3月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
3月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
場所:クロスパル高槻 5階 視聴覚室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】
3月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
自立カレーレシピ
親元から離れて一人暮らしをしてすぐに、実家ではほとんどする機会のなかった料理を、初めてした夜のことを覚えている。袋に詰められたままの塩と砂糖くらいしか調味料もなく、買ったばかりの真新しいフライパンに、生でも食えるのだからなんとかなるだろうと、テキトウに切った野菜を、狭く暗いキッチンの一口コンロで炒め物をした。だけど、野菜を大きく切りすぎたせいで、炒めても炒めても野菜には火は通らないし、調味料でごまかそうにも味が濃くなるだけで食えたものではなくなってしまった。捨てるのには忍びなかったので、腹も減っていたし、水を加えて煮てしまえと、目をつむって、この料理は元から煮物だったことにした。機転が利くとはこのことだと、一瞬でも褒めた自分を恨むほどに、いかんともしがたい煮物ができあがった。フライパンの中で、ゴロゴロとお湯に浮かんだ野菜たちを眺めながら、こんな状況は今まで遭遇したことがないな、さてどうしたものかと途方に暮れた。そこへ、これまでに作ったことのある数少ない料理の中で、数えるくらいだが使ったことがあるカレールーの存在を、どこかの記憶から掘り起こした。ああそうだ、あの万能の塊みたいな奴をここに投入すれば、万人受けするカレーという料理になるではないかと、急いで部屋を出て、まだ馴染みのないスーパーへと急いだ。揚げ物などの匂いに誘われながらも、カレールーの箱の背表紙の作り方の絵を見たときは、まさにこれまでに私が苦闘してきた手順とほとんど同じではないかと、パッケージングされているが、まだ見ぬ茶色の塊に運命すらも感じながら、握ることもできずどうにも収まりがつかない箱を指で挟んで片手に、レジの列へと並んだ。部屋のドアを開けるや否や、その箱を破るようにしてルーを取り出して、玄関すぐ横にあった煮え汁に投下、三たび火を入れる。ここにきてライスの存在を忘れていたことに気がついたが、そんなことは最早ご愛嬌でしかなかった。何を作ったらいいか分からない時代はとうに過ぎ、米を洗えと言われて洗剤で米を洗った者がいたらしいが私はそんなへまはしないと誓いながら、カレーを煮ている間に、中古で手に入れた炊飯器に洗米をセットした。これで万事が上手くいくはずだ。そして、これこそが料理の醍醐味と言われていると思った、待ち時間だった。だが途中、待ちきれずフライパンの中身をちょっと味見をしてみると、煮物の時代の塩と砂糖が効いているせいか、絶妙にまずい。これはまた、いろんな意味でまずい。調整のつもりで水を足すと、ルーが薄まって胡麻化しただけで、これまた不味くなった。ああまずい。テーブルに出されたものは、すべて平らげてきた好き嫌いもない人間だが、店でこのカレーが出てきたら、うまいまずいよりも、「一体この店はカレーの中に何を入れているのだろうか」という不信感で、食べきる自信がない。だけど、何が入っているかは、自分で作ったので分かる。不味いが食べ物だという自信はある。新生活でこれが生ゴミになってしまうのは、またいろいろと困ることが多い。今の時代なら「カレー失敗」とでもググれば、この他の対応も出てくるのかもしれないが、なにぶんインターネットもない時代だ。これ以上の失敗は無理だと観念して、炊けた米に遠慮がちに、フライパンの中の野菜炒めのカレー煮込みをかけて食べたら、それが私にとっての解放の味だったというお話。
以来、30年弱経つが、私は誇張でもなくカレーを作った回数は、千を優に超えている。いろんなレシピを参照し、たくさんの人にも食べてもらった。ちょっとした失敗もしたことはある。だけど、この時に作ったカレーほど不味いカレーを作ったことはないが、この時に作ったカレーに勝るような経験はしていない。そして、たぶんこれからもないだろう。「自立」と聞くと、人はいろいろと準備をしたがる。今風に言うと、リスクを避ける。親が、子どものために自立の準備をする。マニュアルだとかレシピだとか、学歴だとか資格だとか、就職先だとか所属先だとか、マンションだとかアパートだとか、家電製品だとか寝具だとか、あとはお金とスマホがあればなんとかなると、自立を考えている。でもそれは明らかに間違いである。自立にとって必要なのは、今までの生活からの解放であり、たくさんの「失敗」である。失敗はしないに越したことがない?失敗は成功の元?いや、そんなことはない。失敗こそが、人生ではないか?生きた心地や、豊かさは、失敗のできる環境にある。子どもは、何度も転んでは親とは違う立ち方をする。だから、今の時代、一度失敗して家に戻ることになったとしても、親に飽きられても、何度だって家を出ていけばいい。何度でも何度でも、家を出て行って、失敗して、人生を豊かなものにしよう。
たいがいのことは、自分でできる。若いとはそういうことで、多少の無理はあっても自分でできてしまう。もちろん自分でできないこともたくさんある。自分ができないことは、他にもできない人がたくさんいる。そして、そういう仲間と協力してやれば、これまた、たいがいのことは自分たちでできるようになる。そのようなとてもいい時期を、今の日本の社会は学校などでやり過ごしてしまう。将来、「自分だけ(自分の子どもだけ)」が上手く生きていけるように、マニュアル組織に順応するための「教育」が、生き生きしているはずの子どもたちを管理している。親や大人たちも「管理」された子どもたちに依存した生活を送ることになる。あるいは、子どもたちは自分ができないことをお金や親の欲望に依存することで解決する。それは、親も子も大事な経験を失っていることであって、失敗を奪っていることは、子どもや自分たちの生活を大いに損なっているという自覚くらいはすればいい。子どもは親や大人たちがの思うように生きない。現に、子どもが家に引きこもれば、親はそのことを良く理解できるはずだ。もう、諦めた方がいい。今までの生活スタイルが崩れていくことを、自らの生の豊かさだと笑い飛ばせばいい。人生に意義があるならば、成したことよりも、失敗した経験にあると、そう思わないか?
2023年2月17日 髙橋淳敏
2月12日(日)鍋の会今回は9名の参加でした。参加者のお1人が牛肉を買ってきてくれて、すき焼きにしようかとなりかけたのですが、薬味の辛味大根をもって来てくれていたので、牛肉のしゃぶしゃぶに決まりました。しかも麺も手作り!ということで野菜と飲み物だけ買いものに行きました。その間に、ニュースタートにと寄付でもらっていたお米を炊いて、おにぎり作りと、辛味大根をおろして準備をします。買い物班が帰ってきたら野菜を切って、手作りの麺を下茹でしてさあ!いただきます。野菜もたくさんでお肉と大根おろしにポン酢。お肉の味は濃いのですがさっぱりして美味しい。お牛のおいしさをかみしめながら、今日の自己紹介のお題はお酒についてです。お酒を飲みすぎるからもうやめたいという話しから、大きくなったら飲んでみたいという話や鍋の会でお酒を飲むのはどうしてかなど話されました。鍋の会の日程がその月によって違うとHPを見て確認しないといけなくて、やはり参加する人も少なくなってしまうから不定期よりは定期的に開催した方がいいのではないかという意見もいただきました。来月も今月と同じく第2日曜日に開催しようと思います。ぜひご参加ください。(くみこ)
3月12日(日)おしかけ鍋の会 12時~16時 第478回
場所:カフェコモンズ
待ち合わせ:11時45分にJR摂津富田駅改札前
参加費:カンパ制
参加資格:鍋会参加前後に定例会に参加していただけたらと思います。
※集まってから手分けをして鍋を作ります。初めての方でも大丈夫ですのでぜひご参加ください。わからないことなどありましたら事務局までお問い合わせください。
もちろん差し入れなども大歓迎です!みんなで集まりましょう。
※参加希望の方は事務局メールか電話までお申し込みください。
2月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
1月21日(土)の定例会、参加は14名でした。(内7組の方がご家族)
小学校高学年頃から、不登校がちになったり体調を崩したりが始まり、中学、高校と不登校になり、というお話が何組かのご家族からありました。
行かなくなる子ども。どう声をかけたらいいのか。という悩み。家族は、行かなくなる原因を追究しようとするよりも、今子どもの状況がどうなっているのかを知ることが必要。「高校→大学→就職」に疑問を持ち立ち止まることができたということは、真面目で、周りに流されるのではなく自分の価値観で物事を考えようとした子だということ。偉い。そして、優しく人を思いやれる子ほどこの社会がつらくて生きにくくなっていることに気づくこと。本人は何に傷ついているのかその時はわからない。他人を蹴落とせる人こそ生きやすい社会だと感じてしまうと生きていく希望もなにもない。でも繊細な子ほど弱さもあるが、自分の考えを持ち流されない強さも持っているだろう。引きこもる子のことを何か人よりできていない子だと見てしまうのではなく、その強さを信じた上で、どう生きていくか自分で考えなさいと背中が押せたら。そのためにはまず親が高校→大学→就職ではない生き方について考えたりいろんな人に出会って学んだりしていかなくてはならないだろう。そんな風に希望も持って他人とやり取りしながら生きている背中を見せれたら、そんな親の姿を見られるなら子も、人生そう悪くなさそうだと感じることができるだろう。親が引きこもっている子の方だけを見て心配してどうする?どうする?という表情で毎日を過ごしていても子どもは動き出せない。親がまず自分の事を大事に考えて生きること。簡単そうで難しい。なぜなら子どものせいで動けないとは言えないから。でもきっとワクワクもする。助けて欲しいことも出てくる。そんな時子どもにも頼ることができれば、人としてお互いに尊敬し合える。
子どもが引きこもったら、どう声をかけるか。その前に、まず自分は何がしたいかに耳を傾ける。そうすれば話したい言葉がでてくるのではないか。(くみこ)
Panorama Theme by Themocracy | Login