5月21日(日)鍋の会を開催しました。この日はさっそく「鍋は暑いなぁ。」という声があり冷たい豚しゃぶに決まりそうでしたが、鍋でキノコとかも食べたいという声もあり、その豚をゆでたおいしい汁で野菜を煮てシンプルな鍋もしよう!ということで、冷たい豚しゃぶ(生野菜も用意して)とあったかいシンプルな鍋と二種類用意することになりました。毎年このクーラーもつけずに窓を開けてて今日はちょっと暑いねぇって時期が一番鍋をするのが暑く感じます(^^)夏は夏で贅沢な話しですが、クーラーをつけているし、日頃冷たいものを食べがちなので鍋会で食べるお鍋が美味しく感じたりもします。今回で480回目になった鍋の会なので、数々の鍋会あるあるがありますよね。参加されたことがある方も、初めての方もこれからの鍋の会を一緒に作っていきましょう!(くみこ)
5月20日(土)の定例会、参加は8名でした。(内3組の方がご家族)冒頭の話の前に、代表が25年前にその当時できたばかりの言葉でもあった「フリーター」代表としてテレビにでた時の話。フリーターと呼ばれた若者が一体どんなことを考えているのかと否定的な目で見られていた時代にその代表として出て、テレビでコメンテーターたちに質問され意見をしたと。
そして冒頭は、この毎月開催している定例の会の名前が、「引きこもりを共に考える会」であるということについて。1人が前で講演をしてそれを聞きに来る、というものではなく、対話をしたり一緒に考える会なのだということ。この、オープンダイアローグ(開かれた対話)について。例えば会社でうつになり診察を受ける。薬を処方してもらい症状は緩和され良くなったからと復帰したらどうなるか。もし同じ環境なら症状はまた戻ってしまうだろう。その人がしんどくなったその時こそ変化のチャンスだと捉え、本人と、会社や同僚、家族、医療関係者がみんなで話し合うことができれば、より良い環境に変化させることでその人はまた働くことができるようになるかもしれない。そして引きこもりの状態というのも、それに対してクローズドモノローグ(閉じられた独白)であり、誰かに対して自分の気持ちを話すということはかなり難しい。引きこもりは病気とは違い、誰もがわかるしんどさの基準がなく、親は自分たちはやってきたと、学校は他の子はできているのにと、できて当たり前でしょうという頭でこちらを見てくる。周りの社会が、その「当たり前」や「正しさ」を本当にそうかと問う視野の広さを持っているか、固まった価値観を壊す努力ができるかが大事になってくるだろう。
皆さんの話からはお子さんの今の状況や、親が今困っていることなどについて話してもらいました。コミュニケーションが取れていない中で相手がどう思っているかをお互いに想像し合っているだけで本当のところはわからない。「嫌がるだろうから」と決めつけるのではなく、「嫌か?」と聞くというよりは「どう思っているのかを聞きたい」と伝えてみてはどうか。
元当事者でもあり参加されていた方に「安心できる場」というのはどんな場だろうと聞いたら、「否定されない場」だと答えてくれました。押しつけられたりせず、嫌だと言える場であること。(くみこ)
6月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
6月17日(土)14時から (291回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。
詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】
クローズド・モノローグ
「あなたは今この状況にあることが、自分を責めたりすることになっているのかな」
「具体的に言うと、私があなたの部屋のドア前にこうして居ることや、こうやってあなたに話しかけたりしていることが、あなたを責めることになっているのかな」
「あるいは抽象的に言うと、ひきこもりという言葉で名指される社会や、あなたが部屋から出ないでいることは、責められることになっているんじゃないかな」
「何が言いたいかと言うと、私はあなたを責めるためにここに居るのでもなく、あなたが引きこもっているのはあなたの責任ではないんじゃないかということを伝えに来ました」
「意味がわからないかな、ここからはダイアローグで話し合いたいのだけど、難しいかな。その前にモノローグになるけど自己紹介をさせてください、、(略)」
「他人や自分に対してでも、責めることは責任を問うことだよね。一般的に、引きこもることの責任は問われている。だから、学校に行かなくてはならないとか、働かなくては生きていけないとか、そんなこともないのに人は考えられず、自分や他人のことを追い込んでしまう。」
「でも、もっと単純に、私たちの責任なんてものは、最初からはないんじゃないか?親には子を養っていく責任があるのかもしれないが、子にはいったい何の責任があるというのだろうか?あるとすれば、責任がないところから繰り広げられるであろう対話や関係の中から、責任らしきものが感ぜられるくらいだろう。でもそれは誰かから責められてそのままをもらうようなものでもなければ、人から言われて押しつけられるものではない。それこそダイアローグの中に新たにも発見されるようなことなんじゃないか」
「エピソード、具体的に。そうね。例えば私は、今の沖縄に米軍基地が集中していることを沖縄の問題だと思っていた。沖縄が解決すべき問題を抱えているのだと勘違いしていたんだ。だけど、県民投票とかあったでしょ?沖縄は米軍基地はいらないと言っている。もちろん基地があっても構わないと思っている人もいるけど、結果では半数以上の人がいらないって言ってる。でも、基地はなくならないどころか、環境を破壊するような形で新たな基地が沖縄に作られようとしている。いったいそれは誰の責任で?基地ができたらそれは誰が責任を持つ?沖縄でもなく、米軍でもなく、沖縄にはいない私たちの責任なんじゃないかと思うの。それは誰かから責められて感じた責任ではなく、長く解消されずに堆積された対話の一端に自分が関われたから知れたことだった。沖縄を知ったのではなく、自分のことをそこで知ったんだ。日本に米軍基地があるのは当然だが、沖縄に米軍基地があるのは当然ではないんだ」
「そう。あなたは自分のことは自分が一番よく知っていると思ってはいないか?」「当然。それは一面では正しくて、その反面は間違いかもしれない。それが間違いでもなければ私たちは生きている意味の多くを失ってしまう。誰か特定の人が自分のことを自分以上に知っているなんてことではなくて。たくさんの人があなたは知らない、あなたのことを知っていることがあるんじゃないか。たしかにそれは怖いことかもしれないけどね。例えば、あなたがなぜ引きこもっているかについて、私はあなたよりも知っていることがあるかもしれない。反面、私が今こうやってあなたと会おうとしている理由については、私よりもあなたの方がよく知っているのかもしれない。」
「元に戻すけど。もしかしたらあなたは自分が今引きこもっていることを自分のせいであると考えているのではないか。世間がひきこもりと名指すことで多くの人を責めているように。怠けているから、気力がないからとか。努力できない、能力がないとか。あげく病気だ、障害だとか。今の社会が好んで、とてもしっくりきてしまっている自己責任という自立したオープンモノローグだ。でも、もし引きこもることがあなたの責任ではないとしたら、そもそも引きこもることが悪いことでもなく正しいことだとしたら、どうだろう?」
「引きこもることが悪いことだなんて思っていない?そうだね。じゃあ、自分を責めてはいないってことなんだったら、あなたはどういう了見で今の私と会おうともしないんだ?断りもなくドア前で話しかけるような人にまともな人間はいなかったか?それとも、まだ会えてもいないが私のような人は嫌いか?私とのダイヤローグで自分を知ることや、新たな責任を発見するのが嫌か?自分を知るのは怖いかい?あるいは絶望しているのかい?」
『うるさいな!ドア前でごちゃごちゃ言わないでくれ』
「ああ聞いていなかったの、ヘッドフォン。音楽聴いていたのね。ごめんね。私も音楽好きよ、何聞いてんの?」
『帰ってくれ』
「何、私とのダイヤローグよりもそれ大事?今、その音楽聴くことが」
『なんだよダイヤローグって、気持ち悪いな』
「そうね、気持ちが良い方がたぶんいいのだろう。曲名でもないし。ほんじゃあ、もう一度説明するところからやるね」
2023年5月20日 髙橋淳敏
5月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
5月20日(土)14時から (290回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。
詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】