『364回目の鍋』12月27日。
今年最後の鍋の会は各自で好きな料理を持ち寄って食べる会でした(鍋の会だけど鍋は作りません)。
家で作ってから持ってくる人もいれば、会場に材料を持って来て作る人もいて、どこかで買って来る人もいます。
買って来た唐揚げが被っちゃうのはもはや持ち寄り鍋の会のお約束ですね~(笑)。
どちらも買った場所が違うので、当然ながら味や食感も違ってて美味しかったです。
ちなみに自分は鍋はないけどせめて汁物があればなぁと思い、
野菜たっぷりの洋風スープを作って持って来ました。
今回の料理のコンセプトは「如何に安く作るか」だったので正直味には
あまり自信はなかったのですが、意外にも美味しく食べてもらえたのでちょっと安心。
お金さえ掛ければ料理は美味しくなる、ということではないのだと密かに学びました。
他にも美味しい料理や美味しいお酒、デザートのスイーツなんかもあって、とても豪華な持ち寄り鍋の会にすることが出来ました。
持ち寄ってくれたことももちろんですが、年末の最後の鍋の会にたくさんの人が集まって下さったことが自分としては一番嬉しかったです。来年の鍋の会も何卒よろしくお願い致します。
『365回目の鍋』1月10日。
あけましておめでとうございます。
新年第一回目の鍋の会は、記念すべき365回目の会となりました。
鍋の会自体がようやく歳を一つ取れたわけです(その間に人々は15年も歳を取ってます)。
そろそろ「歴史ある鍋の会」という呼ばれ方をしてもいいような気もしますが……まぁそれはさておき。
今回は実に1月らしい餅つき鍋の会を行いました。餅つきをしようという声があったのでやることになったのですが、
鍋の会の名前を借りるならやっぱり鍋もいるんじゃないかと不肖このわたくしめが提案させていただきましたよ。
そんなわけで餅つきと鍋作りを同時にしよう!ということになりました。
今年から開始時間が早まったのでお昼の12時から集まり、「何の鍋を作るか」や
「誰が何をするか」などを参加者の方々と一緒に話し合います。作る物と役割の分担が
終わったら各自で動いて準備を始めました。当然ながら、完成するまでは何も
食べられません。空腹は最高のスパイスだということを念頭に置いておきましょう。
下のコモンズハートの事務所にスペースを空けてもらっていたので餅はそこでつきました。
上では鍋(今回はお雑煮)を担当した人たちを中心に作ります。最終的にはみんな集まって餅をついたり丸めたり、餅が終わったら上に上がって温かいお雑煮を食べてほっこりしたり。何だかんだと忙しい一日でしたが、皆さん楽しめたようで良かったです。
……でも、やっぱり次からはどちらか一つにしましょうか(提案したことを反省中)。つぼい。
『「子どもたちに一番理解してもらえないことは何ですか」という問いに70歳男性が「私の言葉が通じない」と話し始めた。
「私は子供のころ大変貧しかった。学校を出て就職し、両親を助けようとして一生懸命に働いた。おかげで私は社長になり、1500人の社員を抱えるまでになった。そのために朝は5時から出勤し夜は11時に帰宅するのが『普通』だった。しかし子供は毎朝学校へ行くという『普通』のこともできない。息子は話さないし、女房も息子に加担しているようだ。どうしたら言葉が通じるようになるのか」』
NS通信129号で紹介された、例会での参加者とスタッフのやり取りだ。
その後男性と若いスタッフが論戦した。スタッフはその働きは普通でないと言った。男性に共感する向きもあった。経済発展期、過剰な働きぶりが普通の時代があったからだ。異なる世代間の議論はかみ合わなかった。
男性は、父親が「普通」をできれば息子も「普通」をするのが当然だろう、という。
不思議だ。父親が働きすぎという「普通」をすれば家にいる時間が少なくなる。息子に「普通」を教育する機会は減ったはずだ。なぜ当然なのか。男性には思い込みがある。
父親は家事育児をせずに一生懸命働くべきだという思い込みだ。世間なみの考えであり共同幻想だ。男がソトで働き女はイエを守る。世間に従ってきたのになぜ?という発言ではないか。
実際は、世間に従ってきたから言葉が通じなくなった。
親子の問題ではよく「母親の過干渉」が言われる。しかしひきこもり問題では「父親の無関心」の方が影響すると実感する。父親は「普通」働いてさえいればよいという世間の考えにだまされてきた。または乗っかってしまい、ある意味で楽をした。母親を介して子供に指示し、遠巻きに眺めるだけだった。子供は父親にずるさを見た。だから母親も子供に加担した。
父親が過去の一生懸命をアピールしても問題は解決しない。世間の考えを捨てなければならない。
例えば日本人の働き過ぎは、職場の飲み会やつきあい残業など「仲間の目」を気にする行動の結果でもある。これは世間の目のことだし改めなければならない。
時代が変化しても世間は根強く残る。
今も男性が育児より残業を選ぶ「男らしさ=出世」の規範が内面化されている(毎日新聞デジタル2016年1月3日)。女性の社会進出が進まない原因でもある。
ひきこもりは家から出られないほど人の目を気にするが、これも世間の目のことだ。元ひきこもりの若者がどれほど人の顔色をうかがい神経をすり減らしているか。逆に人と仲良くできれば決められた時間や場所を守らないことがある。つきあい残業だ。
世間が残り続けるのは、子供が親から受け継いでいるからではないか。
双方とも本当に大事なことに目を向けていない。
時代によって普通の水準は変わる。しかし普通を望み続ける限り普通を作り出している世間という共同幻想に足元をすくわれる。「普通」は守るべきではなく破るべきだ。
この観点から、異なる世代間の議論もかみ合うはずだ。
2016,1,10 長井 潔
定例会報告
12月19日(土)に8名参加(内御家族さん2組)でした。
若者の発言で学校を辞めた事やフリーターであった事は躊躇なく周囲に言ってきたが、引きこもっていた事は言わなかったし、そう思われるのが嫌だったと話した。引きこもりという言葉の印象はとても悪く、特に問題と無関係な人はどうしても怠け者や自分勝手なイメージがあるという意見も出ました。
父母懇談会報告
1月9日(土)に7名参加(内親御さん2組)でした。
お正月にはよくある光景ですが、親戚などの集まりに居合わせるのに抵抗があるという話をしました。引きこもっている状況ではほとんどの人が負い目を感じています。そんな状況で親戚に顔を合わすのは嫌な事だと思います。困っている時こそ周囲に頼れれば良いとも思いますがなかなか難しいですね。
私たちは長く広い世界史的に見て重大な変化の時代に生きているのだろう。それは、世界史で習うような、どの時代のどの国のことも参考にならなくて、もしかしたらかつてあったとされるアトランティス大陸やマヤ文明など理由がわからず滅びた国を参照するしかないのかもしれない。一つは、世界全体で爆発的に人口が増えたこの100年であり、そしてさらなる難局でこれからの大事は、歴史上初めて人口減少という事態に直面することである。例えるなら、私たちはジワジワと確実な急上昇を登りつめ、その頂点に達してこれから急降下をする直前なのだ。
世界的に見れば出生数の増加(人口増加も)は終わってはいないが、この100年の上昇具合に比べると減りはしなくとも、その上昇率は想像しやすくなった。2060年には100億人を超えると聞くと大変なことに思うが、今でも70億人を超えていて、1950年には25億人しかいなかったのだから、上昇率は変わらないかむしろ穏やかなになるくらいかもしれない。中国は今までコントロールしてきたのを転じ、資本主義国家として国力を保つために一人っ子政策を解除した。世界的に見た今後の食糧やエネルギー不足の問題などが取りざたされているが、それも大きな問題であるが、今でも行き届いていないことの方が問題で、この点は先のことよりも今のことをまず解決すべきであろう。
さてこれから直面するさらなる未踏の大問題は足元にある。それは先進諸国で経験し始めている出生数の減少による人口減少の問題である。世界的に見て新興国などと言われている国が人口急増していることによってか、この現象は緩やかに起こると考えがちであった。でもそれは日本など移民を受け入れもしないような国にとっては大きな間違いであって、急増し終わった今頃を頂点として、人口は急激に減っていくことになるだろう。単純に考えれば分かることだが、今の30代40代が大した数の子どもを産むこともなかったのに、その少なくなった子どもたちが急に大家族志向になったりで、たくさん子どもを産むと考えられるだろうか。もちろん子どもがどのように生きていくかは親の知れたことではないし、初めての経験であるのでどうなるかはわからない。だが、恋愛すらしない10代20代の若者と正月早々にある新聞で特集があったのだが、むしろ一人一人を見ても結婚する人も減っているようで、想像を上回るようにして出産したい人も減っているようである。問題は特殊出生率(1人女性が生涯に産む子どもの数)が減れば、増えたときと同じ加速度でもって、数としては今度は逆に倍々に子どもは激減していくことにある。そして、これはもはや過ぎた話しであって、人が減るのはこれからが本番となる。
人口が減ることや、出生率が減ることなどは、現在にいたる社会の在り方の問題であって、個人の問題ではない。減ること自体が問題なのではなく、現実減っていくことに社会として国として対応できないことが大きな問題なのである。なにしろ初めてのことであるし、周りに経験もされていない事態である。事故のようなことかもしれなくて、的確に対応するのが無理なのかもしれないが、当然のようにこの対応を間違えれば、少なくとも日本という国は絶滅することになるだろう。そして、今の政府や国会、自治体、社会の対応はどうやったって間違っているようである。分かりやすいところで一つは、人口が減少すればGDPは当然減っていく。減らなくとも、維持するのはかなり困難になる。なのに、現在の政府はGDPを上げることを目標にしている。この話は、人口が増えている時代の政策をただ踏襲したいだけに過ぎない。一億総活躍などと言って、子育て世代の女性や働き終えた高齢者など今働いていない人を働かせることによって、人口減少をカバーしようということなのだろうが、根本的に問題解決にならない。子育て世代の女性が多少働いたところで、高齢者に働かせたところで、倍々に子どもは減っていき高齢者はもとより子育て世代の女性の数も減っていくのだから、焼け石に水といった話しだろう。何よりも、引きこもりやニートという面倒な若者の話しは、ここでは全く相手にされず、即席の労働力を利用する政策でしかない。後は、それでもGDPを上げたいのなら、お金にお金を産ませるバブルを作り出すくらいのものだが、当然これはもう最悪の事態ということになる。すでに国は閉じられ、将来世代へのつけは取り返しのつかないものとなっている。そもそも、GDPを上げることは行政のやる仕事ではない。GDPが下がった中で税収が下がった中で、社会保障や将来の国の運営をどうしていくかをまじめに考えるのが今の政府の仕事だろう。
順調に人口が増えていくかにみえたアメリカですら特殊出生率が2.0を下回ってきている。これは予想を下回っているようだ。貧乏子だくさんというのはある真理なのかもしれない。それでもかつての未来は明るかったのだ。いま他国と連携して行き過ぎた資本主義経済と向き合おうとするのでもなければ、お先真っ暗である。こうなれば、大量に移民を受け入れるしかないのではないか。もはや日本に経済的なうまみもないが、客として外国人を利用することばかり考えるのではなく、もっと受け入れて多文化交流するがいいだろう。そうでもしなければまた追い込まれ、日本は自爆テロという名の戦争をしなくてはならなくなるだろう。そうなればもはや引きこもりは問題でもなくなるが、戦争はしてはいけない。
2016,1,15 高橋 淳敏
2月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
2月20日(土) 14時から (205回定例会)
場所:高槻市総合市民交流センター(クロスパル高槻) 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】