「引きこもった日々とニュースタートに関わるまで」田中一成
最初から引きこもろうとした訳ではない。いつの間にかという感じで仕方なくも生き方が決まらず解らずという状況で引きこもらされていたとも思えた。
就職活動もせず短大を中退する形で学生生活が終わりニ十代前半頃は世間ではフリーターやニートと呼ばれる存在になりました。そういう立場である自覚はありましたがその頃は焦りや不安はそれほどなくその時は自由に時間を使いたいと思って縛られない生活をしようとしました。なんだかんだで今までの学生生活も大変だったしその反動が出たのかもしれません。仕事は無くてお小遣いも少なく将来の不安は考えればありましたが自由奔放でもあり騙し騙しでもあり過ごしていました。この頃が一番ゲームセンターに通った頃でそれはそれで楽しくも感じていました。ただ不満があったのは意外と色々なものから縛られて学校や仕事無くても気持ちが休まる事はありませんでした。バイトくらいは高校の頃から複数回経験して、それなりに努力や苦労もしてやってはきましたが良かった印象もなければできなくもない感じは今もあります。お金が欲しくなり自分でもできそうなバイトに応募するくらいの動機です。あまり世間体や親の促しにも関心無くマイペースに過ごしていました。この頃には仕事だけでなく社会参加するという枠組みには疑い、自分の存在には諦めもあり、関わりたくないとそんな風に思っていました。考え方にも様々な影響が出て、将来の自分は人とは違う生き方を求めてもいたしそれが解らなくなり見えない未来に絶望もしていました。僕にとって人付き合いもお金がかかるものだしそれに伴い恋愛や結婚も無駄で負担が増えるものだという考えで仕事も必要以上にはしたくない。仕事をする意味も自ら無くしていき、どうしても必要になった時にどうにか食っていくだけでいいと考えていました。お金は欲しいが代償が大きく感じていました。食事も楽しみや喜びは無く食べて出すという動物なら当たり前の循環が醜く下品に感じて食べる事も最低限の健康を維持するためだけに食べました。他の人はなぜ食べて美味しいと感動したり喜べるのかと疑問を感じる事もよくありました。他にも独創的でもある色々な感覚がありましたがある意味廃人か仙人か分からない不摂生な生活を健全だと思いながら送るようになっていきました。長い間実家に寄生しながら基本は外出してお金があればパチンコや競馬などに行きそれほど大損はしないようにして少し儲けるとお金が無くなった時のために家で暇を潰せるようにゲームソフトやマンガ本を買ったりしていました。この頃でも低燃費で過ごせるゲームセンターにはよく行っていました。家で晩ご飯は当たり前にも出てきて寝床はあり暇は潰せる環境ができて当面は社会参加しないで生活する形が整いました。この頃はそんなに良い状況でいる訳でもないのに不思議と少しでも長くこの環境や状況を現状維持したいという気持ちでした。状況が変わらないように没頭していました。日々の不満や将来の不安があるような感情を出す事も周囲に悟られると事態が動き出しそうで自然と何も言わない状態が定着していった。それは意識してなるものでもなく自然に身について苦にもならなかった。都合の悪い過去や現状から逃れて隠れてもみ消してしまおうと考える事で楽になった気もしました。未来に絶望する程でもなく、だから死にたいとか消えたいとか思うでもなく、でもいつ死んでも別にいいかと思ってもいました。他にも感情や考え、実際に起こった事など無数にありますがここまでで7~8年の長期の出来事ですべて取り上げる事も難しいのでこのくらいで区切りをつけます。
そしてそんな頃合いに母親がニュースタートへ相談に行ったと思います。もちろん僕は何も知らなかったので細かい事は分かりません。ある日自分宛てにハガキや手紙が届き始めました。全く知らない人から自分宛てに郵便物が来るので親が何かしたのだなと見当はつきましたが、正直全然関心がなく手紙を開けて読む事もありませんでした。外に出ていて家に帰ると親から聞き慣れない名前の人が家に来て自分の事を会って話がしたいと待っていたと言うがやはり関心が無い。留守を数回か繰り返したが抵抗するつもりも無かった事もあってやがて僕が家にいる時に遭遇する事になる。それが髙橋さんだった。一番初めは家の居間で家の人には部屋の外に出ていってもらい一時間ほどだったかと思うが二人で話をしました。その日はそれほど深い話にはならなかったけどできるだけ素直に話をしようと構えていました。それだけ自分の考えに自信があり、働きたくない事や結婚する事の無駄などこの日だけでなく後々にも話をしていきました。自分は引きこもりではないとも言ったと思います。逆に聞き慣れない言葉などはできるだけ聞き返したりして知らない事を知るようにも心がけたと思います。家で話すのは落ち着かず二回目以降に会う約束は外で待ち合わせをして話をしていった。話していく内にニュースタートの場に誘われて行く事になりましたがそこまで動じる事はありませんでした。自分自身の考えや性格は変えなくてもいいし見栄を張らずに話が対等にできればそれで良くて、なんとなく誘われた場がそういう所だとこれまでの会話で読みとれていたので、誘いには簡単に返事をしたと思います。そして参加したのが鍋の会でした。
初めて行ってみて自分なりに落ち着いてもいましたが苦労の連続でなかなか楽しめたものではありませんでした。知らない人ばかりですごく疲れて逃げ場も分からず隅の方で目立たず黙っていても些細な事で話しかけられ落ち着かない。世話好きなおばちゃんが「若いからいっぱい食べるでしょ」と僕にお椀山盛りの鍋をよそう。キノコが嫌いだと言い出せず黙々と食べた。タバコを吸いに換気扇の下へ移動をするもすぐに誰かが近寄り話しかけられる。数年振りに飲んだビールの味も覚えていません。こんな感じで僕自身は気苦労もありましたが、他の参加者は何気ない会話や久しぶりに会った事などに喜んでいたりリラックスしている様にも見えました。とにかく周囲の人達はこの場を楽しんでいて不思議にも思った。当時の僕にはこの場の価値観みたいなものが理解できずにいました。毎月第二第四日曜に行われている鍋の会にその後も参加する事になりました。動機は単純で鍋の会に行く事で親の口封じになりました。「これからどうするの」とか「バイトでもしたら」とかそれほど言わなくなり、「ニュースタートで友達でもできたか」とか「どんな事をしている」とか聞かれる様な変化がありました。それはそれで親に教えるのも不愉快で黙っていましたが。鍋の会に行く名目で定期的に交通費を含めたお小遣いも自分にとって好都合でした。少なからず変わらなくて良いと思って行き始めた鍋の会で何かが変わっていく感覚もありながら数カ月は通い続けていました。鍋の会の常連になり初期の頃程神経を使わなくて居れるようになっていました。会の終了後にも4~5人で近くの居酒屋で二次会と称して盛り上がっていました。この頃には数人と気心知れた関係ができていました。同時に平日に行っていたスポーツにも誘われて参加するようになりました。誘われたのはスタッフではなくて寮生かニュースタートを利用している若者だったと思います。フットサルやソフトボールは自分の知り合いだけでは試合をする程の人数は集まらないしここでしかできない貴重なものだと思って楽しみました。それでも高槻に来るのは月に4~5回程度で今までの生活から抜けてはいませんでした。家では家の顔があるようなニュースタートでの顔もあるような…。どっちが本当の自分かどっちも本当の自分か。はっきり解りませんがキャラは全然違っていたと自覚しています。ただやり続けていた競馬やゲームの話なんかは同じ趣味の人と話ができる良いネタになったし、何気ない雑談をする事が楽しくも思えてきていました。
付き合いや集まりに参加する事に楽しみもあれば面倒だと感じる事もありながら半年か一年近く経った頃に親と僕とスタッフの三者面談をする事になりました。親と話す事は嫌な事で拒否もしたと思います。こういう時はだいたい自分が明言したくない事を突き付けられ答えを出すまで終わらないものだろうなと感じていて、それでも当時のスタッフに正論を突き付けられ仕方なく応じたと思います。いざ当日。同じ家から向かうも親とは別々に向かった。それぞれが面談場所に着きいよいよ始まる。都合の悪い事はちゃんと断ろうと考えていましたが面談が始まると態度や表情には出ないが頭の中は家の顔とニュースタートの顔が交錯して軽くパニック状態。それでも集中して話をしてとても疲れた記憶があります。内容を簡単にいえばこれからどうするかで僕は答えを出し渋っていた。やはりその場で明言する事はできず、たまたま一ヶ月後くらいにあるNS旅行に参加してそのくらいの時期に決めてほしいという事でその日は終わりました。
そして一カ月後の伊勢志摩方面への旅行に参加。不慣れな旅行か集団での行動か警戒心に駆られて財布には10万円近くの現金は入れていたと思う。二泊三日で参加者が20人以上はいた中で少なからずの緊張もしていましたがリラックスしていますよと周囲に気を使わせないように振る舞った。なぜかと言われると気を使われるのが嫌なのと集団にいても平然とする事で僕は問題無いよと特にスタッフ達にアピールしたかったのだと思う。気を使われたくないのに周囲には気を使った。僕なりに気を使った覚えている一例で夕飯のBBQの準備でみんなに交じって手伝おうとしていたら物陰に隠れるように様子を見ていた人がいた。彼に「手伝わないのか」と聞くと「人は足りてる様子なのでサボってる」と答えたので僕もそうしようと少しの間同じように傍観していました。僕的には怠けたかった訳ではなく、これから長時間一緒にいる人達と距離を縮める為や周囲へ元気そうにも見せる為に手伝いたいと思ったが、サボリ役も二人の方が心強いだろうし話しかけた手前もあり見離す事はできませんでした。他にも大風呂には人が少ない時間帯でコソッと入り就寝もほとんどの人が寝静まってからでないと寝れませんでした。お昼の自由時間は専ら一人で出かけて、パチンコ屋に入り非日常から一瞬でも逃れて気疲れした自分を癒したりもしました。人の中にいれば色々考えて正解か失敗か分からないまま実行していかなければならない事はいっぱい出てきました。でもそこに個性があり自分を表現する事になる。一時前の生活では無かった感覚にも戸惑っていました。こうして今回の旅行は発見する事も多くあり以前は無かった自分自身への興味とニュースタートの活動に関心を持てた一歩になったのではないかと今になって思いました。
その後一カ月程考えた進路は未だ一般就労へも前向きにはなれずやりたい事も無くなにも決断できずにいましたが通所生として通う形に決めました。通所生である間に今後の進路を模索する事も目的でしたが、訪問活動中に引きこもり達で立ち上げたコモンズが営業できていない現状を聞かされていて、その時数名で再び開店しようとしているのでそれを手伝おうと考えました。かっこつけて言えば通所で直接的な支援をしてもらうつもりでなく自分自身に興味が湧いてきていたので自分を表現できる場を与えてもらったと思いました。そして自分の外での行動が良く悪くも影響や反映すれば存在する価値もあると思いました。
その反面行かなければならない場所ができて不安や面倒臭さも感じていました。
ここから先の話も長く続きますが今回は引きこもりからニュースタートの入り口と関わって形になるまでにしておきます。
2019、8、17