「世代の溝は埋まるのか」 長井潔
『「子どもたちに一番理解してもらえないことは何ですか」という問いに70歳男性が「私の言葉が通じない」と話し始めた。
「私は子供のころ大変貧しかった。学校を出て就職し、両親を助けようとして一生懸命に働いた。おかげで私は社長になり、1500人の社員を抱えるまでになった。そのために朝は5時から出勤し夜は11時に帰宅するのが『普通』だった。しかし子供は毎朝学校へ行くという『普通』のこともできない。息子は話さないし、女房も息子に加担しているようだ。どうしたら言葉が通じるようになるのか」』
NS通信129号で紹介された、例会での参加者とスタッフのやり取りだ。
その後男性と若いスタッフが論戦した。スタッフはその働きは普通でないと言った。男性に共感する向きもあった。経済発展期、過剰な働きぶりが普通の時代があったからだ。異なる世代間の議論はかみ合わなかった。
男性は、父親が「普通」をできれば息子も「普通」をするのが当然だろう、という。
不思議だ。父親が働きすぎという「普通」をすれば家にいる時間が少なくなる。息子に「普通」を教育する機会は減ったはずだ。なぜ当然なのか。男性には思い込みがある。
父親は家事育児をせずに一生懸命働くべきだという思い込みだ。世間なみの考えであり共同幻想だ。男がソトで働き女はイエを守る。世間に従ってきたのになぜ?という発言ではないか。
実際は、世間に従ってきたから言葉が通じなくなった。
親子の問題ではよく「母親の過干渉」が言われる。しかしひきこもり問題では「父親の無関心」の方が影響すると実感する。父親は「普通」働いてさえいればよいという世間の考えにだまされてきた。または乗っかってしまい、ある意味で楽をした。母親を介して子供に指示し、遠巻きに眺めるだけだった。子供は父親にずるさを見た。だから母親も子供に加担した。
父親が過去の一生懸命をアピールしても問題は解決しない。世間の考えを捨てなければならない。
例えば日本人の働き過ぎは、職場の飲み会やつきあい残業など「仲間の目」を気にする行動の結果でもある。これは世間の目のことだし改めなければならない。
時代が変化しても世間は根強く残る。
今も男性が育児より残業を選ぶ「男らしさ=出世」の規範が内面化されている(毎日新聞デジタル2016年1月3日)。女性の社会進出が進まない原因でもある。
ひきこもりは家から出られないほど人の目を気にするが、これも世間の目のことだ。元ひきこもりの若者がどれほど人の顔色をうかがい神経をすり減らしているか。逆に人と仲良くできれば決められた時間や場所を守らないことがある。つきあい残業だ。
世間が残り続けるのは、子供が親から受け継いでいるからではないか。
双方とも本当に大事なことに目を向けていない。
時代によって普通の水準は変わる。しかし普通を望み続ける限り普通を作り出している世間という共同幻想に足元をすくわれる。「普通」は守るべきではなく破るべきだ。
この観点から、異なる世代間の議論もかみ合うはずだ。
2016,1,10 長井 潔