直言曲言 第220回 「士農工商」
『士農工商』と言えば江戸時代の身分制度である。制度と言ってもそれほど厳密な施行細則があったとは思えない。武士階級の特権を守ることや農民を農地に縛り付けておくことが目的であったのではないか?他の階級が武士の名誉を傷つけたりすると『斬り捨てご免』などというのがあり、裁判制度も不十分であったろうから武士以外は『人権』も尊重されていなかったと言えよう。それ以外は『身分制度』と言うよりも『職業差別』のようなものであったのではないか。この『士農工商』という職業差別は現代にも生きている。それどころか、現代では形を変えて差別はむしろ激化していると言える。
『士』とはサムライであり武士のことであるが、現代では『官』つまり官僚のことであると考えられる。武士のように『武力』の保有を認められていることを思えば、警察官や自衛官がまず第一に考えられる。士農工商の階級順位は官尊民卑の思想に引き継がれており、先ごろのイージス艦の漁船沈没事故にも見られる。漁船を発見しておきながら回避もせず警笛も鳴らさず衝突して2名の漁夫の命を奪ってしまった。石破防衛大臣の辞任とか艦長の降格などが囁かれているがとんでもない話である。問題は殺人事件であり、単なる過失であるともいえない。これで刑事罰が下されないとしたら『斬り捨てご免』の時代と同じある。
他にも『士』はいる。サムライと言うのは『偉い』と言う意識があるらしく、代議士、弁護士、会計士、税理士果ては消防士や不動産鑑定士など資格試験に合格した人を『士』と名乗る例が多い。資格優位、資格尊重の風潮はこんなところからも明らかである。代議士とは衆院議員のことであるが、同じ国会議員でも参院議員には『士』が付かないのはなぜだろう?まさか昔から与野党逆転の時代を予測していたのではないだろうが、衆議院優位は誰の目にも明らかだ。
『士農工商』は職業差別だが『士』が最上位に来ていることを除けば農工商の順位は意外に現代にも通じる価値尺度である。農はもちろん農業を含めた第一次産業である。農業は命の基である食物を作る。昔は現在ほど農業の生産性が高くなかった。江戸時代は就業人口の85%が農民であったと推定されている。昭和に入っても就業人口の約半数が農業だが、戦後になって農業はどんどん衰退し現在は就業人口の約3.7%である。続いて『工』。モノづくりの職業である。道具を作ったり、加工する。明確に価値を生み出し、付加価値を生み出すのであるから尊重されて当然である。商業を軽んずるわけではないが商いとは、他人が生み出した価値物を売買する職業。創造という意味では価値を生み出すものではない。だが商人がいなければ農家や工業が生み出した産物も消費者の手に届かない。しかし価値そのものを作り出しているわけではないという意味で最下位におかれたのだろう。農工商の順位はそれなりの妥当性で説明できる。
就業人口は産業構造の変化によって大きく変わる。士農工商という職業分類自体が時代にそぐわなくなった。戦後は主に第一次産業・第二次産業・第三次産業という分類が行われている。第一次産業は農業を中心に漁業や林業・鉱業など。第二次産業は工業など製造業や加工業。第三次産業は商業・サービス業などその他の産業。戦後すぐには、第一次産業が過半数であったが、戦後復興の中で工業化が進み、第二次産業が筆頭に。「士」という武士階級はなくなったが、明治新政府意向「官僚」というものが生まれた。戦後の自衛隊や警察を含めて官僚といってよいだろう。武士の「士」に代わる「司(つかさ)」の登場である。官尊民卑の風潮はいまだ強く、いわば「司農工商」の世の中である。戦後「農」と「工」の位置は逆転したが、さらに「サービス業」全盛の時代になり、産業分類の第一位はサービス業を含む第3次産業である。商業も第3次産業に含まれるし、「司」というのも官僚であり、公務員であるが多くは第3次産業に含まれる。
現代社会の特徴はこの「第3次産業」の多様化である。「第3次産業」という言葉で一くくりにできない情報産業やサービスの多様化を「第5次産業」とか「第7次産業」とかの新しい分類で表現することもある。一応の産業分類はあるものの多様化しすぎてイメージが定着していない。私なりに職業分類を試みるとやはり第3次産業がトップである。ただし昔のように商業ばかりではない。商業といえばその代表は「小売業」であるが、就業人口はともかく商店数はずいぶん減少してしまった。皆さんのご近所でも同じだろうが、魚屋さんに肉屋さん八百屋さんという店は少なくなった。同様に豆腐屋さん電器屋さんパン屋さんなども減っている。スーパーマーケットやコンビニエンスストア、家電商品などの大規模販売店が増えて、一般の小売店は単独では成り立たなくなっている。小売店以外でも卸売店も商業であるが、広く流通業という形が増えて私たちにはわかりにくくなっている。昔の問屋さんといえば、生産者と小売業者を仲立ちするものであったが、今では何をしているのかわからない。先ごろの中国製毒入り餃子事件。あれはJTの製品として売られていたという。JTといえば日本たばこ産業株式会社。多様化してタバコだけではない食品も製造していたのかと思えば、中国の工場に作らせて仕入れていたらしい。これでは昔の専売公社と同じ商社ではないか。商業という名を借りて消費者を欺(あざむ)く企業が増えている。流行の産地を欺いたり消費期限を欺いたり、これはもう商業とはいえぬ。新しく『詐欺業』という分類を用いて産業分類をした方が良いかもしれぬ。
人を「あざむく」といえば、資本主義の根本構造自体がそのような構造で成立していると言えなくない。これも最近の話だが、NHKの記者などが「会社合併」の報道資料を見て発表前にその会社の株式を買い、儲けたという。「インサイダー取引」という犯罪行為だ。もちろん検挙され、有罪判決が下されたが、私などからみれば「厳しすぎる」とも思える。そもそも株式の取引で儲けたり、損をしたりするシステム自体がモラルに反した行為だと思うからだ。これは資本主義社会の根本をなすルールだから、些細なことでも厳罰が与えられるのだろう。そもそも「インサイダー」の定義とは何なのだろう。例えば深夜や早朝のテレビを見ていると閉じたばかりのニューヨーク証券取引所の相場が報道される。もし相場が上がっていれば、翌日の東京証券市場の相場は上がり、下がっていれば東京もほぼ確実に下がる。これを見て売買すればほぼ確実に儲かるではないか?ただし売買差益で巨万の富を得ようと思えば、動かす資金も巨万でなければならない。巨万の富を持っていれば合法的に「詐欺業」は成立するのである。
読者の中に巨万の富を持っている人がいるとは思えないが、もしいたとしてもこんなことはやらないこと。やってもその損失には私個人もニュースタート事務局も一切の責任を負わない。テレビの報道を見て株価の上下を予測するよりも前に、専用直通電話で株価動向をリアルタイムで見て、株式の販売を左右している専門家がいるのだから。彼らはいわば資本主義のインサイダー、あなた方はアウトサイダー。株式市場などというギャンブル現場には近づかない方が良い。
2008.03.11.