ニュースタート関西の活動をふりかえる ~例会編~
ニュースタート関西がスタートして、14年。活動の幅が年を重ねるとともに広がりを見せました。しかしながら東日本大震災、原発事故が起こり、社会状況はますます厳しさを増しています。昨年も自殺者が年間3万人を超えています。そして、ひきこもり状態の若者の数も減っているとはいえません。
この状況のなかで改めてニュースタートの活動の意味や背景を振り返り、そして今後の展望について紙面を通してお伝えしようとこの企画を立ち上げました。具体的には活動を支えて来た(または現在支える)人たちについて紹介していきたいと思っています。
今回は「例会」について、ニュースタート関西前代表の西嶋彰さんにインタビューしました。
●関心は「コミュニケーション」
___ニュースタートに関わる以前は?
大阪市西成区で育ち、その後は京都大学に進学しました。大学には1964年から70年代にかけて在籍してました。大学在学時には、学生新聞を作っていました。大学を中退した後は、大学在籍時に作った自分の広告会社にいたのですが、その後、先輩の作った広告会社に移りました。1980年に企業や地域のシンクタンク(研究所)として『SCI』(Social Communication Institute:ソーシャル・コミュニケーション・インスティチュート)を作り、1980年から2000年の約20年間社長をしていました。
学生新聞を作っていた頃から、コミュニケーションに関心がありました。でも最近のコミュニケーションという使い方には違和感があります。コミュニケーション自体が言語学的には、相互理解ということなんです。片方の側の伝達だけが、能力として問われるのはおかしいと思っていますね。
___ニュースタートに関わったきっかけは?
現在、千葉のニュースタートを立ち上げた二神能基と最初に会ったのは、90年代前半に僕が松山に仕事で出張した時に、共通の友人を介して会いました。最初は二神さんたちと、ただ飲んでいたのですが、彼が既にニュースタートプロジェクトの活動をしているという話を聞きました。その活動とは、社会的適応不全の若者を社会に適応させる取り組みでした。具体的には、イタリア(★編者注1)に彼らを派遣すると、日本に適応できなかった子が元気になって帰ってくるんですね。そのプロジェクトに参加しないかと誘われた。
しかし僕は「なぜイタリアへ?」と思ったんです。かなり金額がかかるという問題のほかにも、そもそもせっかくイタリアに行って元気になったのに、日本に戻ってしばらくすると、また元気がなくなってしまうという現実もありました。それならば日本国内でできないか?と思っていたのです。
僕個人、ひきこもりの子ども達が、そこから抜け出していくには親のバックアップが必要と考えています。というのも、子どもの教育問題は、日本のこの競争社会において、大人の不適応が先にあり、それが子どもに移っていったものと僕は考えているからです。
( ★編者注1 ニュースタート事務局創立者である二神能基が90年代前半、不登校の若者をイタリアに送り、「神様以外はみな障害者」という根底の考え方のもと、トスカーナ州で農園生活を送ることによって、若者に元気を取り戻させるプロジェクトのことを指す。 )
●競争社会を泳ぎ続けることをやめる子ども
___親のバックアップとは?
当事者のことを「理解」することですね。理解とは、「競争社会を泳ぎ続けることを止める子どもを理解する」ということです。親はともすると自分の生きてきた立ち位置に、子どもを落とし込む。・・・そうですね、理解について、また違う風に言い換えれば、「子どもが親に理解されていると感じること」ともいえますね。理解されていると感じた時、状況は確実に変わっていきます。
●例会の原点とは?
___例会についてお聞かせいただけますか?
1998年に、二神能基の講演会がはじめて関西で行われました。タイトルは「大学の不登校を考える」。中高生ではなく、大学に行きたくても行けない大学生が増えてきていたのですが、「大学の不登校?何のこっちゃ」というのが1998年の状態でした。大学の不登校をしている当事者の親御さんたちが主に来ていました。斉藤環の『社会的ひきこもり—終わらない思春期』(PHP新書 1998年)(★1)が出る前は、大学の不登校というかたちで注目を集めていたと認識しています。その会には100人以上集まりました。二神が帰っても親御さんたちは残っている。とても一回で会合が済むような状態ではなく、続けて集まるよう になりました。それが例会の原点だと僕は考えます。
( ★編者注1: 斉藤環氏は、「社会的ひきこもり」の定義として、「病理的なものとは別に、(自宅にひきこもって)社会参加をしない状態が6ヶ月以上持続しており、精神障害がその第1の原因とは考えにくいもの」と打ち出した。ただし「社会参加」とは、就学・就労しているか、家族以外に親密な対人関係がある状態を指す。 )
___(例会では)やはり、親御さんの話を中心に聴かれているのですよね?
例会では、主に親の立場の話を聞きますが、親の話を何でも傾聴して聞くことはしません。というのも、親が自分自身を「被害的立場」であると訴える語りを聞くのは、きりがないからです。ともかく、親が自分の子どもに対する加害的立場に気がつくことが大事です。そこに気がつけば、子ども本人の、親に対する態度が変わるだろうと僕は思っています。子どもが変わっていくにあたり、ひきこもりの親の「自己救済」がとても大事だと、僕個人は考えています。僕は、カウンセリングと言う言葉は使いたくはないが、個人面談はディープカウンセリングという側面はあると思います。
___「自分が悪かった」と言う親御さんも多いのでは?
「子育てに失敗した」という言い方をされる方が多いです。「自分が悪かった」と「子育てに失敗した」では意味が違います。「子育てに失敗した」と言う場合は、自分の価値観のなかでの「失敗」として、ひきこもっている子どもを捉える。親の価値観のなかで、子どもを失敗作となるのです。
__子どもの立場か らすればそれは失礼(苦笑)。
あと98年の講演会を行った後の最初の頃は、親も予備知識がゼロでした、親の側もこの子をどうするかという話からスタートするのが最初の頃の状況だったのですが、どんどん新聞や本などでニュースタートが取り上げられるようになってくると、親もいろいろな情報を得てからやってくる。そして相談のときには、「レンタルお姉さん」をよこしてほしいだとか、「寮に入れてほしい」とか、いきなりそういう話からスタートしてしまうのです。そうすると目の前のこの子にとって、どのような方法がよいかという話にはならず、思考が停止してしまう。レンタルお姉さんをよこしたのだから、親のやるべきことは果たしたと考えてしまうんですね。
ひきこもりの子どもにとって重要なのは、対人恐怖を取り除くこと。その他の、いわゆる社会的なスキルは自然に身に付くはずです。そして僕の考えでは、親は子どもの人間不信の一部なんです。もちろん不信のすべてが親のせいではありませんが。ただ、最初から社会全体に不信感を持っているわけではないはずです。不安定感をもたらす相手がいて、それにさらに加担する相手が現れて、そのなかに親もいることが多く、人間に対する不信感が社会全体に広がっていく。人間に対する不信が、つまりは対人恐怖ということなので、その不信の一部を担っている親が変われば、変わる部分は確実にあると思っています。(終)