直言曲言 第218回 「成人年齢」
本欄『直言曲言』で『成熟』については何度か言及した。『成熟』と言うのは曖昧な概念である。しかし『成人』については法律で規定されている。『満20歳を持って成人とする』と民法に規定されている。と言っても『民法』は明治時代に制定された法律である。敗戦によって『民法』の規定は様々に改定されたが『成人』についてはそのままである。成人であるかどうかによって何が違うのか?成人になって法律により可能になるのは選挙権の行使、飲酒・喫煙、財産処分などの法律行為、親の許可なくしての結婚などである。言い換えれば成人以下の年齢ではこれらの行為は禁止されている。
改めて成人について言及するのは最近成人年齢を『18歳以上』に改定すべきかどうかについて議論が起こり始めているからだ。成人が『20歳以上』か『18歳以上か』については何度も議論されてきた。一昔前には革新派は『18歳以上』に賛成するが、保守派は反対と相場が決まっていた。若い世代ほど進歩的で年齢が長じるほど保守化すると信じられていたからだ。40年ほど前に行われた全共闘運動でも、18歳前後の1・2回生は過激で、就職と卒業を控えた3・4回生は温厚になる。成人年齢の引き下げは保守派が選挙で不利になると思われていたのだ。だから成人年齢の引き下げ案は日の目を見なかった。ところが最近では少し様子が変ってきた。この前の衆院選、郵政民営化選挙と言われたとき、若年層が疝気に参加し、投票率が上がったが自民党の圧勝に終わった。出口調査でも若年層の保守派支持が意外に多かった。もはや若者は革新的などというのは妄想だということが分かった。
今回の成人年齢改定論議は自民党筋からも出ていると言う。ただし相変わらず賛否の意見は多彩である。自民党参院議員の某教育関係者は『18歳は幼稚である』と反対意見を述べていた。18才の人でも『幼稚で、未熟だ』という人がいることは私も知っている。それでは『18歳で幼稚』な人が20歳になれば幼稚でなくなるというのだろうか?この参院議員自身が『自分は幼稚ではない』と言い切れるのだろうか?成人資格とは知能テストを行って与える資格ではない。一定の判断力を持つ人になら誰にでも与える基礎的な人権である。数学の難問が解けなくても、専門的な知識が無くても良い。納税の義務を持ち、法律を破れば処罰される。そうした自覚を持つべき基準年齢である。
成人年齢を引き下げるか否かは、成人になると認められる権利が妥当かどうかと言う判断に左右される。飲酒・喫煙もその一つである。主として健康上の理由が未成年に飲酒や喫煙を認めない理由らしい。しかし、飲酒や喫煙は趣味・嗜好の一つであり、成人になることに伴う副次的な権利である。副次的な問題で、成人かどうかという重要な問題を判断してよいのか?飲酒や喫煙にはたしかに過度に及ぶと弊害がある。ことに喫煙については、嫌煙権なるものの流行もあり、過度でなくても他人が吸うのも嫌だと言うずいぶん気ままな主張が巾を利かせている。私は酒も飲み、タバコも吸うが、割合順法精神があるのか、習慣的に飲酒や喫煙を始めたのは成人に達してからである。しかし初めて酒を飲んだりタバコを吸ったのはもちろん未成年の頃だった。中学校の修学旅行のとき、その頃私は学校一の模範になるような優等生だったが、友達のまねをしてタバコを吸った。酒の方もその頃だったろうが、父の晩酌に付き合わされてちびちびとやっていた。大学に入って、私はたまたま現役で合格したので当然未成年だったが、サークルのコンパという宴会でしたたかに飲まされた。
20歳未満の飲酒が非合法だなど考えもしなかった。法学部の教授も同席していたが、もちろん笑って認めていた。つまり世間の通念なのだがまともな大人たちの社会では歯牙にもかけないような陳腐な常識だったのだ。 過度な飲酒や早すぎる喫煙が若者の健康に悪影響を与えるかもしれないと言うのは理解できるが,18歳ではいけなくて20歳を過ぎればよいなどと言う根拠が分からない。むしろ過度な飲酒や喫煙を戒めるような成人教育を施せばよいと思うが、そのような教育現場は見当たらない。成人式当日にビール工場を見学してビールの試飲を行ったという話も聞いたことが無い。私の経験からすれば飲酒や喫煙の失敗によって、過度な飲酒や喫煙は身体に良くないと知るようである。つまり言い換えれば大人になったら酒やタバコが嗜めるようになるというよりは,酒やタバコを経験することによって初めて『大人』とはどういうものかを知るのではないか?酒やタバコは苦くて苦しいものである。ひょっとすると異性を好きになることも結婚することも同じではないか?もちろん、喜びも快楽もあるが、人生の苦しさや苦さも味わうことになる。
『18歳未満禁止』という映画や、風俗営業などで『18歳以下立ち入り禁止』というのもある。成人年齢の20歳というのと微妙に違っているがこれもわけが分からない。『不道徳である』という理由や『犯罪の増加』につながるという理由なら、18歳に年齢を制限する理由が分からない。そういう映画を見てみると女性の陰毛がチラと見えるだけと言うのもある。大人たちは18歳以下の青年をどんな生き物と考えているのだろうか?ひょっとすると日本人の大人たちは、若者に追いつかれることを恐れているのだろうか?夕食の後で、お父さんだけが特別メニューの夜食を楽しむように若者たちに大人の味を隠すための努力をしているのだろうか?私には、日本人の大人というのは、まだ大人になりきれていない種族のような気がしてきた。
『成人』の規程は逆に『成人に達しない』20歳以下の者に対して『少年法』と言うものを適用することと繋がっている。昨今は中学生による猟奇殺人事件が起こったことなどにより、14歳以下の刑事事件被告に対しても『家庭裁判所』に送致すると言う規程に対し「年齢を引き下げよ」という議論もあるらしい。私もこの議論には賛成で、むしろ『少年法』の規程など『無くても良い』と思っているくらいだ。『万引き』程度の微罪をどのように扱うかはその人の酌量に任せれば良いが、傷害や殺人といった強力犯は,それだけの犯罪を犯せる能力を既に備えているのであるから、特に『少年法』などによって保護する必要は無いと考えている。罪刑法定主義とはいえ、犯罪に対する個々の罰条は裁判官が決めるのであるから、年少であることやその他の情状を含めて裁判官が決めればよいことである。但し刑罰としての『死刑』には私はあくまでも反対である。いくら三審制があるといっても、誤審や冤罪の危険性は否定できない。日本の裁判官が、大人として無謬(むびゅう)であるとは信じられないのである。さて『成人』は何歳からにするべきか?
2008.02.18.