NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第178回 「回復の障壁」

By , 2006年12月5日 4:28 PM

『引きこもりは病気ではない』は5年前に発行した私の論文集である。当時はまだ引きこもりを精神分裂症(現・統合失調症)などの精神病と混同する人が多く『精神病とは違う』という意味で書名をつけた。引きこもりは病気ではないけれど完全に健康な状態かといえば、そうではない。さまざまな神経症が複合化した状態で、いわば『心の風邪引き』さんの状態である。『風邪』は陥りやすい健康状態で、それほど恐れるべき状態ではない。風邪を引いたら暖かくして、休養をとり、栄養のあるものを食べる。咳や、のどの痛みや、熱などの個別症状に効く薬はあるが風邪そのものを治療する薬はないようだ。風邪は日常茶飯にかかりやすい症状だが、バカにしてこじらせてしまうと大変なようである。引きこもりはこの点でも『心の風邪引き』に似ていてこじらせてしまうと大変である。

引きこもりは風邪に似ていて、世間の冷たい風などに晒されると引きやすい。就職氷河期といわれた時期に就職恐怖や社会恐怖に感染した若者がやがて対人恐怖や人間不信に陥り、引きこもりになった。その意味でも引きこもりは社会システムの不調が原因で『社会病』といえる。ところが引きこもりにはもうひとつの側面があり、家族や母親が原因となる『母源病』だとも言われている。『母源病』というのはもともとは大人である母親の身体には多くのウィルスが棲んでいて、それが出産や育児を通じて胎児や乳児に感染する病のことだが、ある種の精神的障害にも『母源病』という名がつけられた。ある精神科医による命名だ。母親が悪影響を与えるという意味は分かるが、『社会病』であるという側面を見落とし、母親が感染源であるという点だけを強調しすぎるきらいがある。自責感を強く持った母親が、自分を責めすぎて、自殺をしてしまうという例が相次いだ。

私は、引きこもりは本人の責任ではなく、親の責任でもないといっている。ただし引きこもりこもりからの回復には親の協力が欠かせなくて、その意味で母親の責任も大きい。なぜなら、引きこもりになってしまうと、親にばかり依存して他人との付き合いがなくなる。引きこもりは、他人との付き合いによって人間不信を払拭することによって解決するが、他人との出会い作りには母親の手助けが欠かせないからだ。ところが、引きこもりをこじらせている例を見ると、この母親が邪魔をしていることが少なくない。いわゆる良い母親、我が子思いの母親ほどこういう傾向が強い。しかも母親本人は、自分が息子の引きこもりからの脱却を邪魔しているとは意識していない。

引きこもりは、実際に発症するのは、15歳くらいから25歳くらいまでであるが、その原因となる心理的契機は14~15歳の頃自我が育ち自立心が芽生えてくる頃である。この頃は子どもにとって反抗期でもある。子どもが成長して自立を目指そうとする直前になると、保護者である親や先生などに反抗するようになる。我が子の反抗期(第二反抗期)に始めて遭遇した母親は驚くが、やがて子どもの成長に欠かせないプロセスだと知って黙って見守るようになる。しかし、最近の子どもにはこの時期に反抗期を迎えない子が多くなっている。特に引きこもる若者には反抗期がない子が多い。引きこもって随分時期が経ってから反抗期のような様相を呈する。『遅れてきた反抗期』というわけだ。反抗期のない、親に従順な若者を見て『うちの子はおとなしい、良い子だ』と思っている。やがて何かをきっかけにしてつまずき、引きこもる。自宅から出ないで、社会的交際が出来ないのには困っているが、私が『その歳(例えば20歳代後半)になって親元で甘やかせているのはおかしい。追い出しなさい』などと言うと母親は俄然反発する。母親から見るとたとえ20代後半になっていても、自立できていない息子はまだかわいい子どもである。『追い出す』などと酷いことは出来ない。働けない子どもであるから食事も出来ない、住むところもないではないか、息子を殺してしまえというのですか?抗議の声は涙声である。20代後半の男の子を家から放り出すと死んでしまうというのだろうか。それでは「家出」も出来ないではないか。そうだこの世代の親たちの辞書には家出と言う文字はないのだ。

私が例会などで『家出』と言う言葉を口にすると、親たちは露骨に嫌な顔をして横を向くか、理不尽なことを言われるというように抵抗感を示した。この世代には『家出』の経験がないか、さらにその親たちから『出て行け』などといわれた経験がないのだ。『家出』は家を捨てることであり、一時的には親を捨てることである。またそれまでの古い自分を捨てることであり、人の成長にとってひとつの文化でもある。その文化がとぎれてしまっている。

今の引きこもり世代の親たちは40代から、団塊の世代まで、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて育った人が多い。自分たちは大家族の中で生まれて育ち、大家族を離れて結婚し、核家族を形成してきた。家族のしがらみや村の閉鎖性を憎みながら、核家族のあり方に近代的な家族のあり方を夢見てきた人たちが多い。円満に家を出てきたかもしれないが、田舎の親を捨て、仕事を求め、恋愛を求め、ファッショナブルな都会生活に憧れ、都会に出てきたのではないか。高度経済成長期には会社人間として仕事に励み、家庭を顧みなかったのだが、その結果家庭が崩壊し、人は個へとバラバラに解体しかけた。『家族の絆』とか『家庭に帰れ』とか言われたのはその頃である。その頃必死になって家族の紐帯を引き締めにかかったのは母親世代であったか。家族はもちろん大切な社会集団の最小単位である。しかし人は生まれて育ち、やがて巣立ちをして、新しいつがいを形成して、新しい家族を形成していく。人の歴史とはそういうものである。自分たちは、大家族を捨ててきたくせに、自分たちの作った核家族にはしがみつく。我が子はいつまでも幼な子でいて欲しい。母親たちの気持ちの中にはそんな気持ちが潜んでいるらしい。つまり我が子の巣立ちをいつまでも認められない、母親としての性(さが)が潜んでいる。子どもの自立や巣立ちを認めなければ、次の世代の誕生は望めないのではないか。

こんな若者がいた。引きこもって何年か、母親が相談に来た。NSP(ニュースタートパートナー=レンタルお姉さん)を派遣して、辛抱強く勧誘した。母親もそれを熱望し、入寮することを強く希望した。半年余が過ぎて、あるとき急にその子は家を出ることを決意した。母親は急に態度を変えて、ニュースタート事務局の悪口を言い始めた。私は母親の心変わりを不思議に思ったが、何よりも残念だったのは子どもが時間をかけて自立の入り口に立とうとしたのに、母親がそれに敵対してしまったことである。

2006.12.5

 

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