NPO法人 ニュースタート事務局関西

友達

By , 2014年11月17日 9:22 AM

「友達」の存在が、あらゆる場面で大事になっている ニュースタート事務局関西が展開している引きこもり支援活動において、「友達」の存在、「友達」という言葉の意味が、あらゆる場面で大事になっている。例えばこんな言い方もよくします。引きこもっている状態にあって、「友達」の存在なしに外に出ていこうと思えないだろうし、引きこもっていたとしても日々の生活で「友達」の存在は欠かせず、「友達」がいなければ働くことの意味も見いだせないでいると。生きていく中で、もっとも成就しがたく、初歩的な欲望についての話でもあるのだろう。そもそもなぜ外に出なくてはならないか。「世間体」や「普通」や「将来的不安」などの言葉にその答えがあったとしてもそれらは自ら求められるものではない。そんなところで、例えば「友達」という言葉を見いだしていくしかないだろう。ここで「友達」とはかつての友人であり、文章や音楽の中にいる未だ見ぬ友であり、現在関わっている人に見い出せる関係と考えてみる。 「友達」との関わりにおける「失敗」と「成功」 10年以上と長く、引きこもっている状態においても、「友達」との関わりに失敗し続けている人は多い。それは、かつての友達とうまくいっていないとか、未だ見ぬ友達を得ようとしていないとか、現在友達がいないといった話ではない。一人で部屋にいると何度も思い起こされる学校や職場での過去の一場面や、本の中にある手元に置いておきたい言葉や、自分のことをおかしな目で見てくる近隣の人や同居する家族との関係に、失敗し続けている。もちろん、それらの学校や職場、近所の関係に「成功」したとしても、職場や近所の人と友達になれるとは限らないが、失敗し続けている唯一の理由は、想像の中ですら自らの身をその関係に投じるに及んでいないからではなかろうか。違った言い方をするならば、引きこもっている状態において一方的に理解した気でいる過去の関係を、現在の具体的な誰かに見いだせずにいる。あたかも意中の相手に理解されずにいるといったことか。そう考えてみれば、外で働いているような人の中にも「友達」との関係に失敗し続けている人は山ほどいるわけだが、世界に閉じられてさえいなければ「成功」することがあり、「成功」したことで傷つくこともある。 それにしても大人になると友達とはあまり言わなくなる。それはたぶん学校という閉じられた社会の中で使われていた「友達」というのに、あまりいい思い出がないからかもしれない。周囲の親の職業も似たようなもので、同じような住宅地に育った、同じ学年のほぼ同質の人たちの集まりは、粗探しをするようにして友達やそのグループをつくる。海外旅行で偶然にでも会えば、どれほどか親しげに言葉を交わすことができようとも、教室という閉じられた世界ではお互いを敬遠する。それでは「友達」という存在は、一方で神経質なアイデンティティを保つためのものだけとなり、どんな友達と関わっているかによって、他の人達に自分がどんな存在であるかを表明するような道具になってしまいがちだ。そして、他方でその友達とも同化できない自分に悩む。いったん外に出てしまえば、どんな友達と関わっているかということや、友達と同化出来ない自分なんてことは、どうでもいいことになるだろうが、引きこもりという状態は、そこでの閉じられた社会や関係を自室に持ち込んで、封印しているように思わされることがある。 「友達」が世界を開く存在である ニュースタート事務局関西の目標には「友達つくり」を掲げている。ここでは順番を違えてはいけない第一の目標としている。「仕事」でもしていれば、私は「~の仕事をしています」と自己紹介することもできて、人とは付き合いやすくなりそうだが、それでも順序は「友達つくり」が先のほうがよい。その理由は以前にも書いているつもりなので、ここでは書かない。繰り返すことにもなるが、例えばソーシャル・ネットワーキング・サービスでの友達の数の話ではない。誰かに自分が理解されることであり、ある場面での誰かの言動を理解し関わるようなことである。ネット上で地球の各所が見渡せる今の時代に知らない土地や人はないように思ってしまうし、明るい未来のエネルギーなんてものには辟易するし、人は同じようにして過ちを繰り返す。もはや、世界は閉じられてしまって、それを開くような言動を信じることも出来ないと、絶望する気持ちもある。でも、閉じられているように見えるこの世界にも一喜一憂する人の生活があり、「友達」がその世界を開く存在であり、「友達」と関わっている時にはすでに世界は開かれているのだと考えている。 2014年11月14日 高橋 淳敏

11月の鍋の会

By , 2014年10月28日 11:25 AM

★11月の鍋の会★

第337回  11月 9日(日)13時~17時

第338回  11月23日(日)13時~17時

「暑い」「熱い」と言いながら、食べてた季節は過ぎてしまえば早いもので

お鍋が美味しい季節になりましたね。

初めての方もご安心。気軽に来て気楽に居れる場所だと思います。

さて、次回は何鍋かな? 詳細はこちら

【投稿】「普通って何?」

By , 2014年10月27日 11:25 AM

先月の(9月20日)例会の感想です。さっそく通信に掲載いたします。
2014年9月の交流学習会。司会者が「子どもたちに一番理解してもらえないことってどんなことですか?」と問いかけた。すると70歳くらいの紳士が立ち上がり、「私の言葉が通じない」と話し始めた。何の力みも感じない穏やかな言葉である。
「私は子どもの頃大変貧しかった。学校を出て就職し、両親を助けようとして、一生懸命に働いた。おかげで私は社長になり、1500人の社員を抱えるまでになった。そのために朝は5時・6時から出勤し、夜は10時・11時に帰宅するのが『普通』だった。しかし、子どもは毎朝学校へ行くという『普通』のこともできない。息子は何も話さないし、女房も息子に加担しているようだ。どうしたら言葉が通じるようになるのか。」
私と同年代であり、苦労話もよく分かる。よくある話だ。ところが事務局側の若手から、いっせいに質問が飛び出した。「お父さんは、息子さんにどうしてほしいと考えていますか?」「無理なことは言っていない。普通のことを普通にやってほしい、といっているだけです。」「お父さんの言っていることは『普通』ではないですよ。」「いえ、普通です。普通にやれといっているだけです。」事務局側の若手は「普通ではない」と一斉に反論する。多勢に無勢である。お父さんは沈黙してしまった。勿論、私も若者側の言い分に賛成である。しかし、会場内の他の人の意見はどうなんだろう。若者の意見にうなずいている人が多い。しかし、中年の男女は若者の意見にうなずきながらも、お父さんの言葉にも共感しているようだ。発言者数で圧倒したからといって、このまま、この議論を打ち切ってはならないだろう。多くの人は、議論の行方や勝ち負けではなく、どれだけ共感できるかを聞いているのだろう。
かつて、私が司会進行をしたときも、こんな進め方をしたことがあった。相手を沈黙させれば、論戦に勝利するのではない。それだけなら、15年間も引きこもり支援の対話集会を続けてきた意味がない。どうしても、われわれの主張と若者の気持ちを理解してもらいたい。エコノミックアニマルといわれた日本の経済発展期、過労死寸前のサービス残業や社畜といわれたような働き振りを息子たちに「普通」だと自慢げに話されても、息子らはただ恐怖するだけではないのか。お父さんは「大変貧しかった」から一生懸命働くモチベーションがあったかもしれないが、おかげで豊かになった息子たちには、そんなに働かなければならない意味が分からない。学校でも社会でも、一生懸命働いた成功談や美談がもてはやされる。先生もそれを「普通」と押し付けようとする。「普通だ」「普通でない」の応酬だけでは「水掛け論」であり、誰の共感も得られない。かつてそれが「普通であった時代があり、今は普通ではない」ということを互いに認め合ってこそ議論が嚙み合うというものだろう。われわれは宿命的に異なる世代の人たちを集めて議論を進めようとしている。考え方の異なる世代の軋轢があるからこそ、ストレスが生じて、引きこもりやその他の障害を引き起こす。その軋轢やストレスを解きほぐす議論の進め方を身に着けてこそ、交流や助け合いの成果が得られるだろう。若者としての主張を声高に訴えるだけなら、他の方法があるだろう。
15年間もどうしてこんなに迂遠な方法を取り続けてきたのだろうか。
「普通」を続けてきた末に、いまや若者たちが働く場も得られず、年金縮小や福祉の切捨て、企業減税する代わりに消費税の増額、これが「普通」だとはまさか言わないでしょう。

西嶋彰

【報告】 ~日々のつれづれ~

By , 2014年10月27日 11:18 AM

引きこもり女子会が9月21日(日)に行われました
9月21日(日)14時から、引きこもり女子会がコモンズで行われました。1818547
夏が終わり初秋の、さわやかなお天気でした(だけどインドア)。
前回は20人近くの参加でしたが、今回は8名ほどでのんびり。

温泉の話、最近見ているブログの話、映画の話・・・それこそチクチク縫ったり、さらに冬に向けて編み物も登場したり、話したり、おかしつまんだり・・・の和やかな雰囲気で行われました。

10月9日(木)はお月見の予定でしたが、残念ながら雨。ガレージでピザを焼きました。imga6637f44zik8zj

9月例会&10月父母懇親会 一言報告コーナー

By , 2014年10月20日 11:06 AM

例会報告
9月20日(土) は、15人参加でした。「普通」をめぐって激論。後半は、中学生の息子さんがいじめを受けて不登校となったという話がでました。当初は親を責めていたが、今は落ち着いているとのこと。学校に行く行かないよりクラスメートを上・中・下で考える発想が息子さんに見え隠れしているところが気になるという話題となりました。
父母懇親会報告
10月4日(土)は、12人参加でした。親がどうでもいいと思っていると、子どももダラダラしてしまうという話しが出ました。また、「食事」について、例えば親が小食だと思っている事で、親のイメージを「演じて」あわせてしまう事もある、という話も出ました。また、引きこもっている当事者は「自分が変わってない」と思っていても、他人から見れば変化があるという話題も出ました。

Panorama Theme by Themocracy | Login