NPO法人 ニュースタート事務局関西

未だ来ぬ経済

By , 2013年7月12日 11:04 AM

地域通貨をご存知だろうか

今のお金のように両替もできて日本中で使える法定通貨と違って、江戸時代の藩札のように限られた地域でしか使えない通貨のことをいいますが、日本では2000年前後に小さなブームがあったりしました。「モモ」などの作品でも知られた絵本作家のミヒャエルエンデの遺言と称した番組がNHKで作られ、欧米での地域通貨の試みが映し出されその可能性について語られもしました。そういうことも手伝ってか、日本各地でも地域通貨を使う小さな集まりが多数できました。私も当時、参加したり自分たちでやり始めたりなどで、3つの地域通貨を使いました。それほど流通はしませんでしたが、日本円も加えれば財布には4種類もの通貨(紙幣に限らず小切手型や通帳型など)があって、それぞれに使える範囲や目的が違いました。商品券のような形で商店街で使えるような紙幣型の地域通貨もありましたので、それとは知らず使った人も多いと思います。地域通貨が流行る大きな理由の一つですが、不況などでお金が入ってこない地域が、それでも生活するには売り買いしなくてはならないので、自分たちで通貨を発行して経済を作らなくてはと、危機的な背景を持ったものもあります。オーストリアのヴェルグルでは、世界恐慌の影響で失業者も増え、町の税収も減り破産の危機にあった町役場が、地域通貨としての労働証明書を発行しましたが、その特徴ある通貨があまりの勢いで循環したせいで中央当局がやめさせるに至ったようなものまであります。

私たちが地域通貨をし始めた時期は、2000年当時「失われた十年」と言われ、10年前と同じようにかあるいはそれに及ばずましてや新たに成長する形では経済は良くならず就職氷河期と言われて端から若者が社会に参入できず、弾き出されたような時でありました。私も、ややもすれば人の役に立つためにも働こうと考えていたのに、不快な気持ちにばかりさせられる就職活動に不信をもちました。経済が不調なのは、未だ参加していない若者のせいではありません。それなのに会社は保身のため経済が悪くなった代償を未だ見ぬ若者に負わせました。そして、この責任を負わせた仕組みそのものが、脱しようがなかった当時の経済の仕組みそのものだったのです。調子のいい時は、その粗が目立ちませんが、少しでも悪くなると立場が弱い人や文句を言えない人を切り捨る。そういうことすら仕事にしてなんとか会社や仕組みを維持するわけですが、さらに関われなくなった人をニートなどと呼んで辱めたのだからもう居たたまれません。それでも若者たちは社会に入っていけないのは自己責任だと自らの努力が足りないからだと、仲間内で不毛な争いを強いられもしました。そんな消耗戦を経て、やはり前提として若い世代が働くことによってお金が回る仕組みになっていないのならば、自分たちで発行できるような地域通貨の試みは魅力的じゃないかと思ったのがきっかけでした。実際、私たちが賃金を得ようとすれば、正社員という狭き門を争うかアルバイトのような不安定なものしかありませんでした。それまでの高度経済成長で物質的に極貧な人は少なかったですが、若者には自由になる資金もありませんので、起業も難しく株で儲ける発想にもなりにくい。何よりも何者にもなり難いということは、社会的にアイデンティティを持ちにくいので、人と関わりにくくなります。それこそが経済問題の核でした。それなのに当時の低成長金融経済下では、社会に参入できない若者が手を取り合って協力してもらうよりは、孤立した消費者としてあってもらった方が、既存の経済や生活を維持するのには好都合でありました。自分の子供には働いてもらいたくても、同じような境遇にある若者が働けないことについては誰もが無関心であったように思います。

お金以外の経済・社会的関係

私たちがやった地域通貨はお金にとって代わるようなものではありませんでした。むしろ、お金にとって代わってしまえば、それは地域通貨ではなくお金になってしまうのではないかと、そうなることを嫌がっていたようなところがありました。それでも、参加者の中には大根(家庭菜園)が地域通貨で見知らぬ人から買えて感動した人や、休日にお金を使わないで人と交流できるのが良いという感想があったりしました。例えばそれは家族で発行した肩たたき券だとか、その日だけしか流通しないバザーで使ったお金に似せた券以上のものではなかったかもしれませんが、新たな経済でもありコミュニケーションを生み出したように思います。参加者の中には、職場で廃棄されるはずの端切れを使って帽子を作る技術を習得した人もありますし、今ではニュースタートで働くことのシンボルとなっているカフェコモンズも地域通貨との出会いから生まれました。当時も引きこもりは人格障害だとか、個別の問題としてだけで理解しようとする風潮が主流でしたが、引きこもりに限らず経済の問題だと考えるところに人間関係を豊かにするものがありました。そして、人の役に立つようなことを考えさせられる機会もあるので、会社にもアルバイトにも行けない、引きこもっていた人が働くこととか人付き合いなんかを考える機会になればよいと思ったりはしました。

上述したオーストリアのヴェルグルでは腐る通貨というのが発行されました。持っていれば、価値が下がっていくので無理からにも使ったわけです。最近では、お金は知らぬ間に価値が下がっているようなことはありますが、腐りはしません。皆がその価値を妄信的に信じています。私たちは常日頃ややもすれば、お金と向き合わされています。このままいくと将来生きていけなくなるからと急き立てられて、不安にさせられて仕事や収入のことを考えさせられ、就職などに追い立てられます。それで私たちはお金を使うとき目の前の人と会っているのではなく、将来の経済と向き合わされることになります。経済とは広義には、社会的関係のことをいいます。経世済民と言った頃は、節約の意味があったようですし、そもそも済とは救うという意味だそうです。私たちが未だ来ぬ経済のことを考えるときに、今のお金以外の可能性はないものかと今も考えています。

2013年7月11日 高橋 淳敏

 

 

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