NPO法人 ニュースタート事務局関西

まごのてコラム 第2回 【 生きていくこと 】

By , 2012年6月15日 4:09 PM

ニュースタートの活動から生まれた『日本スローワーク協会』。
そして、そのスローワーク協会から出口さんが立ち上げた便利屋【まごのて】。
立ち上げに至るまでの経緯や【まごのて】の今をお伝えするため、連載でお送りしています。

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「人はなぜ生まれてきたのか?」「なぜ働かなければいけないのか?」「働きたくない。」「雇ってくれる場所がない」「このままでいいのだろうか?」「もうどうでもいい・・・」「この先どうしていけばいいのか答えが見つからない」etc
このようなたくさんの問いを、僕自身の中にも、また周りの人達からも耳にする事がよくあります。

全ての問いは、何気ない日々の暮らし・生活のなかで生まれてきているように思いますが「暮らし」や「生活」と表現されている、この言葉達を、別の言い方に置き換えてみようとした時、僕には「生きる」という文字が浮かび上がります。

人が「生きる」。人が「生きて行く」。人が「生きようとしている」。

次に僕の頭の中には、人が「生きる」「生きて行く」「生きるために」どうすればいいのか?と自分に問うと、先ず初めに「衣」「食」「住」という言葉が浮かんできました。

生きるために必要な物という視点で見えてきた「着るもの」「食べるもの」「住む場所」・・・。では、僕はそれらをどうやって、手に入れる事ができるの?という問いが浮かんできました。

すぐに浮かんだ言葉は「お金」「働く」「人にもらう」・・・。

では「お金」はどうやって手に入れればいいの?
そこで「働く」という文字が浮かんだとして、
ではどうやって働いたらいいの?

自分から生まれてくる次々の問いと答えの繰り返しをしていた時、「いやまてよ・・・」と一つの事が明らかになってきました。
僕というそのものは裸の体一つだけ。
「着るもの」「食べるもの」「住む家」をはじめ、自分以外の人がいなければ、着るものもない・・・食べるものもない・・・家もない・・・働くということも、自分以外の人があっての話し。
仮にお金という紙と硬貨などがあったとしても、自分以外の人達が何か作っていたり、売っていなければ何の意味もない。
「生きる」「生きて行く」「生きて行くには?」
僕一人だけでは絶対に叶わぬ事で、「自分以外の人」という事が、「お金」や「働く」という言葉以前に、とても重要な意味を持っている事に気づかされました。

冒頭に書いた悩ましい問いの数々を抱かせる人の「生活」「暮らし」。
何十億もの人達がいたとしても、誰一人、自分一人で生きているという事はあり得ず、どの人も「自分以外の人」があって初めて、「生活」「暮らし」というものがあるという事に気付きましたが、しかし「自分」と「自分以外の人」との関係はどのように築いていったらいいの?という問いが顔を覗かせます。その問いを出発地点として、スローワーク協会でさせて頂いている「まごのて」で何をやりたいのか?ということについて、次回お話ができればと思います。よろしくお願い致します。

出口和也

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