2月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
※緊急事態宣言のため、クロスパル高槻が使えませんので場所を変更して開催します。
2月20日(土)14時から (265回定例会)
場所:カフェコモンズ :高槻市富田町1-13-1 WESTビル5F
アクセス
■JR京都線「摂津富田」駅下車、南出口より徒歩3分
■阪急京都線「富田」駅下車、北出口より徒歩2分 WESTビル5F
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は必ず事務局までお申込みください。
事務局電話090-6050-3933
詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】
年明けに高槻市の隣町の島本町を訪れて、島本町民との交流会をした。他県の人に高槻市の位置を説明する際に、大阪府でもっとも京都寄りに位置すると言ってしまいがちだが、国道や鉄道にしても高槻市よりも島本町の方が京都府に接している。JR京都線の駅の中でも唯一(たぶん神戸線を含めても)駅前の開発がされていない比較的新しく新設された島本駅があり、都市へのアクセスもよく人口3万人くらいの水源豊かな町である。町の水の9割が井戸水で自給していて、高槻市が7割を他の水事業から引っ張ってきていることを考えても羨ましいところである。蛇口から出る水も美味しいのだろう。その島本町でウォーターという地域通貨をやっているのを聞いて、久しぶりに地域通貨を思う機会があった。
島本町のウォーターは商工会が発行しているもので、商品券や現金に近く、それを店で使うと特典がついたり割引がされたりと、今でもこういうのはよくあるのかもしれないが、わたし達が2001年頃からはじめたのは少し趣の違うものであった。LETS(Local Exchange Trading System)というもので、名称は横文字でややこしいが、取引したものやサービスをお互いが持っている通帳に記入していく、主に個人間のやりとりであった。単位はpointとかmagとかそれぞれの地域通貨の集まりで決められ、例えば、AさんがBさんに服をあげたとするとAさんとBさんでそれが何pointになるかを相談して、お互いの通帳にその取引を記入する。それが500pointだとするとAさんは+500でBさんは-500と記入して、お互いにサインをし合って取引が成立する。pointやmagが発行されるのはその取引の中なので、ある人の合計がマイナス(-)になることも多く、(-)を負債と呼ばずコミットメント(貢献する必要があるような意味で)と言ったりしていた。(+)の多い人がその集まりに対してより貢献していることとなり、(-)の多い人がよりその集まりの恩恵を受けていると考えれば想像はしやすいか。参加者の全ての残高をあわせると0(ゼロサム)になるのが基本で、わたしたちもそこから逸脱することはしなかった。大変なのは事務運営である。参加者全ての通帳を照合し、一人ひとりの残高を決定(わたしたちの場合は参加者全員に定期的に皆の残高を示した)していかなくてはならなかったし、そもそも自然発生的に取引される場面が少なかったので、偏りを解消するためにもイベントをやって地域通貨が使える場を設けたりした。途中から、通帳を照合する作業が煩雑になったので小切手方式を導入した。基本は変らないが小切手型は、ものやサービスを受けた人がサインした小切手が、(モノやサービスを提供した人が)そのサインの入った小切手を事務局に報告するだけでいいので、事務局としては双方からの通帳報告を照らし合わせる作業がなくなるのだが、それぞれが通帳に記入しないでよくなったので通帳を常に持参しなくなり、自分の残高がいくらになっているか事務局発表を見なければ分からないようなこともでてきた。事務局が取引手数料を双方から取り、それを原資にイベントを開催するようなことはあったが、それはそれで手数料の計算が煩雑になった。手数料の計算をする為に手数料をとっているようにも見えた。結局は、そんなことは目指してはいないのだが、地域通貨で生活できるようなことはなく、からくりのある遊びというか実験のうちに収束してしまったようなところである。
それでもやっていて面白いことはたくさんあった。ある人は家庭菜園から持ち寄られた大根を、それがお金ではなく地域通貨で入手できたことに今までにはない感動があったと話したり、休日に全くお金を使わずにこれだけ遊べるのはいいと言う人もあった。それに、誰もが普段は使っていてる「通貨」がテーマであったので、「円」での生活に疲れていたり、疑問を持っているさまざまな人との付き合いが広がった。高槻市富田町のカフェコモンズもそもそもは、地域通貨で知り合った人たちが「円」で作った店であった。それから15年以上もやっていて、いまだに地域通貨は使えない不思議な店でもある。わたしはというと、現金を増やしていくためだけに仕事をするような生活に将来が見通せなかった。市場で一方的に値段が決められたものを買うという行為は、払う義務があるといったしんどさくらいしか感じることはなかった。その逆もしかり。とはいえ、阪神大震災後多くの若い人なんかがボランティアで活躍したが、個人の経験の中だけでモノやサービスのやり取りが見えなくなっているのはもったいないとは思い、この地域通貨の個人間で、その都度交換価値を見直せるというやり方に少しは希望を見ていたのだと思う。通貨がなければ生活ができない(実際そうではあるのだが)というのは、生きていく上では本末転倒で、生活がある中で通貨があるのは便利であるという感覚を取り戻したかったというか、ならば田舎で農作物を育てるなりして生活すればいいということでもあるが、そこまでストイックにはなれず、都市郊外の付き合いの中で通貨が面白いものである実感があればよかった。宝くじで何億円と当たったとしても、それを元手にやれることもなければ、欲しいものもなかったと思う。「円」の世界から引きこもっているので、「円」の世界に引っ張り出すのではなく、通貨について考えることと、引きこもり問題を考えることがつながっていた。
地域通貨は色んな形態があってそれも面白いところだが、もともとは世界恐慌のときに現行通貨が入ってこなくなった村が独自に目減りする通貨を発行したなんて話しもある。モノは劣化したり腐ったりするのに、お金だけがそうならないのはおかしいとの考え方もあり、長く持っていれば持っているだけ通貨としての価値がなくなっていくので、一時的にその村だけで、かなり流通したようである。額面がだんだん減っていくので、時限爆弾のように通貨を早く人に渡したがるようになる。そんな話を聞いて、ならば魚は腐るので魚を通貨にしようなんて、そういう会話も楽しかった。現在は恐慌なのかバブルなのかも分からないが、実際はとんでもない量の通貨が世界に溢れているようであるが、それで窒息してしまっているのか、多くの人の手元にはほとんどないといった状況が続いている。コロナ渦でもあり、手作りしたマスクを渡すときに、知人や近隣や家族でも地域通貨を発行してみるのもいい機会だろう。
2021年1月16日 高橋 淳敏
12月19日(土)11名参加(家族の方2組)でした。冒頭の話では、ニュースタート関西で以前いた寮生について。寮に入ることになった彼を迎え入れるときに前代表が言った言葉が「これから山を降りなさい。」だった。入寮期間私たちスタッフがするべきことは、就職活動支援ではなく、下山指南だった。下山指南とは、今まで社会や学校や家で言葉に出さずとも植え込まれてきた上昇志向だけの考えから一歩離れること。頂上を目指す山の途中で立ち止まってしまった引きこもる彼らにくるりと向きを変えて降りておいでということだ。その為にはテストの点数や、何をどれだけ効率よくできるかでしかその人の価値を見ない考え方から外れて、周りと競争するわけではなく、遊んだり、ご飯を協力して作って食べたり、イベントを企画してみんなでどう楽しめるか考えたりする中で、仲間(競争相手ではない)作りを時間をかけてやっていくこと、それが入寮中にやるべきことであると。
皆さんのお話からもこの上昇志向についてや、ここ何ヶ月かよく話題に上がる中学受験についてなども含めて話し合いました。山を降りて平地にいるというのは、なにもしないというわけではなく、何にも挑戦しないというわけでもない。平地にも色んな景色があり、自分で登りたいと思った山に登ることもあるかもしれない。ただ闇雲に言われた山に登らされることはしなくていいということだと思う。(くみこ)
1月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
1月16日(土)14時から (264回定例会)
場所:高槻市総合市民交流センター(クロスパル高槻) 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。
詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】
「ひきこもり」の人数は、100万人とも200万人とも言われて久しいが、この20年でも高齢化や、家庭環境、社会状況によっても個々の現れ方は変化してきている。若年層の雇用・学習環境は改善されてもおらず、若年層だった人たちの高齢化、一旦就職した人たちや障害者就労した後の引きこもりなど。「ひきこもり」の定義(顕著なのは年齢制限)も曖昧になっているが、年金受給者の「巣ごもり」状況が特に高齢者においては急増傾向にあり、ひきこもり問題はいよいよ日本社会における本質的な問題として、根本から問い直すべきことになったと考えている。とは言え、ひきこもり問題を考えるときにその数に翻弄されることなく、一人ひとりに現れるその様態を知っていることが肝であり、大きな問題の根本を考えるのにも大事なことになる。引きこもり問題の解決は、一人ひとりの生や希少な関係性においてこそ、実現していくのである。
数年前に、HPVワクチンの薬害訴訟で国や製薬会社を訴えた裁判を傍聴しにいったことがあった。私の関心は裁判の行方もさることながら、引きこもり問題において多種多様なアレルギーやアトピー、膠原病、朝起きられないなどの自律神経系に纏わる困りごとをよく聞いていて、免疫なども含めた身体的反応が今の社会構造や生活の中でどのようにして起こるのかに関心があった。例えば親や医者なんかは、朝起きられないのは朝に起きるような努力をしないからだというような根性論というかトートロジーを、さじを投げるようにして諭すことがあるわけだが、引きこもり問題は「ひきこもり」が出れば解決するなんて自己責任的言説は議論する意味はない。今でも、ワクチン接種が直接的に発達障害の原因だとは考えていないが、裁判を傍聴して気になったことの一つはワクチン接種における副反応(ワクチンの場合「副作用」とは言わない)は、さまざまな症状として表れ、その症状の多くは身に覚えがあるというか、私たちの周りの人から聞く身体的な困りごとに似ているのだった。そこで挙げられていた副反応とされている一部を紹介すると、感覚系障害(激しい頭痛、関節痛、筋肉痛、光過敏など)、運動系障害(寝たきり、全身麻痺、脱力、歩行困難、痙攣など)、自律神経・内分泌系障害(失神、発熱、月経障害、過呼吸、睡眠障害など)認知・情動系障害(記憶障害、倦怠感、疲労感など)。副反応は、直接ウィルス感染やワクチン接種などによって起きるのではなく、それら抗原に似たものが体内に侵入したときにできる抗体によって引き起こされるようなもので、個人差があり晩発性の症状も多く、ワクチン接種によるものとの因果関係を示すのが副作用よりも難しい。とはいえ、このワクチンを国は2013年から数年間、緊急促進事業による公費助成を行いほぼ無償で受けられるようにし、積極的勧奨がされ多くの若年女性が接種した。厚生労働省は「祖父江班調査」を自らで行い、HPVワクチン接種歴のない人にも多様な症状を呈するものが一定数存在する研究調査をして、副反応との因果関係がないことを証明しようとするのだが、これは俗に言う無いことの証明で無理があり、因果関係があることもないことも言えない学問的にも使えない無駄な調査結果だった。それで裁判は、HPVワクチン接種と副反応との因果関係が争点になっていた。
一方で産婦人科医や製薬会社などは、HPVワクチンにより子宮頸がんに懸かる人の命を救えるとして、子宮頸がんワクチン接種を広めたいと、少なくない医者たちは日本における摂取率の低さを嘆いているようだ。ワクチンによって予防できる感染による癌は珍しく、多少の副反応があったとしても子宮頸がんに罹患する人を減らしたい(HPVワクチンによって発症が防げるのは半数ほどでしかないよう)のだろうが、それでは数によって翻弄される議論となり、簡単に言えば副反応を診る医者は接種に反対し、子宮頸がんを診る医者は接種に賛成するくらいで結論はでない。ちなみにHPVワクチン接種による副反応は、とりわけ深刻な重篤例の副反応報告が多いのだが、どのようなワクチンであっても副反応は報告されており、HPVワクチンほどでなくとも重篤例は存在している。ワクチンの晩発性の軽症反応ともなればほとんどその因果関係はわからないだろう。それで気になって調べてみると10年くらい前に私の子どもらが受けた予防接種はBCG、ジフテリア、百日咳、破傷風、ポリオ、麻疹、風疹、日本脳炎であって、最近知人の乳幼児が受ける予防接種はそれに加えて、ヒブ、小児肺炎球菌、B型肝炎、ロタ、水疱瘡だと聞いた。最近10年くらいで勧奨されている予防接種の種類が2倍弱になっていて不安になった。それだけの抗体を身体の中にあらかじめ生成させるわけだから、人体改造をさせられている気にもなる。それ以上に不安なのは、この事実は出産した親くらいしか知らなく、多くは育児を一人で担っている新生児のお母さんくらいしか知らないのだろうし、そのような予防接種の判断を一つ一つする余裕や相談先も無いだろう事実だ。無料であったり、受けないと保育所に預けられなかったりなどの理由で、時間に追われあまりよく考えることもできずに自分の子どもに予防接種させているのが現状であろう。
新型コロナウィルスのような人間に害のあるウイルスの増殖は、人類の歴史上始めてのことではない。今でも猛威をふるっているので、今後もひどくなることも予想されるが、人類はそれ以上に歴史上初めて経験する大きな岐路に立たされているように考える。製薬会社が早急に開発した世界同時的ワクチン接種である。他国ではすでに開始されていて、数少ないが副反応が報告されている。自然科学は死病苦を一時的に追いやるための兵器を短期間で開発したわけではあるが、私たちは死病苦から解放されたわけではない。少なくとも、副反応がどのように起こるかの報告がちゃんとなされ、接種するかどうかの判断をそれぞれが考えることのできる環境を作らなくてはならない。「障害」とは個人が持っているものではなく、社会との間にある「障壁」のようなものだと前に書いたが、例えば障害はワクチン接種によって個人の中で直接作られるという影響よりも、ワクチン接種をよく判断できずに全体主義的な数に抵抗することなく半ば強制的に打たされるようなディスコミュニケーションによって、その後に誤りを認めないような状況によって、その「障壁」は社会の中に形作られているのではないだろうか。
2020年12月19日 高橋淳敏