鍋の会が変わります!
8月からは(7月28日は今まで通り、よるべで行います。)鍋の会は色んな場所で開催しようと考えています。日時もその都度変更しますので、この通信やHPでお知らせしていきます。名付けて、「おしかけ鍋の会」!引きこもりの人がいる家庭や、引きこもり問題に取り組む団体や法人の方とも協力して、場所を使ってほしい、うちでやってちょうだいという声があればどこへでも向かいます。ぜひニュースタートがやってきた鍋の会を色んな場所で開催するために皆様のご協力やご支援をお願いします。

◎募集します。
鍋の会を家でしてみようという方。事務局までお問い合わせ下さい。まずは今の家庭の状況について話し合い、日時など決定していきたいと思います。
8月の定例会(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
8月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
場所:高槻市総合市民交流センター(クロスパル高槻) 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】
「家を開いて鍋の会をしよう」髙橋淳敏
引きこもり問題に直面している家族に限ったことではないし、今に始まったことでもないが、家族はずっと閉じている。近隣との付き合いもなければ、親戚との付き合いもなく、家の中に家族以外の他人が入ってくることもなければ、子どもが中学生にでもなれば他人の家で一緒にご飯を食べることもない。家の外も閉塞している。個人商店がなくなり、飲食居酒屋大手チェーンやコンビニエンスストア、ショッピングモールが飽和状態で、都市部も田舎も郊外化している。人が集って飲食できる場所は、そういった店の個室かイートインコーナーくらいか、喫茶店もカフェになり出会う場ではなく個々が消費する有料休憩所になっている。公園や路上や河川敷も誰のものでもなければ、誰かのためのものではなく、行政や委託された業者の管理下にある。ベンチやゴミ箱すら減っていき、野宿者も追い出された。引きこもりの自助会的な集まりは、カラオケボックスやら公民館の部屋を時間で支払い借りて、懇親会は安い酒やフリードリンクで選択肢の多いメニューのファミリーレストランなんかで行われた。そのような交流でとりあえずは生きていくしかないなと確認しあいながらも、それぞれでやるしかなく多くは解散し集まりも少なくもなっていったのであった。
一方で便利にはなった。買い物にいかなくてもお金さえあれば世界中の商品が自宅に届くようになり、店に行かなくても店で作るような料理が自宅で安価に食べられるようになった。そして、実際に会わなくても世界中の人とリアルタイムに映像や音声で通信ができるようになり、世界中の人の表現活動を居ながらにして触れることも出来るようになった。災害でもなければ、近隣や親族も含め、会う必要もない偶然の他者と集わなくてはならない理由はなくなった。価値観の違う人と一緒に居ることはないだろうと一人部屋の中で思いながらも、対立し炎上するようなインターネット上でのやり取りを傍観するようになっていた。代理紛争的なものが家の中に氾濫し、親子の本来ある対立点は避けられ外からも隠されたままになっている。そして、家族生活の目的は生きることを共にする共食共同体ではなく、家は個々の構成員たちが意図しない他人一般を入れない自衛のための城へと変わっていった。このようにして家族を小さく守る生活や閉塞した町は、個を保存はできても種は保存できない。少子化問題だ。私たちは「家族をひらく」を合言葉に日々の活動をしてきているが、引きこもり問題の原因は、この機密性の高い家族を構成している親主導で続けられてきた生活スタイルであり、そういう家族だけを前提に経済政策を行ってきた戦後政治こそが、引きこもり問題の当事者たちだ考えている。引きこもらされている若い人を無視するわけではないが、この引きこもり問題当事者たちを変えないことには、引きこもり問題の解決には至らない。
この家族の変化の社会的背景は今の10代や20代の人にはもはや昔話のようでピンとはこないだろうが、それは戦後の経済成長期に始まり今に続いているのだった。引きこもり問題が表面化したのは戦後生まれの団塊の世代が家族を作り親になり、団塊ジュニアが社会に出るような年齢、今から20年も前に社会問題となった。1960年代から1990年までの約30年間、成年になった男子のほとんどは、正社員や公務員などとして雇用されサラリーマンとなり、成年女子は結婚し専業主婦やパート労働をしながら、子どもを1人2人産んで核家族を作り都市部の団地やマンションなどに住むようになった。4人5人と子どもを産むのは親しみがない人たちが密集した狭い住居(世間体)や教育費の都合なんかを考えると難儀であった。地域や親戚を失った子育ての不安は、消費活動と受験教育の過熱を引き起こした。高度経済成長期だ。都市部や郊外で生きていくためには企業などに雇用されるしかなく、少しでも豊かに暮らすならば点数の高い学歴を得て雇ってもらうしかなかった。受験のため子どもたちを早くから塾に通わせるようになった。大学は企業に就職するためのアリバイ機関として先鋭化されていった。働く=雇われるということではないのに、仕事=正社員とされ、生きるための学問は営利企業に雇われるための学問として誠実さを失い教育は歪んでいく一方になった。当然のことながらこのような学校教育が不登校生をつくったのであって、一般的に認識されているその逆はありえないのだ。それでも、雇われる以外の生きながらえ方を親は知らず、登校拒否児童を学校に戻そうという親たちはあとを絶えなかった。そんな中で次世代の人間不信や対人恐怖は積もっていった。そして、バブル崩壊後の就職氷河期という最悪の事態が起きる。引きこもり問題が社会問題化したのはこのころだった。
ここでさすがに親は方向を見失ったと反省すべきで、政治的にも転換点のはずだった。当時、大量生産や環境破壊、消費や物欲ばかりで人間関係の希薄さを問題にするような世論はあったが、この人的大災害に対して政治は地道な経済を復興させようとしたのではなく、さらに大企業を優遇することでまだ中国などの新興国に負けまいと若者の引きこもり問題やフリーター労働問題などを棚上げし、過去の経済発展にすがる判断をしたのだった。震災復興も巨額の公共事業を既存企業に投じる同じ路線で行われた。ここからは後戻りができず、さらに悲惨な失われた20年といわれた状況が始まった。戦後必要だった経済発展ではなく、経済成長を強要された金融主体の神経戦は、勝ち組負け組み正規非正規など民を分断した。それが失われた20年、若者たちは周到に力を削がれ、外へ出ればかつてパート主婦たちが副収入として開発したアルバイトという働き方しかなく、引きこもり問題はその当事者として押し付けられたのであった。
上に書いたようなことは一つの側面ではあるが、言わずと知れた現代生活史であると考えている。現在20代で引きこもっている親の年はおよそ50代、経済バブル期に就職していった最後の世代である。引きこもり不登校問題前夜、校内暴力などが社会問題となり一時は派手に反発もした世代である。8050問題なんかといわれ、介護と引きこもりと子育てが一緒くたにされるような年代で、今の50代が親であるにしろ子とされるにしろ引きこもり問題の中心に当てられているようではあるが、あと十年以内に団塊ジュニア周辺ロストジェネレーション世代が親となり再び引きこもり問題に直面する。すでに最近、中学生は学生が減っているのにもかかわらず、不登校生は急増している。私たちに何が出来るのか、待っていてもだめだ、大本を断とう、家族を開きにいこう、そうだ家で「鍋の会」をしよう。人によって断たれた信頼は人によってしか回復できない。声かけもしますが、呼ばれたらどこへでも行きます。一大事業になります。会場、ご参加、ご協力、ご寄付などお願いします。
2019年7月19日 髙橋淳敏
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