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直言曲言 第190回 「文化的抑制」

By , 2007年4月20日 4:57 PM

自立ってそれほど重要なことなのだろうか?大人は若者に自立を迫る。生き物は成熟すれば自然に自立するようになる。引きこもりの若者が自立していないとすれば、人間としてまだ成熟していないからではないか?成熟していないのに、無理に自立を迫るのは残酷なことではないのか?生物は生長すれば段々と成熟していく。成熟とは老化のひとつ前の段階であるといえる。老化すればやがては死を迎える。だからその前に次の世代つまりは子どもを生まなければならない。子どもを生むためには生殖行為が必要になる。だから成熟は性的な成長とも同義語となる。だから色気づいて異性が恋しくなると誰でも自立したがる。親が望んでいなくても、親元を離れたがる。

成熟と自立の関連性は分かった。それでは人間はいつになったら成熟するのか。もちろん個体差はあるし、成長と成熟や寿命の関係は科学的に解明されているわけではない。ただ生物として過酷な環境にあるほど種の保存、つまりは生殖に励む年齢は低下するようだ。通常、生物は成熟に要する年齢の3~5倍の寿命を持つようである。ただし、これは生物学的な年齢だけでなく、社会的な環境などにも左右されるようであるから断言は出来ない。現代以前、日本人の寿命は50歳前後といわれていた。映画・演劇などで信長が踊る『敦盛』などでも『人間わずか50年。化転のうちに比ぶれば…』などと言うではないか。このころの成人年齢は15から16歳。成人と成熟は違うかもしれないが、ともかくこの頃に男子は元服という成人式を迎え、女子もこの頃から結婚適齢期を迎えたようである。『忠臣蔵』の矢藤右衛門七も大石主税もこの年齢で元服して大人の仲間入りし主君の敵討ちに参加したらしい。『人生50年』というのがいつごろからいつまでなのかは正確にはわからないが太平洋戦争の後、この頃は戦死者が多かったせいだろうが平均年齢が50歳を下回っていたという統計が残っている。戦後はついこの間まで『人生60年』と言われていた。この『人生60年』において日本国憲法は男18歳以上のものに結婚を認めており、同じく満20歳を以って成人と認めている。ところで世界一の長寿国日本人男子の平均寿命は伸び続けており1951年には60歳を、1971年には70歳を突破し、2005年には78.56歳、女性は85.52歳になっている。まさに『人生80年』 といって良い時代になっている。『長寿』そのものは喜ばしい限りだが、この急激な変化に笑えぬ現実が起きているといえる。

『人生50年』あるいは60年の時代には子どもが成人に達した頃には、既に『老境』に入り、子どもが職業や世帯主の立場を継ぎ、ご本人は『隠居』したものだが、いまや『人生80年』。子どもが成人したくらいではまだまだ隠居する歳ではない。まして定年などという制度で、強制的に退職させられてはたまらない。それでも定年延長などがあってもせいぜい60歳か、65歳くらいまでである。65歳で定年になり、年金を貰うようになってもまだまだ人生は15年も残っている。この余生をどのように暮らせば良いのか。昔なら60歳を超えた人は立派な老人だけれど、いまどきの60歳はまだまだ若い。とても枯淡の心境になどなれるものではない。ところが65、70というと『人生モデル』がない。もちろん『老人』のモデルはいるのだが若々しくて、意欲満々の70歳なんて見習おうにもモデルがいない。例えば今70歳の人なら、父親は40年ほど前には50歳代でもう死んでいたことになる。

人間は、日本人は平均寿命80歳だが、他の生物はどうだろう。こちらはあまり変化がなさそうだ。同じ哺乳類の犬なら寿命は12~15歳程度、犬種にもよるだろうが満1年程度で成犬となり、出産をすることもあるそうだから人間に比べて早熟なようだ。他の哺乳類についても私は詳しいわけではないが、人間に比べると早熟なようだ。例えば牛や馬は、映像などで見ると、出生後数時間で立ち上がるようだし、犬や豚にしても出世後すぐに兄弟と争って母親の乳房に群れて乳を吸う。人間の場合はそうは行かない。母親が抱きかかえて乳房を吸わせなければ、生き延びる力はないだろう。鳥類や昆虫など、他の生物はどうだろう。哺乳類は胎生し、母親は乳を飲ませて育児するが、卵生する他の生物は必ずしもそうではない。鳥類の一部は抱卵し、幼鳥の間は餌を与え、巣立ちの時期まで育児をするが、昆虫や魚類は卵を安全な場所に産み付ける程度で、育児をする蝶や鯖などというものは見たことがない。

話が多少それたようだが、要するに人は成熟すると自然に自立をするようである。平均寿命が伸びたということは、成熟する時期も遅くなっているはずだ。どれだけ遅くなっているかは分からないけれど、平均寿命60歳の頃よりは80歳になった今のほうが、確実に成熟は遅くなっている。かつて『人生60年』時代では20歳で成人し、成熟に近づき、自立するようになったが、この年齢では今は自立できないのではないか?若者たちの結婚年齢が遅くなっている。つまり晩婚化もこのことと無縁ではないだろう。

平均寿命が伸びる一方で日本人の体位の向上や成育年齢は早期化している。栄養状況などが改善しているせいだろう。容器である体位が向上すれば、中身の成熟が遅くなるのは当然だろう。少し前の世代である『団塊の世代』でも言われたものである。『体ばかり大きくて中身が伴わない』と。しかし、統計によると『初潮年齢』も早期化しているという。これは明らかに『成熟』の早期化の徴候である。平均寿命60歳で、成熟が20歳であるとすると、平均寿命が80歳である今は約3分の1である24歳くらいでなければならない。ところが我が子の引きこもりで相談に来る親たちの悩みは20台の後半になったり、30台になっても自立できないという。どうも肉体的な成熟年齢と、社会的な成熟年齢は違うらしい。自立という言葉の中身は、親たちの言い分を聞いていると『早く就職をして経済的にひとり立ちしてくれること』を意味するらしい。つまり社会的な自立とはほとんど経済的な自立を意味している。

いつも私が言っていることだが、日本は経済的には随分と豊かになった。成人しても、子どもが親にパラサイト(寄生)していても、経済的には困窮しなくて済む時代になっている。 だから肉体的には成熟していても社会的には成熟しないことが許容されている。肉体と社会における成熟のギャップを『文化的抑制』と呼ぶことにしよう。若者たちは、自ら肉体的には成熟しているにもかかわらず、社会的には労働力として評価されないことや、未婚であることを許されることから社会的な未成熟者として自らを文化的に『抑制』しているといえる。

親たちの言動を見れば、子どもの肉体的・精神的・社会的・経済的な成熟度を測って自立を求めているとは思えない。ただ一般的慣例や歴史的な慣例にしたがって『20才を過ぎたのだから、自立しなくては』といっているだけのように見える。自分たちの平均寿命が伸びて、老後の生き方を模索しなくてはならないのに、子どもがいつまでも親に依存しているのは迷惑なのだろう。だから自立をせかせるのである。子どもたちは文化的に成熟を自己抑制しているが、親たちは平均寿命の伸びに戸惑っており、生き方への文化的抑制が見られない。

2007.04.20.

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