NPO法人 ニュースタート事務局関西

大晦日おせち作り

By , 2017年1月27日 10:00 AM

12月31日は毎年恒例のおせち作りをしました。近頃は寮生も少なくなってきていて作りがいが無いねなんていいながらも、どうせ作るならたくさんできてしまうのがおせちです。寮生の分と、一緒に作った元寮生二人とスタッフもタッパーにおすそ分けしてみんなで同じおせちでお正月です(^^)今年のN君のおにしめも絶品でした。紅白なますも田中くんが2時間ほどかけて細く大根を切ってくれたおかげで(途中からM君がお手伝いしてくれて無事に午前中に切り終えた代物です)とても美味しくできていました。昼ご飯にみんなでおそばを食べて昼からラストスパートです。この日同時開催をしていた髙橋代表の相談会は認知がされてなかったのか年末外に出る人が少なかったのか特には誰も来ずでした。誰か来てたら麻雀大会になってた可能性もあります(笑)2017年も美味しい年になりますように…。oseti2

☆大掃除&忘年会☆

By , 2017年1月26日 10:00 AM

12月27日(火)に午前中から大掃除、夕方からは忘年会を行いました。朝は残念ながら雨上がりきれずといったような天気で布団系干せないなぁとか言いながら始まりました。半年前に壁塗りをしたのである程度きれいだった事もありますが例年より少し手抜き大掃除になったかなと思います。とは言え実際は手は抜いておらずやった場所はかなり入念に掃除できました。毎年苦戦する本棚はやらなかったのですが換気扇や電気の笠などは気にしてくれた人が率先してやってくれて充分に日頃できない掃除ができました。遠方から参加してくれた人もいてすごく助かりました。ありがとうございました。
そして待ちに待った忘年会の会場はコモンズです。時間もそろそろかと思いドミトリーから移動しようと外を見ると一時は上がっていた雨がまた降り出していて手分けして飲み物など運び入れました。料理はお店に頼んでいて毎年作ってくれているMさんの手作りでした。メインは鍋で具だくさんで美味しく他の料理も美味しかったです。僕のストライクは肉団子の料理でした。例年ですが右の写真のような珍客(自分)も参加しながら20人くらい参加して盛り上がりました。一人一人の挨拶では来年の目標や今年印象に残った事などそれぞれ発表しました。ニュースタート名物のお酒で介抱の必要な人も多分出ずホッと胸をなで下ろしました。やっぱり一年もあればなんやかんや色々あったなぁと振り返り忘れる事の出来ない年になりました。…忘年会ってその年を忘れないようにやる会じゃなかったっけ。まあ考え方は人それぞれでおまかせします。それではまた来年に!自由人hanami_boys

◆クリスマス夕食会◆

By , 2017年1月25日 10:00 AM

2016年の最後の夕食会は、12月22日の木曜日でした。やっぱりクリスマスっぽいメニューが食べたいので、クリスマス夕食会にしようということに。一見難しそうですが、一品一品はとても作りやすいものなので、人手があれば難なくできちゃいます。まずは材料切り、フライパン前での炒め係と、スープ作りに、漬け込んでおいたタンドリーチキンを最後焼く係など、寮生、元寮生、スタッフが総動員している中で、アップルパイ作ってみたいという小3女子とその他数人がパイ人員に。冷凍のパイ生地使うんだから、煮たりんごを包んで焼くだけだと思いましたが、りんごの汁け具合や、パイの伸ばし具合など、いくつかの難しいポイントがありました^_^;一度、誰かアップルパイ名人に作ってもらってその様子を横で見て学びたいなと思いました。メインと、デザートが黄色かったので、スープの赤がとても美味しそうになりました。出来上がりまでバタバタの夕食準備で今年も夕食会作り納めになりました。寒い日にみんなで集まってご飯を作って、食べるというのは部屋も気持ちもあたたかくて本当に大切だと感じます。ニュースタートのどんな会でも、ニュースタートでない場でももちろん同じですが、誰かに必要とされているされていないからとかではなく(他人にどんな風に思われているかなんて結局わからないからです)、自分がその場に行きたいそこで何かできることをしたいと思う気持ちが一番大事な参加資格だと思います。DSCN6117

定例会&父母会一言報告コーナー

By , 2017年1月24日 10:00 AM

定例会報告

12月17日(土)に7名参加(内御家族さん4組)でした。

親御さんから親子で会話で話ができない、成り立たないというお話がありました。子供の気持ちから考えると自分だって望んでいた生活が送れていない事は重々理解して悩んだり困ったりしているのに親からさらにその部分を問いただされるとただただ気分を害するだけで答える気持ちにはなりませんね。

父母会報告

1月7日(土)に8名参加(内親御さん4組)でした。
今回父母会と名前を変更して場のあり方など話をしました。親御さんが集まる場としては必要性もありニュースタートの他の会とも別の主旨をもつ会としてまとまりました。今後も複数の親御さんが集まる会として毎月第一土曜日の14時から行います。今後もよろしくお願いします。

「子育て」髙橋淳敏

By , 2017年1月23日 10:00 AM

現在私は子育てをしている。親子は似るもので、私はアレルギー性鼻炎から気管支炎になり、子どもは同じく鼻炎から喘息になって入院することになった。子どもが入院したのは6歳の頃で、私がよく耳鼻科に通院していたのが小学生の中頃と記憶しているので、子どもの方が発症は早く重症化したと思われる。子どもは喘息により呼吸がうまくできなく血中の酸素濃度が薄すくなり、酸素の吸引や投薬のため、食事も飲み込めなくなるので点滴の治療のために入院した。そこで、どんなものがアレルゲンになるか調べるアレルギーのテストをしてもらった。私も子どもと同じような時にくしゃみをし、鼻水が出ていたので、同じアレルギー体質だと思っていたが、ハウスダストの一種でダニの死骸や糞がアレルゲンであることがわかった。それで、メカニズムとして理解できたのが、夏の間に大量に繁殖したダニが寒くなる時期に死に、乾燥する季節に衣替えなどする中で飛散する。マンションなど機密性の高い現代家屋の中では、通気性悪くアレルゲンとなるハウスダストが繁殖しやすくかつ外へ出て行かず部屋の中で循環し、それを吸引し鼻や喉に炎症を引き起こしていたのではないかと推測した。私が勝手に考えて、医者にそこまで教えてもらったわけではないが、それからは治療が簡単であった。毎年子どもが入院した時期ぐらい寒くなる頃に、夏に繁殖したダニを一掃すべく家の大掃除を年末ではなくこの時期に前倒しした。それでも、違う季節に発作をおこして通院したり、毎年寒くなる時期には発作が起きるかとヒヤヒヤすることもあったが、3年経って徐々に良くなり昨年はほとんどその兆候は現れなかった。今でも、私と子どもで同じ時に鼻をグズグズしているときはあるが、自分の症状も含めてようやく良くなったのではないかと思えた。このことで、一つだけ考え方を変えたことがある。子どもが咳をしてすぐに薬で止ようとするより、少々なら鍛えられるか慣れるかして治まることもあるかもしれないので我慢させていたことがあったが、医者が言うにはそれらの症状で器官が鍛えられることはなく、悪くなっていくだけだと。確かにそうだ、内臓は鍛えられないと考え方を変えた。それで、症状が悪くなればピンポイントで通院することにはしたが、基本的にはアレルゲンを取り除くこと、環境を変えることが治療であった。そして、私の症状も治まった。

私の場合どうであったか。主に母親が私の鼻炎と気管支炎の治療に付き合ってくれていた。父親が私の症状に付き合ったり、病院や母親に任せる以外の考えを持っていたとは思えない。仕事が忙しかったからだが、子どもの面倒は母親がするものだと決まっていたし、私も含めてそのことに疑問を感じることがなかった。私は小学生でアレルギー性鼻炎を発症し、ほどなく喉に負担がかかり気管支炎にもなった。それから何度も通院をさせられ、薬やなんかで対処療法をしていた。それでも当然よくはならないので、医者が言ったのか親が勝手に判断したのか分からないが虚弱体質だと判断され、毎日そう安くもない栄養剤や今でいうところのサプリメントみたいなものを小学校が終わるくらいまでの間に大量に飲まされたり、体を鍛えさせられたりもした。飲まなかったり、鍛えないよりましだというくらいなのだろうが、医療が関わっていても治療は現在までなされなかった。ここで学ぶべきことは、少なくとも私の親には環境が悪いという考えが全く欠如していた。あるいは、環境は容易に変えることができるという発想かもしれないが。その時の生活を続けていく中で子どもはその環境に適応しなくてはならないし、鍛えられたり努力したり耐えなくてはいけないという考えしかなかったのだろう。あるいは病気は専門家が治すものといった偏見なのかもしれない。飛躍した言い方になるが、どんな環境だろうが今の流れに乗ってお金を稼いで物質的に豊かな生活になってこそ、いい医療いい薬を飲むことが、健康になり幸せになることなのだと考えている、そんな時代であったように思う。物質的に豊かであっても、これだけ見れば、不毛な通院や努力を繰り返しさせ、社会に対する不信感を募らせ、治療はされず体が弱いからだと子どもの自信を失わせているわけで、子育てには失敗していたと言わざるをえない。

先日、子どもが友達に嫌がらせをされた。友達も謝っているし、子どももそれを許しているので、それでいいのだが事が少し大きくなったので、収めるためにも友達の親が私たちの家を訪れてきた。それで、もうこんなことが二度とないように指導すると友達の親が私たちに謝ってきたのだが、謝るのは私たちに対してではなくあなた達の子どもに対してではないかと、その場でそのような話しを持ち出したが分かってくれたかわからない。その友達はうちの子どもに何かを伝えたかったのだろうが、その方法が今回謝らなければならないことになったわけで、同じように伝えたいことがまたあったとき、黙るのではなくどうしたらいいかを教えるのが指導だろうが、私たち親はそんなとき、やってはいけないというだけで、どうしたらいいか分かっていないじゃないか。子どもに我慢させたり、大人社会に適応させたり、鍛えたりすることではないだろう。大人ができることは、歪んだ表現や伝え方をしなくてすむ環境を作ることでしかない。社会を見ても、今それが親たちにできていると私は思えない。

アレルギーの話しにしても、自分の子どもは親だけで育てなければならないという責任感というか、子育ては自己責任だというような考え方が親を追い詰めている。それが、また子どもを追い詰め、引きこもらせてもいる。環境や社会は抗えないものではなく、変えられるものだと大人がちゃんと信じなくてはいけないだろう。

2017,1,20 髙橋淳敏

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