「親子の文脈」第1回 長井 潔(7月号分)
それぞれの一対の人間関係にはその当事者2人にしかわからない理解の型がある。冗談をいつも言い合う仲の片方が真剣な話を伝えるには「これは真面目な話なんだけど」とまず話の前提に関する注釈を付けてからでないと切り出せない、などのように。これが親子の関係になるとさらに独特の意思疎通のパターンができておりその一組の親子にしか伝わらない細やかなニュアンスがある。このような、表現の奥にあり当事者だけは把握しているかもしれない共通理解のパターンを「文脈」と表現するものだと思う。多くの場合文脈はその瞬間の表現だけではつかめず、それ以前のコミュニケーションの経験から類推されるものだ。固定的な人間関係においては「それ以前」が、数分前から数十年前にも及ぶものかもしれない。
例えば私の娘は私のことを「お父さん」と呼ばず「おっさん」と呼ぶ。他人にはなぜこのような呼び名が成立したのかかいもく見当もつかないだろう。娘が2歳くらいの時に父子で公園に行き、父である私がはて何をすればよいのかと困り、周囲の母子で遊んでいるグループに入ることもできず、ただ父親らしく「遊んでいなさい」など言っても子供だって何も面白くないだろうと考え、2歳の娘の弟にでもなった気分で、子供と同じ目線で同じように砂場で遊んだことがあり、それがうまくいったと感じられたので以降も私は子供と同じ目線でコミュニケーションするようになった。つまりほとんどの場合私と娘は遊ぶか冗談を言う仲になった。叱りつけることなどありえなかった。まだそのころ子供は私のことを「お父さん」と呼んでいたが、子供が小学生になって友達の親を見るようになり、自分の親がいわゆるふつうの「お父さん」と呼ばれる存在とは相当違うふるまいをしていることに気づくようになり、「この人はお父さんではない」と言いだして呼び名が変わるようになり最終的に「おっさん」という呼び名に落ち着いたのだ。
この関係性がなぜ定着できたかと言うと、通常「おっさん」である私と娘の関係性にはオプションのスイッチ機能があり、例えばいじめを受けたときとか進路に関する問題など、ふつうに相談しなければならない内容を抱える時には親として対応する。この瞬間に遊びや冗談は一切消える。これこそ長い年月で培った文脈なので、2人ともあうんの呼吸でスイッチを切り替える。器用と言えば器用だが、私にしてみればむしろたまに出る父親らしいふるまいなので窮屈もない。このような私と娘のコミュニケーションの文脈は十数年保たれてしまった。この文脈が成立してしまった前提として一人っ子であるとか私が他の親と仲良くなるのがしんどいとかの原因があった。
ニュースタートの活動で出会う親御さんには、ひょっとして「いつも」ふつうのお父さんをされているのではないかと思えることが多い。そうならばいざという時、家族の中に問題が起こった時に対応できたのだろうか、窮屈な感じではないのだろうか、と気になってしまう。
※次号に続く