5:00 PM

「ニュースタート事務局」の支援活動について2
 この夏、ニュースタート事務局を訪問した。私たちニュースタート事務局関西とニュースタート事務局は、別法人である。最後に千葉県行徳にあるニュースタート事務局へ訪問したのは、直後に安全保障関連法案に反対する国会前を観に行ったので、9年前の2015年だったか、ニュースタート事務局20年の記念集会へ行ったのだと記憶している。そのニュースタート事務局は、来年の12月に活動を終了すると今春に宣言した。ニュースタート事務局は30年ほど前に行ったニュースタートプロジェクトが、今の活動の原点にある。当時は「ひきこもり」という言葉はなかったが、引きこもっている状態にあった10名くらいが、2,3ヶ月イタリアの農家に長期滞在しに行くプロジェクトだった。そこでは、皆が引きこもることはなく地域の人たちと交流したり、農業体験などして過ごしたというエピソードがある。そのプロジェクトの名前が、そのまま法人の名称になり、私たちがニュースタート事務局関西と名乗っているのも、それが由来になる。だが、このニュースタートプロジェクトには、もっと核心部分の続きがある。イタリアの農家では引きこもらずに活動できていたのに、日本へ帰ると、ほとんどの人がまた引きもる状態に戻ってしまう。なので正確には、ニュースタート事務局の活動は、日本に帰って若者が引きこもる状態に戻ったことから始まっている。ニュースタートプロジェクトではなく、日本社会で引きこもる状態にある若者と向き合うことから、この社会の引きこもり問題を解消していくことが、この法人の使命であった。そこで、プロジェクトの事務局員にあったスタッフが、事務局に来ないのなら家に迎えに行くと言って始まったのが「レンタルお姉さん」の名前で有名になった。レンタルとは、俗っぽく言われているが、ただ事務局から人を借り出すことで、そのネーミングがされたと聞いている。ニュースタート事務局の活動のほとんど重要なことは、このプロジェクト前後のエピソードの中にあると私は考えている。今回は、関西では「訪問活動」としている家へ迎えに行く活動、レンタルお姉さんのことではなく、イタリアでは引きこもらなくなった人が、日本でまた引きこもる状態になったことについて考える。
 当時は「ひきこもり」という言葉はなかったが、引きこもる状態にあった人たち、そういう人たちのことを私たちは想像することはできる。もちろん、人格も別々であるが、それはたぶん今とさほど変わらない。そういう状態にあった10人が、イタリアの農家に長期で滞在するのは、まず行く気になるかがなかなかに難しく、すべての人ができるわけではない。だが、今の状態で変わらないのなら、行ってみようという気持ちになる人のことは、分からなくはない。引きこもっていたからこそ行ってみる気になり、そういう人が10人いることは、不思議なことではない。行った先にもよるが、行った先の農家で農業体験などしながら、外で元気な姿をみせることも想像はできる。外で身体を動かすようになれば、慣れない言語の中でも、多少のコミュニケーションができることも分かる。あるいは、慣れない言語だからこそ、片言だったりボディーランゲージだったりで、日本語よりも多弁になることもあったかもしれない。そういった異国で、地域の人から声をかけてもらうことは怖いというより、楽しみになったかもしれない。そして、日本から一緒に行った人たち同士で、喧嘩もあったかもしれないが、少しは仲良くなっただろう。農家で、迎え入れてくれたホストがいた話しだったから、一方的な旅行なんかに比べると、少しは深い関係を築くことができたかもしれない。だが、そういう経験をした人たちが、日本へ戻ったら、また引きこもってしまった。このことが、一体何を意味するか。すばらしく単純明快で、とても重要なことである。
 要約すれば、「ひきこもり」とされている問題は、そういう状態にある個人に問題があるのではなく、日本社会:地域や家や学校や職場に問題があるということだ。同じ人が、イタリアの農家では引きこもることはなかったが、日本の社会ではイタリアでの経験の後でも、再び引きこもる状態に戻ってしまった。これは、個人の問題ではなく、社会の問題である。「ひきこもり」と個人を名付け、「支援」する活動のほとんどすべては、このエピソードと180度逆のことをしてしまっている。「ひきこもり」とし、個人を「支援」し、個人を変えて、社会に「適応」させ、「自立」をさせようとしている。このエピソードが示唆しているのは、「ひきこもり」とされる問題を解決するのは、個人ではなく社会の方を変容させることである。少なくともニュースタート事務局や私たちニュースタート事務局関西は、個人支援をしないとは言わないが、その前提として引きこもり問題によって変容する社会を考えている。それは、個人が親の敷いたレールに戻ることではなく、適応することではなく、既存の社会の中で自立を目指すものではない。個人を変容させ、社会に適応させれば、「ひきこもり」を生み出す社会は強固になっていくしかない。端的に「ひきこもり」を自立させることは、「ひきこもり」は増加させることに等しい。そして、これは支援が自立を促した現状と見合っている。30年経って、「ひきこもり」支援は増え、「ひきこもり」も増えた。この茶番に対抗できるエピソード、ニュースタートプロジェクト後の神話が、私たちの法人にある。ずっと最初からあった。
 さて、それでは日本の社会が、イタリアの農家のようになれば「ひきこもり」はなくなるのかと言えば、そういう問題ではない。引きこもっていた10人が、日本の農家に滞在したところで、そこでは引きこもらずにすむ人があったかもしれない。大事なのはいろんな経験をして戻った後、私たちの日常のことだ。問題は、今ある社会である。社会が変わっていく目指すべきゴールが最初からあるのではない。何度も言っているが、「ひきこもり」という問題を通して、社会の方が変容するのである。そういう人権意識を、社会に問うていかななくてはならない。一人の人の生や人権を通して、社会が変わっていく。学校に行かない生徒を変えるのではなく、学校に行かない生徒によって学校という場が変わっていく。それができて引きこもり問題は、ようやく解消する方向へいく。多くの「ひきこもり」が個人支援によって、今の社会に「適応」し「自立」していくことは不可能なのだ。この30年の引きこもり問題の歴史がそれを証明しているし、むしろ問題はより深刻になっている。「自立」とか「支援」とか「適応」などの言葉を、根本から問い直し、その概念をこそ治療していかなくてはならない。「ひきこもり」を問題にしたのは、日本社会であって、そこに何もなかったと逃れることは出来ない。端的に「ひきこもり」は差別用語である。それを日本社会のほとんどすべての人が差別意識を持ち、そのことを黙認してきた。社会の問題を、個人に押しつけ、差別者でありつづけた。そして、「ひきこもり」と差別された被差別者は、引きこもる自らを否定し、自らが差別者となることで、自立する道を選ぶものもあった。引きこもりを生み出す差別社会は問題とされず省みられることもなく、「ひきこもり」は増え続けた。そのような悲劇は、断ち切らなくてはならない。このような立場から私は、現在検討されている「ひきこもり支援法(仮)」成立に断固反対する。
2024年8月17日 髙橋淳敏

9月の鍋の会

By , 2024年8月17日 4:59 PM

日時:9月8日(日)12時~16時 第496回

みんなで集まってから何鍋にするか考えて買い物に行って鍋を作ります。初めての方も久しぶりの方も大歓迎です。参加される方は必ず申し込み下さい。

場所:「へそでちゃ」(JR摂津富田駅から徒歩15分弱)

待ち合わせ:11時45分JR摂津富田駅改札口

現地に来られる方は12時までに来てください。

参加費:カンパ制 

参加資格:鍋会前か後に引きこもりを共に考える交流学習会に参加

8月3日祭り報告

By , 2024年8月9日 1:30 PM

 8月3日(土)へそでちゃの夏祭り無事に開催できました。午前中の子供向けの絵を描こうの時間には、1歳の子が一人来てくれましたが人は少なくのんびりと絵を描いたり話したりして過ごしましたが、昼からは続々といろんな人が集まってきてくれて餃子の用意や15時からのラップのワークショップや17時からの路上パフォーマンスに向けても暑い熱気が集まってきて部屋にはクーラーがついていましたが(クーラーをと寄付してくださった方がいて祭りの前日につきました,笑)頭はのぼせそうなくらい暑かったです。餃子は皮から作ろうという声があり、3キロ分の粉をこねて寝かせて一個ずつに丸めておいてそれを直前で薄くのばして具を包んでいく。たくさんの人が集まりお互いに話をしたり作ったり、とても濃い~時間が流れていましたが、その日朝からの絵を描こうの用意から気を張っていた自分は急に電池が切れてしまい、餃子の完成を見るまでは力がなく、志半ばで「すみません、疲れたので帰ります。。。」と家に帰りました。その後また餃子を包んで焼いて後片付けをしてと、ものすごく大変だったと思いますがその大変な過程を来てくれたみんなと一緒に過ごせたことが何より大事な時間だと思います。途中までだった人も途中から参加された人もお疲れさまでした。これからもへそでちゃで何かやろうとみんなが集まればおもしろいですね。(くみこ)

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