「親子の文脈」第2回 長井 潔(8月号分)
固定的な人間関係では、過去のコミュニケーションの経験から当事者にしかない文脈が作られるものだと思う。仮にその文脈が不健全なものであったとして、その文脈を変更するなんてことは可能だろうか?
ニュースタートに通所で通うようになったある一人の若者は、2年ほどグループでの就労に関する体験など大きな問題なくされてきた。しかしある日突然「いつまでいるかわからない。来月でやめるかも」と言い出した。そこで話し合いの場を持つと、彼が言うのは家族の関係で苦しんでいるという内容に終始する。家族が理解してくれない、本人の話に耳を傾けてくれるような雰囲気がない。両親とも同居の祖父の言動に振り回されている。思わず「それだったら家を出ないと!」と言ってしまった。彼の家族に問題はあるのかもしれないが家族の悩みに終始するところに本人の問題があると見てとれた。
この頃たまたま父母懇談会にこのお母さんが参加された。話をうかがっていると子供の問題に理解のある母親に見えた。私はどうしようかと思いつつ、彼から聞いた話を伝えた。母は困惑していた。
もちろん祖父の癖は母なりに理解しており配慮を十分にしていると。
それでも本人は困っているのです、と私はやや強めに言った。
お母さんは最後まで悩みながら父母懇談会を終えた。私も悩んだ。本人と母親が感じていることの食い違いは私としても判断のしようがなかった。
その後通所に出てくる本人の表情が明らかに明るく変わった。聞くと「問題は解決したんです」と。彼は家族との関係が良い方向に少し変わったと感じていた。同時に今月中に卒業したい旨を表明。しかも家を出ることはやめて、家にいて祖父の面倒を見たり家から通える仕事をしようと考えている。「今は話すことがない」と言うので話し合いも継続せず、母も了解しているというので月が変わるとそのまま活動を終えてしまった。その後彼からは学校が順調に進んでいることの報告をいただくことができた。同じ時期に母親からも私たちの支援について感謝しているとのメールがあった。その数年後彼は専門学校を卒業して就職することになる。結局何が起こっていたのか?
文脈が変更されたのだ。この母と子のそれぞれは何も変化していない。だが二人の間にあるものが変わることによって子がのびのびと社会に参加していくための扉が開かれたのだ。具体的にはおそらく、母が祖父に対してしっかり対決したのだと思う。こうして親子の間もしくは家族の中で長年培われてきた固定的な関係性が、たった数日で変更されるということが、この親子の場合起こりえたのだ。
ただし通常では文脈の変更はなかなかに難しいものだろう。文脈を変更させる試みはほとんどの場合、本人たちの意図に反して、すでにある文脈を強化するだけにつながりかねない。それでも文脈を変える意思のある親御さんのもとではじめて、ニュースタートの若者への支援は充実するものかもしれない。