直言曲言 第267回 「もう一つの仕事」
私の仕事は比較的のんびりしている。仕事と言っても朝から晩までどこかに勤めているわけではない。週に何日か、ニュースタート事務局関西のイベントに顔を出すことだ。まず第2・第4日曜日の鍋の会に参加すること。鍋の会には毎回およそ30人の若者やスタッフが参加する。ニュースタート事務局にとって鍋の会は最大の存在理由であると思っている。ニュースタート事務局関西3つの目標、その①に掲げる「友達づくり」。その目標に直接かかわるのが鍋の会である。鍋の会を始めた時、買い物から調理の準備まで私がやっていた。調理準備が済めば鍋料理だから後は参加者がやってくれる。私は会場の外に出て参加者がやってくるのを待っていた。その頃は鍋の会会場は京都市のある路地裏にあって初参加者が道に迷うといけないと心配したからだ。その頃からの伝統かは知らないけれど今でもJR摂津富田駅にお出迎え部隊は出ているし、私は開会まで道路に出て参加者を出迎えている。幹事のFさんが乾杯を宣言してしまえばもう私には役割はない。片隅でビールを飲んでいるだけだ。
次の仕事は第3土曜日、「不登校、ニート、引きこもりを考える会(通称月例会)の主催と司会である。原則として午後2時から5時まで3時間の長丁場、主に初参加者の親御さんを前にしておしゃべりと質疑応答を行っている。最近でこそ参加者はスタッフを含めて15名程度であるが、10年前頃や最近でも春先は50名近いことがある。参加者が多いと大変なようだが実際には参加者が多いと私は張り切る性質で、しゃべりすぎて止まらなくなることがある。春先には特別例会と称して近隣府県での開催もあり、年間15回程度開催する。私が脳梗塞で倒れてからは、会の後半は司会者を若手スタッフの幹部連中に代わってもらうようになった。やはり疲れやすくなったのと、私が役割を果たせなくなった時に代役がいないと困ると思ったからである。
毎週水曜日にはニュースタート事務局関西の運営会議と経営会議である。それとNPO法人日本スローワーク協会との合同会議がある。スローワーク協会には若い理事長さんがおり、ニュースタート事務局も議事進行は他のスタッフが進めてくれる。大した仕事はないのだが、民主的な運営を心掛けながら、NPO法人とはいえ経済的行為を伴うのであるから留意が必要である。民間営利会社の社長だったことやその他の社会経験の面でも私の責任は少なくないと思っている。
毎月1回第一土曜日の午後は「父母懇談会」を開催している。よくある「親の会」とは違うつもりである。「親の会」のニーズは確かにあるようだが、自然発生的な開催に任せておくと親の慰め合いや自己満足の会になってしまい、現実的な問題解決につながらないからだ。だから事務局主催、私の司会でNSP進行中や共同生活寮入寮中の若者の両親、それに個別面談経験者を参加者に毎月開催している。入寮中の若者の近況を報告したり、その後の対処法が分からない親などの相談に応じている。余分な仕事のようだが、遠方から毎月参加してくれる親もあり、とても中止などできない。
その他の仕事は不定期である。親や若者から面談の申し入れがある。新規の相談の場合もあるが入寮者などから退寮後の生活の相談もある。年に1~2回くらいは遠方からの講演依頼もある。研究者や行政、マスコミからの取材もある。別に宣伝のためと思っているわけではないが一種の社会的活動を行っているのだから社会的責務であろうと思っている。後はニュースタート事務局関西の広報活動。「ニュースタート事務局通信(関西)」は現在A4版12頁で毎月発行している。これも昔は私の担当だったが、今では事務局のIさんとMさんが発行責任者を務めてくれている。私はそこにこの「直言曲言」という勝手な文章を連載している。「直言曲言」は通信への連載だけでなく、ホームページにも10日に1回くらいのペースで掲載してもらっている。
あっ間違えました。「直言曲言」を書くのは仕事ではありません。私の趣味です。誰からも命令されず、要求もされず、私の趣味で書いています。もうひとつ私の仕事はあります。これが結構辛くて気遅れのする仕事なのです。私の所へは時々メールで質問が届きます。ニュースタート事務局関西のホームページに「代表の西嶋宛の相談メールをお送りください」と書いてあります。たいていは事務局経由で転送されてまいります。時々は私宛に直接届くこともあります。親からや身内からのメールは用件も分かりやすく良いのですが、難物なのは引きこもっているご本人からのメールです。おそらくは引きこもっているのに、親は気付かず放ったらかしにされ、日ごとインターネットサーフィン。そこでホームページを見つけ、わらにでもすがる思いでメールをくれたに違いない。私は引きこもり関連のメールにはすべて返事を書くようにしている。いまどきの若者がすべて無作法になっているとは思えない。おそらくパソコンやインターネットにおけるリテラシーがそうなってしまっているのに違いないが、若者からのメールはほぼ100%に署名がない。匿名なのである。「匿名にさせてくれ」というような断りもない。メールの相談では実名かどうかを確かめる方法もない。偽名でも良いし、ハンドルネームでも良い。それもない。おそらく最初から名のったり、挨拶する気がないらしい。最近は大人の人からのメールでも3分の1くらいは名前がない。メールと封書などを一緒にする気はないが、差出人不明の封書を受けとったり、匿名の電話がかかってきたりしたらどんな気がするだろうか?
最初から礼を失しているのだから、手紙の作法のようなものをわきまえているはずがない。一応、タイトルは「相談」と書いてあるのだが、本文は親の悪口の連続である。不登校や中退をして、高専に進学したらしいがそれも中退、大学受験資格を得て大学に進学。なのに「時間を失った、高専に5年も行かされた。お金も失った。」と嘆く。お金を失ったのは親の方ではないのか。「ニートでヤケクソ状態にさせたのに謝らない」とあくまでも親を憎む。「ヤケクソ状態」という自己認識はあるらしいが、それも親のせいであって反省の様子はない。素性の知れた相手と面と向かっているのであれば、何とか説得しようとするのだが、匿名で一方的な非難のメールでは批判の糸口も見つからない。一般的なお説教でお茶を濁すしかない。一般的なお説教が通じるような相手ではない。またこういう匿名メールではほとんど返事が返ってきたことがない。後味の悪い仕事である。
2009.06.25.