直言曲言 第317回 「親切」
最近はあまり話題になることは少ないが、昔は東大や京大の総長が入学式や卒業式に行う「告示」が新聞の社会面をにぎわせることが多かった。東大・京大の総長と言えば世の代表的な知識人と思われていて、卒業式の告示と言えば、学問領域の専門的知識ではなく一般的社会人にも通じる名言を口にすべきだと考えられていたのだろう。
ご多聞にもれず、私はこの種の警句や知識人の名言などというものが嫌いで、普通人の日常用語以上に反発を感じていた。この反発は、私の個性から来る反発なのか、当時の私の年齢、若さの故の反抗心から来る反発なのか分からない。しかし、67歳になった今でも考え方の根本はかわらないのだから若さゆえのものではなく、今も持続する私の個性に根差すものであろう。
昭和38年(1963年)茅誠司東京大学総長は卒業式の告示において「小さな親切運動」の提唱を行った。紹介するまでもなかろうが、特に目新しくもない8項目はつぎのとおりである。
「小さな親切」八か条 (茅誠司初代代表提唱)
1. 朝夕のあいさつをかならずしましょう。
2. はっきりした声で返事をしましょう。
3. 他人からの親切を心からうけ入れ、「ありがとう」といいましょう。
4. 人から「ありがとう」といわれたら、「どういたしまして」といいましょう。
5. 紙くずなどをやたらにすてないようにしましょう。
6. 電車やバスの中でお年寄りや、赤ちゃんを抱いたおかあさんには席をゆずりましょう。
7. 人が困っているのを見たら、手つだってあげましょう。
8. 他人のめいわくになることはやめましょう。
直接の関係はなさそうだが、私には1950年頃から攻勢を強めていた「道徳教育」の推進と同じ色合いが感じられて、生理的に受け入れなかったのを覚えている。提唱されている項目自体には特に思想的に反動的項目はないが、当たり前すぎて、なぜか意図的なにおいを感じてしまったのである。
1963年と言えば、高度経済成長が始まって3年目。経済成長の方は順調に始まったが3年目にして早くも経済優先で、社会風潮の中に人間性を軽視するような傾向が強まり始めたのも、この運動が提唱された理由であろう。しかも東京大学の卒業生というエリート集団に向けて放たれた言葉である点にもこの運動の特徴があった。経済成長ということが個人的な(経済的)利益の追求に限定され、世のエリートたちがそれにまい進し始めたからである。
それでもこの運動はある程度の波及効果と共に社会的影響力を果たしていった。しかし「小さな親切」と言えば「大きなお世話」と続くほど、この運動に対する社会的評価は冷淡で皮肉なものが多かった。私の見方であるが、先の8カ条で例示されたものがあまりにもありきたりで、経済成長の陰で産み出されつつある大きな社会的矛盾に対してあまりにも皮相的なもので、社会改革につながりそうもないものであったからではないか。
高度経済成長の中で「小さな親切運動」が提唱され、「小さな親切・大きなお世話」と冷笑されたのは皮肉だが、21世紀の今日こそ、この運動は再評価されてもよいのではないか。
1995年1月17日午前5時46分に発生した「阪神淡路大震災」は被害の甚大さと共に被害復旧を支援する数多くのボランティアが駆け付け、「ボランティア元年」と呼ばれた。災害ボランティアを「小さな親切」などと呼ぶつもりはないが、幸いなことに「大きなお世話」などと皮肉られることも少なかったように思う。
2011年3月11日の「東北大震災」においてもボランティアの伝統は若者たちに引き継がれ、未だに解消されない瓦礫の処理や津波に襲われた家屋のどろ掃除に大いに期待されている。実際に何度も東北へのボランティアに訪れた人に聞くと、実際の労働は「小さな親切」どころの話ではないらしい。しかもボランティアの大きな波は、丁重になりつつあり、瓦礫処理などはこれからが物量が期待されている段階ではないか。
「小さな親切運動」が始まった1963年は高度経済成長期で若者は「金の卵」ともてはやされた人手不足時代。「阪神淡路」も「東北」も大震災時は共に大失業時代。若者は学校を卒業しても就職先はなく、うまい具合に就職出来ても人余りの時代に冷遇され、多くの人は不安定な職業生活を送っている。
「引きこもり」は精神病や個人の病気でなく、産業政策や経済政策の失敗のせいではないのか。不況や円高のせいで企業の海外進出が進み、国内の求人状況は好転しない。大震災のボランティア需要に期待するわけではないが、若者の労働力をどうして活用しないのだろうか。
この国の為政者たちは、もはや若者たちの存在が目に入らないのだろうか。ボランティアまで海外労働力に頼ろうとしているのか。工業製品の貿易習慣から途上国に技術的品質の格差をつけて、優位を保つことしか関心がないのか。若者たちの労働力や誠意は目に留まらないらしい。あるいは「危険・汚ない・苦しい」の3K仕事は低開発国の労働者に任せればよいと考えているのだろうか。高付加価値や生産性の追求ばかりで、日本の農業を潰してきたことを繰り返そうとしているのだろうか。
引きこもりの親たちも、子どもたちの就職が難しいのは「わが子が病気」だとばかり思い込んではいないだろう。しかし、「不況だから」「経済の問題だから」仕方がないと諦めてしまっているのではないか。不況や円高の問題がそれほど簡単に克服できるとは思えないからと。
世界恐慌の際のニューディール政策を思い出して欲しい。引きこもりに限定しなくてよい。若者たちに大求人をして欲しい。100万人、日給1万円で100億円。1千日で10兆円。募集費、交通費、宿泊費、食費、管理費を含めても30兆円もあればおつりがくるだろう。毎年40兆もの赤字国債を発行する国ならやってのけられるはずだ。
大震災の復興費、引きこもり問題、若者の就職難、長期の経済不況。全部まとめて解決の糸口が見つかる。消費税の値上げを国民に認めさせるのに、旧世代の福祉しか考えられない旧政治家にご退場願って、新しい東大総長よ出でよ。地震の専門家や原子力の専門家は居ても、そんな総合的な知性は期待できないのか。
2012.4.14