NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第189話 「ある男の相談」

By , 2007年4月8日 4:55 PM

あるとき事務所にたむろして暇をもてあましていたら、中年男がひとり入ってきた。『あるところから紹介を受けたのですが、話を聞いていただけますでしょうか?』という。若者の引きこもり相談なら親からの面談であろうと、本人からの相談であろうとあろうと『歓迎』であるが、一見したところ本人でも親でもなさそうだ。まあ、暇なので相手をすることにした。男は語り始めた。『就労支援』とか『相談』とかを業務にしているので、『職安センター』のようなものと間違えたのかもしれない。男は釜ヶ崎から来たと言うのだ。

男は52歳。気は弱そうだが、体は頑健そう。身なりもこざっぱりしている。『自分は労務者で北海道出身である。何事をやってもうまくいかない。人付き合いがうまくない。自分のせいだとは思っているが、世間の風は冷たい。どうしたらよいだろうか。』くどくどとしゃべった挙句のことだが、おおむねこんな相談だった。くどくどと、しかも同じ事を繰り返し言う。

釜ヶ崎に流れてきた発端はこうだ。北海道の高校を卒業してある工場に勤めていた。そのとき男がある機械を操作しようとしてスイッチを入れた。機械は暴走して、他人を傷つけてしまった。男は失業して北海道を去った。流れ流れて東京の山谷へと着いた。労務者をしながら更正しようとコツコツと働いて金をためた。しかし貯めた金をだまされて巻き上げられ、いやになって大阪に来たと言うのだ。52歳にしては簡単な身の上話だが、突っ込んで聞いてみたとて、府県名と働き先が2,3増えるだけだろう。黙って聞き続けることにした。釜ヶ崎のセンターでぼんやりしているとボランティアだと言う人に声を掛けられた。その人の紹介で仕事を紹介してもらい、アパートの保証人にもなってもらった。しかし、仕事先では北海道のトラウマがあるから『スイッチを押すような仕事はできない』というと雇い主にもボランティアの人にも『わがままだ』と叱られたという。アパートでは、日雇いの仕事のために夜中に起き出すとどろぼうに間違われ、説明をしても夜中の3時に起きて顔を洗って歯磨きをする水の音がうるさいと管理人から叱られたという。私は子どものころから18歳で大学に行くまで釜ヶ崎に住んでいた人間だ。『そんなことはないはずだ。釜ヶ崎の住人はみな朝が早い。12時ころまで酔って騒いでいたら、眠れないからうるさいと怒鳴られるかもしれないが、朝の3時に物音がするからと言って叱られるはずがない。あなたの考えすぎか誤解ではないか』と言ったのだが、聞き入れない。『顔を洗うだけで近所の人から苦情が来るから出て行ってくれ』と言われたというのだ。釜ヶ崎には色んな人が住む。釜ヶ崎に長く暮らしたから知っているつもりだが、他人の迷惑を顧みない人もいれば、偏屈な人もいる。しかし雑多な人が住んでいるだけに、ルールを守っておとなしく暮らしていれば文句は言われないはずだ。釜ヶ崎の労務者にとって朝の3時過ぎに起きるのはごく普通、それが主流派のはずだ。4時過ぎには「センター」のシャッターが上り、求人活動が始まるのだから…。まじめそうなこの男は、人よりも30分も早く起きて眠りの浅い近隣住民を起こしてしまい顰蹙を買ったのだろうか?『いずれにしても、釜ヶ崎にはドヤビルなど掃いて捨てるくらいあるのだから、気を落とさなくていいじゃないか』余りにも情けなそうなそぶりの男に、ついつい慰めの言葉をかける私だった。『いいえ、私はもうだめです。悪いのは私ですから。3時に起きて、歯を磨いた私が悪いのです。』3時に起きて歯を磨くことなど悪いはずがない。理不尽な仕打ちを受けた自分に対する『正当化』の気持ちがあるらしい。

『その世話になったボランティアの人にもう一度頼ればよいじゃないですか』『ダメです。この人も私が機械を操作するような仕事をできないのを理解してくれません。それに、この人は今までに困っている人を数百人お世話してきたと言って、人助けを自慢にしているような人ですから、自分も数百人の数のうちに入れようと思って…』疑心暗鬼になっている。どこまでも、人の善意を受け容れられなくなっている人だなぁと私もあきらめ気味になってきた。『それでここには、何を相談に来たの?どうしてほしいの?半分突き放した時の私の口癖だ。『もう良いのです。話を聞いていただいただけでもすっきりしました。私はもうダメです。終わりにします。』確かに繰り返し同じ事をしゃべって、すっきりしたような顔になっている。しかし『もうダメです。』というのは聞き捨てならない。『終わりにします』というのは人生を『終わりにする』つまりは『死にます』という意味である。これでは相談に来たのだか、自殺をほのめかして脅しに来たのだか分からない。

『北海道へ帰ったら?親はまだいるのだろ?』『親は死にました。兄はいますが、自分なんか昔から厄介者でしたから。それに北海道には仕事がありません。』なるほど、技術も資格も持たないこの男には仕事がないかもしれない。ボタンを押す機械の運転もできないこの男には尚更かもしれない。労務者しかできないだろう。最近は企業業績も持ち直して、全国的には有効求人倍率も1.0を超えていると言う。しかし、それでも北海道のそれは0.66だそうだ。求職者が100人いたら、34人は職にあぶれると言う。この男は34人の中に入りそうだ。夕張市が過剰債務で話題になったが、そんな例を持ち出すまでもなく北海道に仕事はないのだ。労務者というのは特定の技術を持たないので一般の製造業の現場では必要とされない。建設ラッシュとかでビルがどんどん建つようなときに働き口が増える。皮肉なことだが、オリンピックとか万博など急ピッチで都市を改造しなければならないときに、労務者の景気が良くなるのだ。

事故を起こして、北海道を逃げるようにして出てきた男。心理的に北海道には帰りたくないと言う気持ちが強いのだろう。それに北海道には不況で仕事がない。有効求人倍率も0.7を下回っている。心理的な嫌悪感に加えて、客観的な『事実』が少しでも加われば、不動の『決意』に変わってしまうのだ。自分の心理的な好悪の選択だけでは行為を正当化する自信はない。『客観的』な事実として、少しでも自分の判断に味方をしてくれる事があれば『頑固』になれるのである。『頑固』であるのではなく『頑固』になるのである。その『頑固』になるのにも条件がいる。いったん『頑固』になってしまえばてこでも動かない。文字通りそれがその人の生きる『支点』になってしまうのだ。

引きこもりにもそんな『頑固者』が多い。引きこもっているのは心理的な逃避感情からであるが、この時点では自分の選択に自信をもっていない。だから内心では引きこもりから如何に脱却するかを真剣に考えている。この段階で親などから盛んに攻撃を受ける。すでに親の言葉を素直に受け取るような心性は消えている。何とか引きこもりを正当化するような論理を身に着けなければならない。そこから引きこもりの理論武装がはじまる。最近では引きこもりについての専門書も数多く出ている。心理学的な観点や引きこもり支援の経験的な観点から引きこもりはなぜ起きるかが書かれている。これこそが引きこもりにとっての、なぜ引きこもるのかの答えである。理論的に正等であろうが、間違っていようが一応の理屈は成り立っている。当面の親の攻撃に反撃するには十分である。心理的な引きこもり願望に加えて、理論的な根拠が加われば鬼に金棒である。かくして、親が必死に説得しても動こうとしない引きこもりの確信犯が誕生する。

私なども、自分の果たしている役割に戦慄することがある。この直言曲言である。この直言曲言は主に引きこもりの親と当事者に向けて書いている。親には当事者の心情を理解してくれるように、当事者には親の心情を理解するように書いているつもりである。しかし、時には相手の感情の種明かしをしてしまうことがある。しかも私は引きこもり問題の究極的な原因を社会学的に究明したいと思っている。例えば多くの引きこもりたちに共通する原因は『就職問題』である。1990年以降のバブル崩壊や経済のグローバル化の中で、日本国内における若者の就職口は激減した。製造業の多くは中国をはじめとするアジア大陸に工場立地を進め、人件費の高い日本人を避けてアジア人を採用してきた。その結果企業は空前の収益をあげているのに、若者に仕事はなく、良い高校から良い大学への競争は依然として激しいのに、若者には夢や希望がない。これが引きこもり激増の第一の原因だ思うのだが、考えればこれは引きこもりを正当化する根拠にもなりかねない。

ところで先の男は先日も現れた。まだ死んでいなかった。何事かと訝ったが、彼の依頼はこうだった。『お金を貸してください』。

2007.04.08.

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