直言曲言 第326回 「選挙」
なぜ「引きこもりになるのか」この10年以上、そのことを考え続けてきた。この「直言曲言」も300回以上続いているが、その大半は「引きこもり」についての考察で、読者に引きこもり「脱出」や「防止」について考えて欲しいと綴ってきた。では、300通りもの引きこもりの原因や防止法があるのかというとそうではなく、それぞれが互いに原因となり、結果となり絡み合っているのだ。中でも「上昇志向」というのは重要なテーマで、つい最近も触れたばかりである。10年以上も考え続けているテーマであり、私の中では確信に近い論理になっているが、聞かされ読まされている方々にとっては反論もあり、疑問もあるようである。「反論・疑問」の類によって私の確信がぐらつくことはないが、私の思考回路の中では、突如「?」が湧いてきて、大きくなることがある。「上昇志向」についてがそれである。「上昇志向」そのものは悪い考えではないが、今の「競争社会」の中ではますます競争を激化させるように自分を叱咤し、他人との争いの中に自分を追いやる傾向がある。その結果、人間関係の中で孤立し、対人恐怖となり、引きこもりにつながるのである。
しかしこの競争社会を前提にすれば、親が「上昇」を「叱咤」するのも「やむを得ないか」と思ってしまうのである。のんびりと「人の良い好人物」を演じていれば、たちまち世の中の最下層に取り残されてしまう。受験競争を勝ち抜けなければ大学にも行けず、うかうかしていれば、安定した職場にもつけず、年間200万円程度の収入を消費税が直撃し、年金も払えず老後の生活も見えない。生活保護を受けようとすれば社会悪のように言われ、死を選ぶしかないような弱者の生活。「上昇志向」を捨てれば、そんな生活がすぐ目の前に。「上昇志向」は主に親から教えられた生活論理である。親はこの社会において「下流」の生活に甘んじるのがどれだけ辛いのか知っている。親が子どもの将来を考えて、「上昇志向」を吹き込むのは当然かもしれない。上昇志向を是認するとすれば、競争を是認することになる。競争には勝ち組と負け組がいる。現代の自由競争社会においてはきわめて少数の勝ち組と大多数の負け組を生み出す。これでは大多数の人々が不幸になる社会を認めることになる。これを認めないためには政治に望みをつなぐことになる。
68年の人生を生きてきて、政治に満足をしたことはない。例え自分が満足できなくても、少しでも納得できる体制や希望が見えて来れば良い。自民党政治が末期的症状を呈し、「多分これまで」と思えた時に「小泉」の「目くらまし」が炸裂し、延命した。しかしその小泉政権も絶命し、ついに野党に政権が渡った。しかしその野党も民主党のあの体たらくで、昨年(2012年)の衆議院選挙であっさり政権を明け渡した。選挙の結果を見るまでもなく、民主党の3年間の政権運営自体が失敗だったのは明らかである。だから民主党が政権を維持して欲しいとは誰も思わなかった。新聞・テレビのマスコミでさえ言っている。「自民党の勝利ではなかった。」自民党の勝利ではないが、野党勢の敗北であることは明らかである。なぜこのようなことが起きるのか「小選挙区制度」のせいである。「維新」や「生活」など12党もの野党が林立、軒並み共倒れとなり、自民党の圧勝となった。テレビに登場する自民党の安倍総裁の勝ち誇ったような顔が胸糞悪い。彼の勝利宣言は案の定、次々に保守・右翼丸出しの政策を打ち出している。実際、このまま野党や国民の無力さを見きわめれば超右翼政策を実行してくるだろう。「小選挙区制」とはそういうものである。野党とはいえ、彼らもプロの政治家である以上分かっていたはずである。分かっていても防ぎようがなかったのか。野党が馬鹿なのか国民がバカなのか。両方である。
選挙後、株価は急上昇している。為替も円安が急速に進み、安倍の顔がますますほくそ笑んでいる。マスコミでさえ、「景気上昇の前触れ」と提灯をつけている。そもそも株価やドル高がなぜ好景気の前触れなのか。少なくとも大多数の国民には無関係である。円が安くなると自動車などの輸出産業・製造業に追い風が吹き、日本産業に好影響があるとして株価が上昇するのだが、これらは外国人投資家の動向によるものであり、彼らが本当に利益を得るのはどこかでその株を「売り逃げ」た時であり、その時買い手になったり、売り損なうのは多くは日本人である。外国人であれ、日本人であれどちらでも良いがいずれにしても株式を対象にした博打に参加している人の話であり、善良な多くの人には関係がない。博打に負けた人は、どこかでそれを取り返そうとして、罪の無い一般人から搾取しようとするかもしれない。ご用心、ご用心である。
インフレ目標率2%として物価を引き上げようとしている。大型補正予算として10兆円、20兆円規模を公共工事に投じようとしている。土木や建築工事そのものが自民党の票田であり、我田引水そのものである。インフレで物価が上がれば、企業は儲かる。企業が儲かれば、サラリーマンの給与が上がる。給与が上がれば、消費が増大し、ますます景気はよくなるという論理である。果たしてそうだろうか。20数年前のバブル崩壊前を思い返すべきだ。日本は戦後一貫して激しいインフレに悩まされていた。物価はどんどん上昇し、給与の上昇はそれに追いつかない。財政規模は、成長し続けるかもしれないが、庶民の生活は常に物価の後追いであり、企業は前もってそれを仕入れたり、製造するが出来上がった時には時間が経過し、利幅が増えている。700兆円とも言われる国債の利子を負担させられているのと同じように膨大な金利利息を支払わせられていた。デフレからインフレを目指すという自民党政権は、こうした過去のインフレの亡霊の再現である。つまり企業の景気が良くなるところまでは本気だが、庶民の給与をあげるつもりなどさらさらないのである。
少なくとも私たち年齢のものにとっては経験則で知り得た事実である。だが、高齢者は自民党政権・高度経済成長時代の落ちこぼれの分け前で結構潤っている。苦しい革命など目指そうとしない。若者たちだけが頼りである。だけどマスコミのインタビューを見れば若者たちは「政治は嫌いです」「誰がやっても政治は同じ」「私の一票で政治が変わるわけではない」などと選挙には後ろ向き。あなたの「好き嫌い」は別にして私たちの社会を動かせているのが政治である。本当は引きこもりなどより「政治的無関心」の若者達をなんとかする方がよほど大切だ。その社会が怖くて動けないのだから、引きこもりの若者に期待を抱くこと自体に無理があるのだろうか。
2013.1.16 西嶋彰