2月12日(日)おしかけ鍋の会 12時~16時 第477回
場所:カフェコモンズ
待ち合わせ:11時45分にJR摂津富田駅改札前
参加費:カンパ制
参加資格:鍋会参加前後に定例会に参加していただけたらと思います。
※集まってから手分けをして鍋を作ります。初めての方でも大丈夫ですのでぜひご参加ください。わからないことなどありましたら事務局までお問い合わせください。
もちろん差し入れなども大歓迎です!みんなで集まりましょう。
※参加希望の方は事務局メールか電話までお申し込みください。
2月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
2月18日(土)14時から (287回定例会)
場所:クロスパル高槻 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。
詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】
わたしたちはいつから
わたしたちはいつから、人のケアを、国の制度や資格による賃労働に依存するようになったのだろう。
わたしたちはいつから、育児を、母親一人の責任にするようになったのだろう。
わたしたちはいつから、食べものを、遠く機械化された大量生産、輸送、陳列されたサプライチェーンのスーパーで購入するようになったのだろう。
わたしたちはいつから、医者に責任を取ってもらわなくては、身体に現れた症状と向き合えなくなったのだろう。
病院はいつから、死を迎える場所になったのだろう。
わたしたちはいつから、多大な犠牲を出したエネルギーに頼らなければ、自らの生活ができなくなったのだろう。
わたしたちはいつから、西洋の方が優れていて、自分たちと似たアジアが劣っているような考えに至ったのだろう。
わたしたちはいつから、人に優劣があるように考えたのだろう。
差別はいつから、差別される側の問題になったのだろう。
わたしたちはいつから、労働で賃金をもらうことになったのだろう。
プロはいつから、素人よりも偉くなったのだろう。
仕事はいつから、協力することではなく、人を助けることでもなく、自分のために奪ったり押しつけたりすることになったのだろう。
わたしたちはいつから外貨を稼ぐようになったのだろう。
わたしたちはいつから、その日の暮らし以上に稼ぐようになったのだろう。
人はいつから、紙に書かれた数字を蓄えるようになったのだろう。
人はいつから、その紙を神や人よりも信じるようになったのだろう。
人はいつから、迷惑をかけてはいけない存在となったのだろう。
友だちはいつから、競い合う存在となったのだろう。
教育はいつから、誰が受けても変わらないテンプレートなものになったのだろう。
民主主義とはいつから、一人の意見が尊重されることでもなく、話し合われることでもなく、多数決になったのだろう。
民はいつから、国家に従属することになったのだろう。
故郷はいつから、国家となったのだろう。
聞くことはいつから、受動的行為になったのだろう。
コミュニケーションはいつから、目的ではなく手段となったのだろう。
わたしたちはいつから、近くの人に関心をもてなくなったのだろう。
わたしたちはいつから、自分たちの住む地域にも関心をもてなくなったのだろう。
わたしたちはいつから、自分の思っていることを話せなくなったのだろう。
思考はいつから、一人でする行為となったのだろう。
精神はいつから、人が所有するものになったのだろう。
子どもたちは何があって、笑わなくなるのだろう。
平和はいつから、戦争を容認するようになったのだろう。
開発はいつから、加害性が問われなくなったのだろう。
誰にでも訪れる死は、病は、苦悩は、老いは、障害は、危機は、なぜ忌避されることになったのだろう。
光はいつから、影をつぶすためのものになったのだろう。
希望はどのようにして、絶望に変わったのだろう。
なぜ恐怖や不信が、私たちを支配するのだろう。
わたしたちはいつから、貧しかったのだろう。
自由とはいつから、安全に拘束された身体の夢になったのだろう。
わたしたちはいつから、引きこもりだしたのだろう。
わたしたちはいつの時代から、自立できていないのだろう。
ここで言うわたしたちとは、一体誰の事なんだろう。
引きこもりはいつから、引きこもることしかできなくなったのだろう。
今、あなたはどうしているのだろう。
2023年1月21日 髙橋淳敏
12月30日(金)珍しく日曜ではなく金曜日に開催になりました。年末も年末。忙しい時期でもあったと思いますが15名ものたくさんの方が参加してくれました。
忘年会鍋の会です。この日は持ちよりだったので持ってきたものを並べるだけと思っていたら鍋の用意一式を持ち寄ってくれた方がいて、急きょその場にいるメンバーで鍋の用意が始まりました。他にもかす汁の材料もあり、鍋(豚しゃぶでした)とかす汁という、あったかい汁物たちが参戦。他にはいつも持ち寄りの時に持ってきてくれるウインナーと卵焼きを大量に焼いてきてくれたものや、手作りのおかずやいなり寿司、タコせんべいやたくさんの駄菓子の詰め合わせ、それにアイスやアンド-ナツ、これ絶対食べきれない!食べる前に目でお腹いっぱいになってしまいましたが、15名もいて話しながらゆっくり時間を過ごしていると、あれっ?もうほとんどないね(笑)状態に。食べすぎました。自己紹介では、小さい頃何をして遊ぶのが好きだったかというのが、成長過程でいろんなものを身につけていくけど、結局自分の本来の性質に近いのではないかという話しから、子どものとき何をして遊んだか何をするのが好きだったかなどを話していきました。これは世代の違いや住んでいた場所などによってみんなそれぞれでした。子どものときワクワクしたことを聞くのはこちらもワクワクして楽しかったです。(くみこ)
12月17日(土)の定例会、参加は16名でした。(内5組の方がご家族)
この日は前回参加された方から会の初めに問題提起をしたいとのことで話がありました。それについて初参加の方も含めてでみなさんで話し合う時間がありました。
その後冒頭の話では、代表の自己紹介を兼ねて、社会問題としての引きこもりについてお話ししました。子どものときに塾に行き、点数でのクラス分けや席決めがあり、子ども心に傷ついていく。そしていつの間にか隣のクラスの子を前の席の子を自分も点数で見ている加害者になってしまっていたことに大人になってから気がついた。小さい子供の時はこのことに気づかないまま、親にもうまく説明できないまま学校に行きたくないと感じる子もいるだろう。引きこもる原因は、いじめや先生や友達との関係、親との関係だけにあるわけじゃない。もうこれ以上誰かをおとしめたり傷つけたくないから引きこもることもある。
皆様の話から。
小学校低学年から不登校気味。高校も大学も続かなくなり引きこもる。小さいときに親が忙しくもありゆっくり話を聞く時間がなかった。それが原因でもあるのかもしれないとの想いから、親は引きこもってしまった今世話をしすぎる。これは悪循環であって、やればやるほど本人の自信を失わせてしまう。自分では何もできないと。引きこもる原因は親がかまってくれなかったからではない。そのことを親は理解して、大人になった子どもに対して一人の人間として対応していかなくてはならない。自分でできることは自分でする。ひとっ飛びにはできないから時間も心もつかってそういう一つ一つを家族で話していくのも大事なのではないか。
勉強はよくできて高校3年になり引きこもりだした。勉強だけが自信になっていた子にとっては、やりたいこともなければやる気は続かなくなる。受験用の勉強ができるというのは、生きることにはつながらない。例えそのまま大学まで行ったとしてもそこで立ち止まってしまうだろう。個性を生かせる働き方を想像できないと本人はやる気がでない。いろんな生き方をしている大人を見たり話したりできる環境が大事だろう。ニュースタートが大切なこととして掲げている「家族を開く」ということとは、親以外の大人に出会うこと。親が見ていないところで物事を判断して失敗もしていけること。その時に他人に頼ったり助けられたり、時には誰かの役に立てることで子どもは自信を持つことができるのだろう。(くみこ)