…ということで今年も鍋会や夕食会に集まる若者中心にアンケートをお願いしました。
今年の質問は
Q1生まれ変わるなら何になりたい?
Q2あなた自身のこの一年を漢字一字で表現してください
Q3サンタにプレゼントを一つもらえるなら何をお願いしますか?
Q4ドミトリー(自宅)の近所にできてほしいお店や施設は?
Q5来年の目標、抱負は?
です。さてどんな結果だったかご覧ください
P.N.失敗画伯
Q1少女マンガの主人公
Q2「転」
Q3瞬間移動する力(古い時代や未来にも行ける)
Q4ゲーム屋(切実)
Q5やれる事とやれない事をしっかりと見極め平穏なる日常を謳歌する
P.N.m.m
Q1特になし
Q2「資」
Q3ゲーム
Q4定食屋
Q5今年始めた仕事を続けていくこと
P.N.光
Q1生まれ変わり不用
Q2「明日は明日の風が吹く」
Q3一年の生活費
Q4大きな本屋
Q5生き延びる
P.N.みかんくん
Q1ミュージシャン・アーティスト
Q2「寒」
Q3ギター
Q4CD店
Q5職に就く事
P.N.ムソウテンセイ
Q1サウザー「引かぬ、媚びぬ、省みぬ!!」そんな人生歩んでみたい
Q2「恐」
Q3国産の最新ノートパソコン
Q4未来デパート
Q53歩進んで2歩下がる
P.N.自由人
Q1のび太くん
Q2「巡」
Q3新しいガラケー
Q4ウインズ
Q5食べる寝るをしっかりする
P.N.なぞの三年生
Q1男の子
Q2「好」
Q3チマチョゴリかリカちゃんの一人べや
Q4おもしろい公園
Q5ヘアアレンジなどオシャレをしたい。ダンスいっぱいする。べんきょうをがんばる!いっぱい本を読む
P.N.タカハシ
Q1植物(大きな樹)
Q2「底」
Q3軽いパソコン
Q4さかな屋さん
Q5ニュースタート
P.N.白発中
Q1今のように地味でいい
Q2「技」
Q3一回の充電で500km以上走行できる電気自動車
Q4大型書店
Q5北陸とか四国とかに行く
P.N. M.I
Q1スタイルの良い人
Q2「病」
Q3新しいPC
Q4ジム
Q5やせる
P.N.MS.
Q1山口絵理子
Q2「災」
Q3余ゆう
Q4手品バー
Q5少しずつステップするぞ
P.N.しき
Q1こびと
Q2「女」
Q3でっかいつむつむがほしい
Q4おもちゃやさん
Q5ゆきだるまをつくりたい
P.N.(く)
Q1パン好きな女性。日本以外のパンを食べたいのでドイツ人かフランス人。
Q2「招」
Q3大2小2人分の北海道旅行券。炊飯器、トースターも
Q4大きな公園もしくは土手
Q5家族で旅行
…以上のような結果でした。みんな好き放題に答えてくれました。パソコンが欲しいという人が多いのも時代ですね。
来年の目標はほとんどの人が真面目な考えを持っているのだなぁと感じました。皆さん充実した
2017年になると良いですね。ご協力ありがとうございました~。
ニュースタート事務局関西に関わる人たちが牽引して、日本スローワーク協会というNPO法人を作ったのが2005年で、その形態や関わる人がさまざまに変化したこともあって、10周年記念など祝う余裕はなく(全然スローじゃない)、祝ってもらう雰囲気もなかったわけだが、一体何をやってきてこれから何をしていくかを見直す時期に来ている話題に最近なった。11年経ってようやくスローワークのことを皆で話し合うわけで(これはスローである)、その草案を考える仕事が理事なので私の方に回ってきた。といっても、NPO法人を作ったときに何も考えていなかったのではなかった。設立趣旨書にはこう書かれてある。「前略~スローワーク協会は旧来の競争原理と自助自立によるファースト(より早く、より大きく、より多く)な価値観に替わる新しい生き方、働き方を提唱し実践することを目的に組織されます。~」だが、ここにはファーストに代わるものと言ってはいるが、スローが遅いやゆっくり以外にどういった価値があるのか、ワークとつなげた造語スローワークとは何なのかは書かれてはいない。キーワードは文面にもあった「共生」であるが、それがどのように実現されるかはさまざまな人が入り混じる中でやってみなくては分からないことであった。当時はその勢いでよかったのだが、いろいろと問題も出てきた。そのいちいちをここでは検証できないし、たぶんこの機会にも検証しきれないが、ファーストではなく、スローにスローワークを定義する仕事を実践していくために、ここでも草案についての文章を公開し話し合いのすそ野を広げたい。草案の草案といったところかもしれないが、思っているところを書留めてみる。
そもそもなぜ私たちに、ニュースタート事務局関西ではなく、他の日本スローワーク協会という集まりが必要になったか、その前身である2001年から始まったフリーターズネットワークの存在を思い出す必要がある。時代はフリーターなど非正規雇用といわれる労働者が労働組合などにも相手にされず、その働き方に悩みだす人が増えてきたころにあった。それでも、正規雇用こそが名前のように正しい働き方であるといった考えが、フリーターをしている人たちの大半も考えていたので、一人で入れる労働組合なども後に広まったが、孤立していて困っている人たちに対する労働相談が中心になった。そのころを境に働き方が改善されたかと聞かれれば、売り手買い手の力関係、経済の浮き沈みで、就職率くらいは変わっても、知っている人ほど働き方はむしろ悪くなっていると考えている。だからなのか、現在のほうが無垢に正規雇用の神話を信じる人が多いようにも思う。現在は飽和状態にあるが、自己責任社会の問題があふれ出した季節であった。私たちは引きこもりの問題をやっていて、「友達」(鍋の会)や「生活」(共同生活寮)に活動の重点を置きながら、最終的には「社会参加」によって引きこもりが解決されると考えていたので、仕事のことは当初から大きなテーマであった。それにしても、大きな企業に正規で雇用されるか、非正規で雇用されるかという話と、引きこもりの問題はどうにも相性が悪かった。卑屈に考えれば、アルバイトでもできればいいといった話しは家族や本人にもよく聞かれたが、アルバイト生活した後に引きこもる人は多くいたし、そもそも引きこもりはいい学校いい企業などといったコンベアー教育の中で、友人関係がぎすぎすしていったような話からはじまるのであった。そしてそれらをたとえ振り切ったとしても、何のために働き何のために生活するのか、克服しようとする行為(一人でがんばろうとしたり、引きこもったり)が病気や障害などと見立てられることが多くあった。なので、引きこもりを支援する発想には、雇われないで働くことを考える必要があった。そして、そのような働き方は支援者当事者関係なく、考えるだけでなく自分たちで開発していく必要があった。フリーターズネットワークはその後、ニュースタートの中でNSワーカーズという集まりに発展した。しばらくして、外から合流する人たちもあって、日本スローワーク協会となる。
それではその新しい働き方は何が違うのか。雇われないで働くのは、個人商店だとか協同組合だとか、それまでもあった。それらに学ぶことも多いが、私たちはなぜ引きこもらされたかというところから、働き方を考えていかなくてはならなかった。ニュースタート事務局関西は、引きこもらされた原因を人間不信や対人恐怖にあると考えている。人を好きになれなかったり、信じられなかったりするのを、その個人が悪いといっているのが、引きこもりに冷たい社会であるが、まずもってなぜそのような社会にしたのかを変えていかないといけないだろう。たとえば、個人主義と自己責任が結びついた時の、あの言いあらわしがたい感じは、何度も経験する必要はないものだろう。ひとつの作業があったとき、それを押し付けあったり、奪い取ったりするのでなく、「協力」することの難しさがそこにはある。一人でやるほうが楽で効率的であったとしても、その仕事を居合わせる自分とは違う他者と分け合って、「協力」してやることなのだが、現代においてはそのような働き方はとても珍しくなってしまったと考える。スローワークは、「協力」してもなんらかの成果がともなうような働き方や仕組みを考えている。
このような働き方は時代にもあっていると考える。というのも日本だけでもなく、世界も経済はあまり希望もなく下がり調子である。一度栄華を極めし文明は落ちるときも早いが、今の資本主義はそれを表面的にうまくやっているように埋めなおしているくらいで、自分たちだけは落ちないようにと国も個人も身を守っているようなつまらない季節である。そのような時期に、「協力」して仕事をすること、どんな些細な作業でもできれば協力していくことは、やりにくくはあるがとても大事で価値あることだと考える。でも、ゆっくりやるのは楽な仕事ではない。ここに関わっている誰もが冗談のように言い合うが、自分たちで考えてやっていく仕事はとてもハードである。スローワークの反対はハードワークではない。スローワークはハードワークかもしれないが、誰かから言われてやりたくないことばかりをこなさなければならないあのハードさではない。誰もやらないから自分がやるとか、人に押し付けるようないやな感覚もないといいたいが、なくするためにはどうしていけばいいかを主張できない人でも話し合える仕組みが大事だろう。
2016.12.16 髙橋淳敏
定例会報告
11月19日(土)に7名参加(内御家族さん1組)でした。この日はボランティア志望で日本の引きこもり問題に関心があるとい国外出身の方が参加されました。今は日本に在住しているそうですが出身国でも引きこもり問題があるという話を聞きました。国や環境が違えば同じ要因で引きこもるとは限りませんが海外でも問題視され始めている事に驚きました。
父母懇談会報告
12月3日(土)に4名参加(内親御さん1組)でした。父母懇談会は次回から父母会という名称に変更します。次回も第一土曜日の1月7日14時から行います。父母の集まりを今一度検討してより良い集まりを企画していければと思います。皆さんのご提案などありましたらお聞かせください。これまで参加された方も是非次回の参加お待ちしております。
ニュースタート事務局関西に関わる人たちが牽引して、日本スローワーク協会というNPO法人を作ったのが2005年で、その形態や関わる人がさまざまに変化したこともあって、10周年記念など祝う余裕はなく(全然スローじゃない)、祝ってもらう雰囲気もなかったわけだが、一体何をやってきてこれから何をしていくかを見直す時期に来ている話題に最近なった。11年経ってようやくスローワークのことを皆で話し合うわけで(これはスローである)、その草案を考える仕事が理事なので私の方に回ってきた。といっても、NPO法人を作ったときに何も考えていなかったのではなかった。設立趣旨書にはこう書かれてある。「前略~スローワーク協会は旧来の競争原理と自助自立によるファースト(より早く、より大きく、より多く)な価値観に替わる新しい生き方、働き方を提唱し実践することを目的に組織されます。~」だが、ここにはファーストに代わるものと言ってはいるが、スローが遅いやゆっくり以外にどういった価値があるのか、ワークとつなげた造語スローワークとは何なのかは書かれてはいない。キーワードは文面にもあった「共生」であるが、それがどのように実現されるかはさまざまな人が入り混じる中でやってみなくては分からないことであった。当時はその勢いでよかったのだが、いろいろと問題も出てきた。そのいちいちをここでは検証できないし、たぶんこの機会にも検証しきれないが、ファーストではなく、スローにスローワークを定義する仕事を実践していくために、ここでも草案についての文章を公開し話し合いのすそ野を広げたい。草案の草案といったところかもしれないが、思っているところを書留めてみる。
そもそもなぜ私たちに、ニュースタート事務局関西ではなく、他の日本スローワーク協会という集まりが必要になったか、その前身である2001年から始まったフリーターズネットワークの存在を思い出す必要がある。時代はフリーターなど非正規雇用といわれる労働者が労働組合などにも相手にされず、その働き方に悩みだす人が増えてきたころにあった。それでも、正規雇用こそが名前のように正しい働き方であるといった考えが、フリーターをしている人たちの大半も考えていたので、一人で入れる労働組合なども後に広まったが、孤立していて困っている人たちに対する労働相談が中心になった。そのころを境に働き方が改善されたかと聞かれれば、売り手買い手の力関係、経済の浮き沈みで、就職率くらいは変わっても、知っている人ほど働き方はむしろ悪くなっていると考えている。だからなのか、現在のほうが無垢に正規雇用の神話を信じる人が多いようにも思う。現在は飽和状態にあるが、自己責任社会の問題があふれ出した季節であった。私たちは引きこもりの問題をやっていて、「友達」(鍋の会)や「生活」(共同生活寮)に活動の重点を置きながら、最終的には「社会参加」によって引きこもりが解決されると考えていたので、仕事のことは当初から大きなテーマであった。
それにしても、大きな企業に正規で雇用されるか、非正規で雇用されるかという話と、引きこもりの問題はどうにも相性が悪かった。
卑屈に考えれば、アルバイトでもできればいいといった話しは家族や本人にもよく聞かれたが、アルバイト生活した後に引きこもる人は多くいたし、そもそも引きこもりはいい学校いい企業などといったコンベアー教育の中で、友人関係がぎすぎすしていったような話からはじまるのであった。そしてそれらをたとえ振り切ったとしても、何のために働き何のために生活するのか、克服しようとする行為(一人でがんばろうとしたり、引きこもったり)が病気や障害などと見立てられることが多くあった。なので、引きこもりを支援する発想には、雇われないで働くことを考える必要があった。そして、そのような働き方は支援者当事者関係なく、考えるだけでなく自分たちで開発していく必要があった。フリーターズネットワークはその後、ニュースタートの中でNSワーカーズという集まりに発展した。しばらくして、外から合流する人たちもあって、日本スローワーク協会となる。
それではその新しい働き方は何が違うのか。雇われないで働くのは、個人商店だとか協同組合だとか、それまでもあった。それらに学ぶことも多いが、私たちはなぜ引きこもらされたかというところから、働き方を考えていかなくてはならなかった。ニュースタート事務局関西は、引きこもらされた原因を人間不信や対人恐怖にあると考えている。人を好きになれなかったり、信じられなかったりするのを、その個人が悪いといっているのが、引きこもりに冷たい社会であるが、まずもってなぜそのような社会にしたのかを変えていかないといけないだろう。たとえば、個人主義と自己責任が結びついた時の、あの言いあらわしがたい感じは、何度も経験する必要はないものだろう。ひとつの作業があったとき、それを押し付けあったり、奪い取ったりするのでなく、「協力」することの難しさがそこにはある。一人でやるほうが楽で効率的であったとしても、その仕事を居合わせる自分とは違う他者と分け合って、「協力」してやることなのだが、現代においてはそのような働き方はとても珍しくなってしまったと考える。スローワークは、「協力」してもなんらかの成果がともなうような働き方や仕組みを考えている。
このような働き方は時代にもあっていると考える。というのも日本だけでもなく、世界も経済はあまり希望もなく下がり調子である。一度栄華を極めし文明は落ちるときも早いが、今の資本主義はそれを表面的にうまくやっているように埋めなおしているくらいで、自分たちだけは落ちないようにと国も個人も身を守っているようなつまらない季節である。そのような時期に、「協力」して仕事をすること、どんな些細な作業でもできれば協力していくことは、やりにくくはあるがとても大事で価値あることだと考える。でも、ゆっくりやるのは楽な仕事ではない。ここに関わっている誰もが冗談のように言い合うが、自分たちで考えてやっていく仕事はとてもハードである。スローワークの反対はハードワークではない。スローワークはハードワークかもしれないが、誰かから言われてやりたくないことばかりをこなさなければならないあのハードさではない。誰もやらないから自分がやるとか、人に押し付けるようないやな感覚もないといいたいが、なくするためにはどうしていけばいいかを主張できない人でも話し合える仕組みが大事だろう。
2016年12月16日 髙橋淳敏
『386回目の鍋』
11月27日。寒い季節に鍋は付き物。各ご家庭でも鍋料理が晩御飯として出てくる事が多くなっているのではないでしょうか。昼御飯として食べる鍋もまたいいものですよ。ちなみに自分は夜に食べる鍋より昼に食べる鍋の方が確実に多くなっています。そんな影響を与えている鍋の会の今回の鍋は坦々鍋でした。
坦々麺なら良く聞く事があると思いますが、要するにあれの鍋バージョンだという認識で間違いはないです。
この寒い時期にピッタリの鍋ですね。鍋で身体を温めれば冷たいお酒も進むというものです。
自己紹介の際のテーマは「普段ほぼ必ず行う習慣事(ルーティン)とは何か?」でした。
様々な回答のある中、ルーティンを決めない、決められないという人もいるようです。
それはそれで毎日が新鮮で飽きないから良さそうだなと少し思いました。とはいえルーティン通りに動く事に慣れきった自分は今日もこの文章を書く為にキーボードをパコパコ打っているのです。
『387回目の鍋』
12月11日。この辺には雪こそ降っていませんが立派な冬と言えるほどの気温にもなってきました。
そしてこの季節ではもはや恒例(?)なのですが風邪を引いてしまっております。
周りでも体調を崩してしまう人が多いですね。急な寒暖の変化に人間はなすすべもなく打ちのめされている始末。もうこれは温まる為にキムチ鍋を!という話が出ていたのですが、諸事情により水炊き鍋をする事にしました。風邪で体調悪いから楽したかったとかそういうのではないんでホントに。
鍋の会ではあまりしなかった鍋というのもあって、これはこれで新鮮な感じがして良いと思います。
最近までは白菜とか高かったのですが、この日にはもう安くなってきていたので問題なく買えました。
白菜や豆腐、ネギに春菊などの食材を昆布湯で火を通してからおわんのポン酢につけて食べます。
ポン酢味で食べる鍋が久々だったのもあってか美味しくいただく事が出来ました。自己紹介では「実はこんな特技があった」というテーマでそれぞれが話したり、何やらジェンガで遊ぶ面々がいたりと楽しい場の雰囲気が伝わってきます。次回はちょうどクリスマスとなる12月25日に鍋の会が開催されますが、普段のように鍋を作る予定はありません。参加者それぞれが何か食べ物などをプレゼントとして持ち寄り、料理を食べたりお酒を飲んだりワイワイ楽しむ会にしたいと思っていますので、皆さんのご機嫌なサンタクロースとしての参加を心よりお待ちしております。