NPO法人 ニュースタート事務局関西

「95年という経験」髙橋淳敏

By , 2025年10月18日 5:00 PM

95年という経験

 30年の年月が過ぎていった。世間で言われている所の失われた30年もそうだが、1995年からの30年が過ぎ去ろうとしている。2025年になることも、自分が50年間生きることも、この先のことはほとんど想像ができていない。死にたかった訳ではではなかったが、あるいは死にたいと思う瞬間は何度かあったが、今を生きることを大事とした。だが、漠然と描いていた未だ来ることのない時間は、2025年以前のことであった。この先は未来ではない。95年は、私にとっては来るべき今日を想像できた最初で最後の年だったのかもしれない。

 国家とされ、西洋列強の文明に取り込まれ、前の戦争を挟んでから50年、敗戦後は経済成長を目標にしてきたが、バブル崩壊に至って落ち着いた頃であった。化石燃料の争奪戦、原子力の平和利用を経て、近い未来では車が空を飛ぶなど楽観的で、オートメーションや人工知能、ロボットなどによって人間の労働は軽減され、娯楽は個別に売買され、労せずとも物質的に不自由せず、日を追うごとに豊かになるしかないような時代の雰囲気があった。インフラも整備され高速移動や遠隔通信も実現された。95年はインターネット元年。まだ一億総中流は続き、身動きが取れないほどに物で飽和し、最後に満たされないのは精神で、こころの時代ともいわれた。ブランドやサブカルなどの余剰消費文化が隆盛していった。民主主義の「正しさ」も、それが実現しているかの検証もないほどに疑いようはなかった。日本やアメリカにおいて将来、専制政治が続いていることを危惧する人はいなかった。戦争を知らない親たちは、どこかで戦争をしていたとしても我々は違うし絶対にしないと、前の戦争をした親世代を馬鹿にしていたのではなかったか。そして、政治家は馬鹿なほど良かった。

 一方で、95年はそのような安穏とした受け身の未来に、大きな亀裂が入った年でもあった。時代は世紀末、米ソ冷戦は終わっても世界の核弾頭が無くなる気配はなかった。アメリカは引き続き戦争を主導し、都合の悪い政治体制の国に対しての戦争を正当化し続けていた。アメリカファーストは今に始まったことではない。そして日本ファーストも。ファーストではだめだという精神が、30年後には見事に消えてしまうわけだが。過剰な開発や、電力消費により、地球環境は激変していた。阪神淡路大震災は、堅牢だと考えられていた建築物をなぎ倒した。爆撃された跡のような町に、就職氷河期などであぶれた若者が志願兵として募った。ボランティア元年でもあった。ベトナム戦争で使われていたPTSDという言葉が流行したのもこの年だった。私は震災による心的外傷後ストレスなのか、受験戦争による心的外傷後ストレスなのか区別のつかない抑うつを抱えていた。この世界から解放されることを望んでいた私にとってはむしろ地震による日常の破壊の方が、解放された心地がしたものだった。私にとってのPTSDは、目的もなく友人と争わなくてはならなかった受験戦争であり日常にあった。被災することによって発症し、日常に戻ったところで気力を無くした。

 

 オウム真理教によるテロは、さらなる追い打ちであった。高学歴であった彼らは事件後も、連日メディアに登場し、自らの行為や考えの正当性を主張した。彼らが正しいとかではなく、社会は彼らを理解しなければならなかった。そのところにおいて、彼らは全く意味不明の狂人ではなかった。私は高校生活がちょうど終わり、これから社会へと出る時期に、何をしていいかがわからなくなる。しばらくは続くだろう安穏とした受け身の時代に、黙って身を投ずるしか選択肢はなさそうだが、没入することはできず、何に対しても気力が湧かない。かといって、時代に抗するほどの日常、身体性は育まれてはいなかった。そこで機能していたのは精神だけであった。私は自らが病んでいるのではないかと疑うようにしても、精神を気にかけた。といっても、10数年ほどしか生きていない1人の人間の精神なんて、理解をするほどのものでもなかった。問うていたのは95年、時代の精神である。この時代を生きる人たちは一体、どこへ向かうのか。何が希望なのか。

 物質的には恵まれ、そのせいもあって人間関係は希薄になったとされた世代。地方から都市部へと流入した親をもつ根なしジュニア世代。戦争を知らない子どもたちが自由恋愛で生まれてきた世代。社会から労働力として必要とされていない就職氷河期世代。直接的な暴力ではなく、構造上のいじめを開発した世代、、私は孤独であったので、自らが病んでいないかの不安もあって心理学を勉強し始めた年でもあった。だが、当時流行ったボーダーライン(境界例)やアダルトチルドレンなど、誰もがどこかにあてはまるだろう何十にもカテゴライズされた人格障害などに個人をはめ込んだところで、治療も出来なければ、何も意味はなかった。なぜならば心理学という学問自体が、今も変わらないが相当に病んでいた。これは批判ではなく、むしろ敬意をもって、心理学なんて云う学問は自らが病んでいる自覚なしにはつとまらないと思った。私はもっとダイナミックに95年がどこへ向かうのかを考えたかった。

 昨日、95年に日本国の首相をしていた村山富市氏が101歳で亡くなったという報道があった。阪神淡路大震災の時も、オウム真理教の地下鉄サリンの時も、そういえば彼が首相をしていたのだった。私はおよそ50で、あと50年も生きられるか分からないが、2025年にしてもう未来はないと思うに至った。95年からの30年が私にとっての未来であり、これからの未来でもあり続けると、そのような予感がある。今から30年前、前の戦争が終わって50年して、村山談話でようやく侵略戦争であったことを認めた。日本が植民国であることを認め、初めて植民国でない道を考えようとした年であった。だが、30年経った今もその道は混迷を極めている。失われたのは経済成長のようなちんけな話しではない。未来は何度でもやり直すことができる。

 

2025年10月18日 髙橋淳敏

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