直言曲言 第219回 「死別」
引きこもりにはお父さんがいないという例がかなりいる。私が面談相談を受けている例では10人に1人くらいではないか。お父さんがいないといっても、お母さんがお父さんと離婚してしまったというのと、お父さんと死別したという場合がある。引きこもりの若者のお母さんはどこかで、子どもを引きこもりにしたのは自分の責任ではないかと心配しているので、面談の後半では『この子には父親がいないので引きこもりになったのでしょぅか?』と聞かれることが多い。離婚経験者の場合、母親自身の意思も離婚の原因になっているからなのか離婚をそれほど否定的には考えていず、引きこもりの原因として考えている例も少ない。しかし死別の場合、自分自身も惜別の念があるだろうし『あの人がいてくれればこんなことにならなかったろうに…』 と思うこと多いのか、引きこもりはそのせいだと思われている。私もその場しのぎの『慰め』を言うつもりは無いので『そんなことはありませんよ』とすぐに言うわけにはいかない。
だが引きこもりの若者を見ていて、父親であろうと母親であろうと、親が「いない」ことを理由にして引きこもっている子などには会ったことが無い。親の不在が引きこもりになるのなら、児童相談所など施設出身の子には引きこもりが頻発するはずだ。だから逆説的に『親がいなければ引きこもりにならない』と言っているほどだ。「父親が早死にしてしまったので」と言う相談はあるが「母親がいないので」と言う相談は聞いたことが無い。お母さんまたは女性は少しがっかりされるかも分からないが、いずれにしても親の不在が引きこもりの原因だとは思わないので『安心』して欲しい。
ただ『父親が死亡』と聞くのはいずれも本人が『15歳以下の年齢』に限られるのが少し気になる。私自身が父親を亡くしたのはちょうど30歳のときであり、既に結婚もしており、子どももいたので父親を亡くした『悲しみ』はともかく、自分自身の『生き様』に変化が生まれるようなことはなかった。一般的に行って、16歳以上の年長であれば身内の不幸にも耐えられるのかもしれない。私が少し心配するのは、父親が死んで一家の大黒柱を失ったのであるから、母親に苦労をかけまいとして頑張りすぎ、競争社会のプレッシャーを人一倍受けすぎてはいないだろうかという点である。競争社会のプレッシャーを人より多く受けていようと、そんなことは他人に分かりはしないのだから、結論として父親の死は『関係ない』と言うことにしている。ただ、母親の中には『うちは、お父さんが死んで居ないのだから、あなたがしっかりしてくれなければ』と露骨に脅しや励ましを口にする人がいるので『それだけはやめて』と頼むようにしている。
若い時に父親を亡くしているのだから悲しいのは当然。希望を失ったかのようになる人もいるかもしれない。しかし引きこもりになった人で、若い時に父親を失って引きこもりになっている人には特徴や共通項がある。亡くなった父親が何故か医者であった人や社長であった人に多いのだ。つまり15歳前後、もしくはもっと早くに父親に死なれるのだが、残された子どもには医者や社長になって跡を継ぐというプレッシャーがかかるようである。医者の跡継ぎは引きこもり問題を引き起こしやすいらしく、相談事例の中でもかなりの確率である。医者や社長と言うのが悪い職業であるとは思っていない。世襲であれ、偶然であれ、本人の意志でその道を選んで努力するなら何の問題もない。ただ母親や周囲から無言のプレッシャーを受けて、その道に進まなければならないと思うなら大変である。社長と言うのは、普通はなろうとしてなれるものではない。ただ、新しい事業を思いつき、自分で始めたなら、小さくても株式会社でなくても社長である。他人の会社に入ったら社員であり、社長になれるのは同僚との競争に勝ち抜いた人だけである。自分の父親が死ぬまで社長であったとしても15や16ですぐに社長になれるわけが無い。学校を卒業してその会社に入り、たとえ父親から引き継いだ株式があったとしても、その子に経営能力があるかどうか分からない。社長になることを義務付けるのは不当であり、それを期待する母親は酷なことを押し付けていることになる。医師も同様である。医学部に入って国家試験を受けるまでも大変だが、医師や歯科医師で国家試験に合格し、医師免許を持っている人でさえ疑問に思って引きこもる人がいる。引きこもりを奨励するわけではないが、こういう人はむしろ真面目すぎると言うか、人生に真面目な青年なのだろうと思う。
医師や社長と言うのは恵まれすぎた人種だが、私には多くの兄弟姉妹を抱えて、パートなどの仕事に励む母親を見て、『何とか早く楽にしてあげたい』と思いながら競争社会の荒波にもまれて引きこもりになってしまうケースが気の毒でならない。母親を楽にすると言うことと、競争社会を勝ち抜くと言うことが一緒になってしまうのが残念でならない。普通に市井の人となり、兄弟姉妹を助け、母親を助けることは出来ないのか?私は今の競争社会やそこでの教育の仕方を憎む。
ところで『親がいなければ引きこもりにならない』と書いた。『まさか』とは思うが、『私たちがいなければ、この子の引きこもりは治るんだ』などと思って自殺したり、心中したりしてしまう親がいないとも限らないので『補足』しておく。確かに最初から親がいなければ、引きこもりにならないと思う。幼子がたとえ誰かに養育されようと、生き延びていくのは大変で、引きこもっている暇など無いと思う。私たちのこれまでの約1000件の支援例を見ても両親のいない子などひとりも無かった。ただし、両親がいなければ、私たちの元に相談に来ることも出来なかったであろうから、このデータをあまり信用しないで欲しい。
『親がいなければ引きこもりにならない』と言うのはどうやら『正しい』ことのようだが、『親がいなければ引きこもりは治る』とは言っていない。引きこもりになった経緯はどうであれ、引きこもりの現状は何だろう。これもほとんど例外なく、対人恐怖と人間不信の神経症である。これらの症状は人と付き合うことによる『人間慣れ』によって癒やされる。不幸なことに対人恐怖の人たちには、その『人と付き合う』ことや『人間慣れ』が出来ない。つまり日常的に親や家族以外の人と付き合ったり、顔を合わすことが無いのである。引きこもりの子を人前に連れ出し、人と接するように仕向けるのは親の役割である。そのために、私たちはボランティアとして人と出会う場所を用意している。今親が死んでしまったら、彼らは永遠に人と出会う機会を失うかもしれない。
2008.02.26.