9月16日に高槻ラウンドワンでボウリングに行ってきました。寮生含め4人で車で出発して現地に着くと平日でしたが思った以上に混んでいて開始するまで20分程の待ち時間もありました。その時間で僕は寮生とツーショットプリクラに挑戦していました。お互い訳解らずのまま行程は進んでいき、できたプリクラはパッチリ目に化粧されている別人のような姿で二人で大笑いしました。他の人も併設されているゲームセンターをうろうろしているくらいで時間が経ち呼び出されました。
いざゲームスタートでトップバッターのfukuさん。周囲も息を飲む中第一投目、ノロノロボールでまさかのストライク。周りは思わず絶句。そんな始まりでしたが好プレー珍プレーありで盛り上がり2ゲーム楽しみました。ゲーム終わりにはUFOキャッチャー無料券をもらい一人一回ずつチャレンジしましたが全員ゲットできませんでした。行ってみれば意外となんだかんだあって充分に楽しみました。
参加者たちの一言↓
ボウリングはスポーツだ!自由人
久しぶりだったけど楽しかったです!陽輔
一球目ストライクで気持ち良かったです。fuku
9月30日のオブスペは、遊休農地開拓活動の畑組と、ドミトリーに残ってお菓子作りや手芸をする組に分かれました。先週の23日は薄曇りで涼しい日だったので私も畑初参戦して樫田の畑に行って雑草抜きをしてきました。しかし打って変って今週は30度を超えるような暑さ。
笑顔で畑組の皆様を見送って、寮生の人と女性の参加者の方とスタッフ2人の4名は部屋の中でゆっくりと過ごしました。サツマイモが残っていたので、炊飯器で簡単♪というレシピでサツマイモケーキを作ります。実は私は炊飯器で作る簡単ケーキは成功した事がなくて、いつも半生になってしまいます。今回こそはと、サツマイモには火を通して、卵もひと手間かけて卵白は泡立ててから混ぜたり、4人で知恵を絞ってスイッチオンしました。
できあがるまでの小一時間、何か作ろうかと手芸用品を前に座り込みます。今まで頂いた布やビーズ、フェルトなどを片付けながら本を見て、これ作ってみたいね、これなら簡単なんちがう?と言いながら想像が膨らみます。寮生のA君もあまり手芸はしたことがないらしく、私と二人でネコカチューシャを作りました。これならはさみとボンドだけでできちゃうので(^^)できあがりをかぶらされて困りながらも笑ってくれるA君。
さぁ炊飯器がピーピー言いましたよ~。ふっくらできてますように!ふたを開けると…あぁーやっぱりー半生ー!さっさと炊飯器とはおさらばしてフライパンに移し替えて上の部分を下にして焼きあげます。なんともふっくら美味しそうに見えます(^^)終わりよければ全てよしです。芋がしっかり入ってどっしりしたケーキになりましたが、優しい味で美味しかったです。写真は撮り忘れましたが、とても分厚かったです。帰って来た畑組のみんなにも食べてもらえたし、良かったです。
手芸用品は紙袋いくつにもなっていたものを箱3つに整理できて、すっきり。これからの季節手芸したい気持ちが大きくなりそうです。
☆手芸が好きで一緒にやりながら教えて頂ける方いらっしゃいませんかー!(く)
『382回目の鍋』
9月25日。この日はキムチ鍋(コチュジャン味)でした。隊長が濃くなり過ぎないように気をつけて味付けをしてくれました。その大切に作られた鍋を2杯目を作る時に勝手に味を濃くしている人が!!…すみません、私です。自己紹介では「この秋に食べたい物」がテーマでした。サンマという名前が出るとみんなうん確かにサンマが食べたいねと、全体的にサンマ自己紹介になりました。私もその一人でしたがなんと!次の日にサンマ食べました(^^)vラッキーです。
『383回目の鍋』
10月9日。この日は頂いた無農薬のレモンがたくさんあったので塩レモン鍋になりました。一般的には珍しい鍋だと思いますが、ニュースタートでは結構定番になりつつあるニューフェイスです。この日の自己紹介では「昔好きだったアニメ』という話題で、ドラゴンボールという人が多くこれまたサンマ現象のような感じでしたね。そうやってみんなで話してると人の意見を聞いて、そうかもとつられたり、いや私は違うと思ったり、おもしろいです。鍋の会が、自分の意見を好きなように話せる場であればいいなと思います。
☆ミニコーナー~はじめての鍋会~
○コモンズハートや夕食作りでおなじみの元寮生の永井くんの場合。
30人以上いて、人が多くて立っている人もたくさんいた。遅れてきて入りにくかった。何も喋らずに帰った。←2009年12月『221回目』
○ご存知田中くんの場合。
全然印象に残っていないし、つまらなかった。訪問活動中で誘われてしょうがなく来て、部屋のすみっこでガンを飛ばしていた。←2008年10月『195回目』
ということで二人とも第一印象は良くは無かったみたいですね(笑)
定例会報告
9月17日(土)に9名参加(内御家族さん4組)でした。
今回は参加者の方で兄弟姉妹からの相談が複数ありました。最近は両親が高齢化するまで問題が放置され長期化、深刻化してから相談される方も多いと感じています。こうなってはますます問題が膨らみ解決までが困難になります。家族は家族のために大きな問題に発展する前に放置せず動き出す事が重要です。
父母懇談会報告
10月1日(土)に7名参加(内親御さん3組)でした。
今回参加された方で寮生の親御さんがおられました。子が寮生活と両親も子の事ばかりに気を取られなくなり日常が良い方向に変ったと話がありました。寮に入る事で本人は具体的な変化になりますが家族にも少なからず影響が出ます。それらを含めて引きこもり問題は家族が大きく関わる問題です。
9月24日と25日に共同連という集まりの全国大会が、堺市のビッグアイという集会施設で、障がい者が中心となって500名以上が参加し開催された。その中で『社会が「人」を障害化する』というテーマでニュースタート事務局関西が分科会を担当した。引きこもりの問題を考える上では、当事者と言われる個人が、努力や能力ではどうにも解決されず、協力するのでなく競争させ、共生するのではなく孤立させる今の社会や、その社会を信用できず自分だけでなんとかする当事者や家族が問題なわけだ。その問題を解決するためには誰でも一緒に居られる「場」をつくり、そこへ引きこもっていた人をはじめ様々な人が寄り合うのでもなければ、そして新たな出会いからの生活の「場」が生まれなければ、引きこもらされる社会の構図は相変わらない。それで現在のように減りもしなければ長期化するしかないわけで、ここの投稿でもその辺のところを何度か書かせてもらったが、これら引きこもりの問題をもっと前からある障がい者問題と比べてどうなのか問うてみたのが、今回参加させてもらった一つの目的であった。
ご一緒した共同連代表の堀利和さんの話しから、私の勝手な解釈になるが紹介させてもらう。『社会が「人」を障害化する』というタイトルは堀さんの本から拝借したものでした。障害には自然概念的な意味と、社会概念的な意味がある。例えば、目が見えにくいのは自然概念的なとらえ方だが、目が見えにくい人が「人並み」に生活ができないのは社会概念的なとらえ方である。自然概念的な障害は治りにくいとされているので、問題は「人並み」の生活ができるよう社会的に障害を取り除いていくことにあるわけだが、社会保障など制度は整えられても、結局は当事者や支援者の自助努力にその問題は追いやられている。その大きな原因の一つが、現在の資本主義社会での働き方にあるというのだ。障がい者の障害者たるゆえんが、資本主義社会の中にあるという話しなのだが、この辺の説明は多少ややこしく、当日もあまり時間はとれなかったので端折るが、要するに労働力商品(労働力の売買)としての能力が足りなかったり努力する機会があたえられていない障がい者は資本主義社会の中で働くことから排除されている。障がい者が働くことは福祉的労働と言ったりする。そして、消費者として一方的にしか関われないのであれば、それは社会経済活動からも排除されていることになろう。
このように障がい者が置かれる立場を聞いて、私は引きこもりの置かれている状況に近いと思っている。引きこもりが労働力商品として能力がないとされるところは、繊細さや経験のなさであったり初心さ若さの蔑視であったりするだろうし、社会経済的な理由でちゃんと雇用する会社がなかったりで努力する機会は奪われ、労働力商品ともなれず社会から必要にされないことで、厄介者とされる。引きこもりも一方的に経済活動から排除されている。アルバイトすればいいなんて話しではない。障がい者との違いがあるとすれば、健常者として「本人次第」や「自己責任」などとより競わされてきたため、友達も少なく人との関わりが貧しいので、社会概念的な障害の度合いはより深刻だと考えている。このような引きこもりが発達「障害」などと呼ばれるようになったのは当然の社会的帰結だろうが、それでこの「障害」が本人の中にあるとして、脳の器質性の障害を疑ったり、本人や家族がコミュニケーション能力のなさを嘆くのは不毛である。いまだに精神科医が発達障害に効く薬などと主張していて、そういうのにはもう本当に怒るしかない。私が話した(かった)ことは、このようなことであるが、堀さんが発達に「障害」があるなんて、失礼な話しだとコメントしてくれたのは有り難かった。「人」としてまともに発達したからこそ、単には労働力商品になれないのだと私は言いたかったのだった。
それで我々はどうするかで、肯定感の話しになった。1970年後半、母親が脳性マヒの子どもを殺し、その母親に対して同情するような話しで減刑を懇願する動きがあったのだが、その減刑を求める潮流に猛然と抗議したのが、脳性マヒの当事者団体だった青い芝の会だ。脳性マヒを理由に母親がその子どもを殺して許されるのならば、脳性マヒ者は生きていてはならない存在ではないかと、その存在を社会から全否定されたので全存在を賭け、彼らの運動は脳性マヒという生を絶対肯定した先に、健常者社会を糾弾するに至った。有名な障がい当事者運動なのだが、これにより障がい者の「生」についての理解が深まり、社会的な障害が彼らによって取り壊されたことがあったと考える。今でもこの運動に救われる当事者もいるわけだが、一般的にはあまり広まらず忘れられるため、相模原のような悲劇は起こる。現在、われわれは労働力商品になれず、社会経済活動からその存在を一方的に否定されているのだ。堀さんは搾取すらされないと書いた。排除されたわれわれは、お互いの存在自体を肯定すべくめっちゃごちゃまぜに集まりを作っていくのがいいだろうと。分離教育反対!
めっちゃごちゃまぜええやんかとは大会テーマであった。聴いてくれていた人からは、障害というのは介助するのもされるのも痛かったりしんどかったりでもっと身体的な苦痛や交流も伴うものだと、それぞれの「障害」を知らないのではないか、そのためには喧嘩できるくらいがいいのではないかなど、さまざまに意見をもらった。交流していく場所と時間が必要だと感じた。引きこもりを経験した人の中には介護やヘルパーのような地域の仕事に就く人が多い。支援計画などを立てさせられるだけでなく、ゆくゆくは支援を越えて協力して地域生活を作っていき、グローバル金融経済に対抗すべく地域経済を作ってはいけないものかと思うのだった。
2016,10,14 髙橋淳敏