NPO法人 ニュースタート事務局関西

ビール製造所見学+清明神社

By , 2018年1月24日 10:00 AM

12月15日に京都にある「西陣麦酒」にお店と製造所の見学に行ってきました。お昼頃にお店近くに着いたのですが15時開店だったので近所の清明神社に寄りました。観光客もそれほど多くなく寮生二人と僕でお参りを済ませ、ご利益のありそうな置き物など見てまわりました。有名人が書いた絵馬も多く色んな人が来てるんだなぁと三人で感心してました。神社を後にしてお店へ。西陣麦酒は自閉症の方達とビール作りを取り組むプロジェクトから始まり開業まで至ったお店です。店長さんや店員さんと話をして店の奥にある製造している部屋も見せてもらいました。大きな鍋や冷蔵庫に瓶詰めする機械が置いてあり製造工程や物の説明など丁寧に教えてくれました。製造での手間やお店の運営など色々と聞きながらビールを味わいました。作った過程や工夫を聞きながら味わうととても美味しく感じました。

『412回目の鍋』と『413回目の鍋』

By , 2018年1月23日 10:00 AM

『412回目の鍋』
12月24日。クリスマスイブのこの日に行われたのは、参加者が好きなもの(食べ物、飲み物)を持ち寄るクリスマス会でした。
毎年恒例のこの行事ですが、新しくなった会場「よるべ」で行うのは今回が初めてです。
自分は持ち寄りの回になると何を持って行ったもんかと悩む事になるのですが、結局のところは「酒」を選ぶ事が多いです。そして今回は他の人が持ってきて
くれるであろう料理と合わせたくて「赤ワイン」を選択しました。
クリスマスらしさも多少は意識しております。
会場に着いて待っているとチラホラと人が集まりだしました。
どこかのお店で買ってきた料理、お酒の他に、家で作って来た
おかずや、材料を持ってきてその場で作っちゃう人もいました。
たくさんの料理や飲み物に囲まれながら乾杯!
鍋の会としては今年最後の集まりだったので、
たくさんの人に参加してもらえて感謝です。
『413回目の鍋』
1月14日。新年あけましておめでとうございます。
冬の寒さが続く中、今年第一回目の鍋の会が行われます。
年末年始に体調を崩す人たちをたくさん見てきましたが、そんな方々とは遅れて風邪を引いてしまったマスクの鍋会隊長こと坪井です。 
今回の波は大丈夫だったなーと安心していた矢先にコレです。 
そんな自分を気遣ってなのか、今回作る事になったのは「体にやさしい鍋」でした。
要するに薄味で行こうという話になり、結局のところは「水炊き鍋」をする事に。
お野菜の高騰があって普段は当たり前のように使っている鍋の食材も慎重に選ばざるを得ません。鍋の会のお財布は皆さんのカンパによって成り立っております。
そんなこんなで水炊きですから簡単に完成しました。
なるべく汁気を切り、お椀に入れたポン酢につけて食します。
シンプルながらこの味が割と好きだったりします。
まぁ味は単純にポン酢なんですが。締めにはご飯と卵を入れて雑炊に。
今までに入っていた食材のだしがお米に吸われて健康にも良さそうです。
今年もまた新しい一年が始まりますが、ニュースタート並びに鍋の会を今後ともよろしくお願いいたします。つぼい。

定例会&父母会一言報告コーナー12,1月

By , 2018年1月22日 10:49 AM

定例会報告

12月16日(土)に10名参加(内御家族さん3組)でした。
今回も初参加の方や何年かぶりに参加された方もおられました。引きこもりの問題解決は簡単ではなく議論や勉強しただけでは解決に至らない事は多いと思いますがそれが一歩目になり解決につながる事もあります。過去の事など話すには勇気がいると思いますが家族や本人だけで悩んでいても難しいと思います。      

父母会報告

1月6日(土)に5名参加(内親御さん2組)でした。
年が明けて最初の父母会でした。複数回参加されている親御さん達で近況など話をしました。去年も一年間を通して色々な出来事がありましたが良くも悪くも今年も色々な事をやっていきたいと思います。より良い場にするためにも今年もまたよろしくお願いします。

「引きこもりの時代」髙橋淳敏

By , 2018年1月22日 10:36 AM

コンピューターやインターネットが人の生活の中に入り込んでから一世代くらいは年月が経っただろうか。人間や自然はその生理現象に則した速度があり、進むだけではない繰り返しもあるが、コンピューターやインターネットの進行は速すぎて、人の生活はその速度に合わせることはできない。だが、コンピューターやインターネットと人間との関わりはもう後戻りできない地点に来ていると、今更ながらボーとしてしみじみ思う。一方的に別れようといって別れられない関係になってしまっているのだった。消費者やユーザーとしての私は適度に新しいもの好きではあって、新しい機械なんかをどうにかして試したり、流行りのSNSなんかも早くにしたものの、結局私の生活の中には馴染まなかったりで、使わなくなり辞めてしまうことが多かった。そんな時は、コンピューターやインターネットがなくても、人生の豊かさや人の幸せには関係ないと思い返すこともある。だけど、コンピューターやインターネットは例えばお金のように、なければたちどころに生活の基盤を失われてしまう存在である。それらがなくてもかつての人は生活できたわけだが、例えば通貨がそうであるように、使い始めればそれらがない生活は難しくなる。むしろコンピューターやインターネットと経済との結びつきが切っても切れない関係になっていると言った方が良いのかもしれない。ほとんどホラーだが人間がいなくても経済はしばらく回るかもしれないが、今の経済にとってコンピューターやインターネットはなくてはならない存在でそれらがなくなればたちどころに止まってしまうだろう。経済は人の生活のためにあったが、今は経済に人の生活を合わせられているような状況である。

 

世代交代は人間の子孫に取って代わるのではなくて、本格的にはコンピューターに取って代わるのではないかと心配なくらいインパクトはある。ご承知のように、今まで人がやっていた労働の多くを、すでにそれらは担っている。人の感覚や感情もそれらに影響を受けて書き換えられている。もちろん彼・彼女らにやらせずに、人がすることもできるが、平板化された世界市場に出れば人の働きは技術的にも数量的にも過小評価しかされない。仕事をし続けることはできても、等価交換でその労力に見合うだけの賃金が入ってくるというのであれば、コンピューターと比較される労働を、人が市場の中で続けていくことは困難であろう。全ての仕事や労働が彼・彼女らに取って代わるのではないだろうが、誰が思ったよりも速く、より広範に仕事は奪われている。今、人の労働が見直されているとすれば、それは統治や危機管理や社会保障としてのやり方であり、刑務所内の作業や、福祉的就労と言われるようなものやあるいはブラック企業といわれる働き方もそれが元凶にあるのかもしれない。それらはコンピューターやインターネットによって乗っ取られた経済を補完する労働としてしか評価されにくい。

 

さて、明るい未来はどんなだろうか。金融経済や統治権力から、労働が奴隷のごとく利用されないとして、労働から解放された人の生はいかにして生きられるのか。それはまさに引きこもりが考えさせられてきた課題である。引きこもりは今までの学校や会社に馴染めず、経済やそれが向かう社会から脱落してきた。高齢化し人数もそれほど減らないところで今も脱落し続けている。解決はしていない。だが、脱落したかに思えたその地点に、多くの人類が到達しようとしているのではないか。働かないのがいいのではない、働くとは何なのかを考えさせられ、社会や教育や人間関係がどうあるべきかを孤独に考え巡らしたのではなかったか。その答えが今の経済の側にあると、不信に思っている社会と関われず立ち止まるしかなかった。自らを卑下したり、憤ったり、他人と比較したりするしかなかった。でも、その答えは、コンピューターやインターネットなどにより脱落させられたこの地点にこそあるのではないか。今の経済は間違っていて、脱落させられた人間の経済や社会を作っていくことを共に考え、実践していければよい。もう一人ではないのだ。

 

コンピューターやインターネットによって解放された気持ちは大事にしつつも、奪われた大事な仕事は再び取り戻さなくてはならない。誰かのために料理を作ったり、ものを届けたり、植物や動物を育てたり、作品をつくったり、子供の世話をしたり、話を聞いたり話したり、大切にするものを修復したり保管したり、やりたくないことはやらないのがいいが、やるべきことはたくさんある。

2018,1,19 髙橋淳敏

2月の定例会(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2018年1月21日 10:00 AM

2月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

2月17日(土) 14時から (229回定例会)
場所:高槻市総合市民交流センター(クロスパル高槻) 4階 第4会議室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】

Panorama Theme by Themocracy | Login