★2月の鍋の会★
今年から開始時間が変更しています!
第367回 2月14日(日)12時~16時
第368回 2月28日(日)12時~16時
鍋の会は、作るところからみんなでやりたいと思います(^^)v
買い物も12時から行こうと思うので、何鍋にするかぜひアイデアください。
食べたい鍋のリクエストも大歓迎です。
久しぶりの方も始めての方もぜひご参加下さい。
本人がなかなか動けない段階の場合は親御さんだけでもぜひご参加下さい。
鍋の会には寮生や、生きにくさを感じながら動こうとしている若者も参加しています。
自分の子とはなかなか話せないかもしれませんが、他の若者と話してみてください。声を聞いてみてください。
参加申込みは事務所まで、電話かメールでお願いします。
詳細はこちら
1月8日に正月遊びという事で花札にチャレンジしました。僕が大体の遊び方を知っていたので他の人にレクチャーしながら始めました。覚えてしまえば簡単なもので初心者でもすぐに勝負が始めれました。参加した寮生は二人とも勝負には熱くならず、それでも一通りゲームを楽しみました。
正月気分が抜けつつある日に穏やかにこたつを囲んでのんびりとした時間が過ごせました。
○大掃除
12月28日月曜日。今日は、事務所兼寮でもあり鍋の会や夕食会の会場でみんなが集まるこの場所を、一年に一度みんなで大掃除する日です。毎日の掃除は寮生の人が役割分担してやってくれているので、そこまで汚れてはいませんが、大きな棚やカーペットをどかせてきれいに雑巾でふくというのはなんとも気持ちがいいです!ではまずは、大きな本棚のある、奥のリビングからスタートです(^^)/
大きな絨毯は屋上でぱんぱん。ソファーのカバーと座布団のカバーは洗います。雑巾で拭いたあと、配置をみんなで考えて戻していきます。次はキッチンの物を全部リビングに移動して床掃除。そうこうしてる間にもうお昼ご飯休憩です。昼からは恐怖の本棚とキッチン周りと事務所掃除が残っています。終わるかなぁと横切る不安…。
結局、恐怖の本棚に手を付けてくれたのは、元寮生のKくん、寮生のDくん、Mくん。あれっ?気付けばKくんだけになってたり、後から来てくれた人に助けに入ってもらったりして、最後には、あふれかえってた本棚に隙間が!!
その頃キッチンでは、大きな換気扇のこてこて油と戦ってくれている元寮生Aくん。食器棚もきれいになって、代々寮生が使ってきたゲーム機やゲームソフトも整理され、キッチンもすっきりしました。今日は夕方からコモンズで忘年会なので、朝10時スタートの大掃除もそろそろ切り上げて忘年会に向けてパワーを回復?しなくては。16時頃からはゆったりタイムで、こたつでごろごろ。
○忘年会
大掃除のあと、18時からコモンズで忘年会のスタートです。大掃除頑張ったからなおさら美味しいお酒やごはん。あったかい場所で、あったかいごはんを囲んで今年一年、本当にお世話になりました。みなさんお疲れ様でした。
普段はゆっくり話せない人と横に座って話せたり、自己紹介は忘年会だけど、「今年忘れたくない事」でみんなの今年の大切な出来事を聞けたりしました。
チョコレートでできたお菓子の家が登場。飾り付けして、かわいいね(^^)って言った瞬間、私がひと屋根もぎったら全壊してしまいました。でもチョコレート分厚くて美味しかったです!いつもおいしいご飯ありがとうございます。シェフのマスダくん。
○今年で4年目(^^)、12月31日のおせち作り☆
今年は寮生も少ないので昨年よりは少なめに作りました。元寮生で今でも夕食作りを担当もしてくれているNくんと、寮生二人に手伝ってもらって、朝10時からスタートでお昼もみんなで食べて、いつもより早く14時頃にはできあがりました。さぁ、あとはお重に詰めていくだけです。あぁだこうだ言いながら難しいねと詰めていたら意外とそれが時間かかったりして。
夕方前に田中くんがそばを買ってきてくれた頃にできあがりました(^^)vおせちの主役は栗きんとんだよね、いや、えびだ。おにしめもうまい。みなさんは何が好きですか。(く)
夕方からは寮生K君とプレステ2でテニスゲームと野球ゲームで対戦。珍プレー好プレーの大合戦でした。野球ゲームの結果は神4-3巨で9回裏まで白熱しました。その後、シンプルな年越しそばを作り「おせちは明日やで」とか「あと数時間で来年や」など言いながら食べました。 自由人
大そうじ&忘年会 みんなの声
必要なのは物を捨てる勇気!! K
大そうじ 本の部屋のレイアウトが変わったのですっきりしました。昼のおにぎりなどがおいしかった。
忘年会 飲み過ぎてドミトリーまでの帰り道で記憶が飛びました。しゃべったことの記憶もそこまでありません。 栗岡大悟
「年に一度はバカになる」というテーマで挑みました。みなさんもたまにはバカになる事をおすすめします。楽しいですよ。自由人
今年の忘年会は22時までと決まったので私は早く帰ることができました。
22時前に片付けの号令が入ったけど、残りたい人達はその時までにちゃんと許可を得ないとね。なんとなくを通用させてはいけません。ナガイ
K君が暴走していたのが印象深いですね。後、鍋が美味しかったです。M田
次こそは
居残りせずに
帰ります。
失敗画伯
何年分の油汚れだったのだろう? 光藤
思いのほかゆっくり過ごせた(大掃除)。タカハシ
鍋がおいしかったです。(M)
楽しかったです。今年もよろしくおねがいします。Kさん
チョコレートの家がすごかった M,M
おさけ強くなりましたー。(く)
高菜明太子ピラフが(ボリュームがあって)おいしかったです。Fuku.
以上、今回も印象に残る長~い1日になりました。
『364回目の鍋』12月27日。
今年最後の鍋の会は各自で好きな料理を持ち寄って食べる会でした(鍋の会だけど鍋は作りません)。
家で作ってから持ってくる人もいれば、会場に材料を持って来て作る人もいて、どこかで買って来る人もいます。
買って来た唐揚げが被っちゃうのはもはや持ち寄り鍋の会のお約束ですね~(笑)。
どちらも買った場所が違うので、当然ながら味や食感も違ってて美味しかったです。
ちなみに自分は鍋はないけどせめて汁物があればなぁと思い、
野菜たっぷりの洋風スープを作って持って来ました。
今回の料理のコンセプトは「如何に安く作るか」だったので正直味には
あまり自信はなかったのですが、意外にも美味しく食べてもらえたのでちょっと安心。
お金さえ掛ければ料理は美味しくなる、ということではないのだと密かに学びました。
他にも美味しい料理や美味しいお酒、デザートのスイーツなんかもあって、とても豪華な持ち寄り鍋の会にすることが出来ました。
持ち寄ってくれたことももちろんですが、年末の最後の鍋の会にたくさんの人が集まって下さったことが自分としては一番嬉しかったです。来年の鍋の会も何卒よろしくお願い致します。
『365回目の鍋』1月10日。
あけましておめでとうございます。
新年第一回目の鍋の会は、記念すべき365回目の会となりました。
鍋の会自体がようやく歳を一つ取れたわけです(その間に人々は15年も歳を取ってます)。
そろそろ「歴史ある鍋の会」という呼ばれ方をしてもいいような気もしますが……まぁそれはさておき。
今回は実に1月らしい餅つき鍋の会を行いました。餅つきをしようという声があったのでやることになったのですが、
鍋の会の名前を借りるならやっぱり鍋もいるんじゃないかと不肖このわたくしめが提案させていただきましたよ。
そんなわけで餅つきと鍋作りを同時にしよう!ということになりました。
今年から開始時間が早まったのでお昼の12時から集まり、「何の鍋を作るか」や
「誰が何をするか」などを参加者の方々と一緒に話し合います。作る物と役割の分担が
終わったら各自で動いて準備を始めました。当然ながら、完成するまでは何も
食べられません。空腹は最高のスパイスだということを念頭に置いておきましょう。
下のコモンズハートの事務所にスペースを空けてもらっていたので餅はそこでつきました。
上では鍋(今回はお雑煮)を担当した人たちを中心に作ります。最終的にはみんな集まって餅をついたり丸めたり、餅が終わったら上に上がって温かいお雑煮を食べてほっこりしたり。何だかんだと忙しい一日でしたが、皆さん楽しめたようで良かったです。
……でも、やっぱり次からはどちらか一つにしましょうか(提案したことを反省中)。つぼい。
『「子どもたちに一番理解してもらえないことは何ですか」という問いに70歳男性が「私の言葉が通じない」と話し始めた。
「私は子供のころ大変貧しかった。学校を出て就職し、両親を助けようとして一生懸命に働いた。おかげで私は社長になり、1500人の社員を抱えるまでになった。そのために朝は5時から出勤し夜は11時に帰宅するのが『普通』だった。しかし子供は毎朝学校へ行くという『普通』のこともできない。息子は話さないし、女房も息子に加担しているようだ。どうしたら言葉が通じるようになるのか」』
NS通信129号で紹介された、例会での参加者とスタッフのやり取りだ。
その後男性と若いスタッフが論戦した。スタッフはその働きは普通でないと言った。男性に共感する向きもあった。経済発展期、過剰な働きぶりが普通の時代があったからだ。異なる世代間の議論はかみ合わなかった。
男性は、父親が「普通」をできれば息子も「普通」をするのが当然だろう、という。
不思議だ。父親が働きすぎという「普通」をすれば家にいる時間が少なくなる。息子に「普通」を教育する機会は減ったはずだ。なぜ当然なのか。男性には思い込みがある。
父親は家事育児をせずに一生懸命働くべきだという思い込みだ。世間なみの考えであり共同幻想だ。男がソトで働き女はイエを守る。世間に従ってきたのになぜ?という発言ではないか。
実際は、世間に従ってきたから言葉が通じなくなった。
親子の問題ではよく「母親の過干渉」が言われる。しかしひきこもり問題では「父親の無関心」の方が影響すると実感する。父親は「普通」働いてさえいればよいという世間の考えにだまされてきた。または乗っかってしまい、ある意味で楽をした。母親を介して子供に指示し、遠巻きに眺めるだけだった。子供は父親にずるさを見た。だから母親も子供に加担した。
父親が過去の一生懸命をアピールしても問題は解決しない。世間の考えを捨てなければならない。
例えば日本人の働き過ぎは、職場の飲み会やつきあい残業など「仲間の目」を気にする行動の結果でもある。これは世間の目のことだし改めなければならない。
時代が変化しても世間は根強く残る。
今も男性が育児より残業を選ぶ「男らしさ=出世」の規範が内面化されている(毎日新聞デジタル2016年1月3日)。女性の社会進出が進まない原因でもある。
ひきこもりは家から出られないほど人の目を気にするが、これも世間の目のことだ。元ひきこもりの若者がどれほど人の顔色をうかがい神経をすり減らしているか。逆に人と仲良くできれば決められた時間や場所を守らないことがある。つきあい残業だ。
世間が残り続けるのは、子供が親から受け継いでいるからではないか。
双方とも本当に大事なことに目を向けていない。
時代によって普通の水準は変わる。しかし普通を望み続ける限り普通を作り出している世間という共同幻想に足元をすくわれる。「普通」は守るべきではなく破るべきだ。
この観点から、異なる世代間の議論もかみ合うはずだ。
2016,1,10 長井 潔