直言曲言 第141回 「鍋の会」
『鍋の会』はニュースタート事務局関西の年中行事である。年中行事とは、普通は年に1 回とか月に1回とか恒例的に行う行事のことをいう。『鍋の会』の場合、月に2回、『年中』行っているから年中行事なのである。『鍋の会』とは読んで字の如し、集まって鍋料理を食うから『鍋の会』という。少し難しそうなことを言おうとする場合『鍋の会』のことをグループセラピーということがある。この場合も、みんなで集まって鍋料理を食うのが効果がありそうなので、『グループ』というだけである。
『鍋の会』はニュースタート事務局関西の基本行事なので、引きこもりの人に最初に参加してもらおうと思う。親の参加も推奨している。引きこもりの人は、人付き合いが苦手で他人と一緒に食事をしたことなどめったにない。食事を一緒にする仲間のことを『共食共同体』と言う。家族もそのひとつである。近頃では家族でさえ一緒に飯を食わないという。特に、お父さんや若い人は別々に飯を食うという。これを個食という。ひとり炊きの電気釜が流行ったり、デパ地下で一人用のお惣菜を売っていたりするのもそのせいである。人間の間で信頼関係がなくなり、対人恐怖が増えたりするのも一緒に食事をする機会が減っているからではないか?だから、みんなで集まって鍋料理を食べようというわけである。
鍋料理といえば、みんなで食事をする時の代表的な料理である。ひとつの鍋に肉や魚や野菜を放り込んでみんなで食べる。箸をつつき合わせてみんなで食べる。それを不潔だと言う人もいる。他人と食事をしたことがない人など、ひとつ鍋に箸をつつき合わせるなど論外というわけであろう。厳密に言えば、鍋料理は唾液が混じることがあるのかもしれない。ニュースタートの『鍋の会』ではお世話役が小鉢に取り分けている。だから、お箸を二度付けなどしない。唾液が混じることなどない。しかし、そんなことを気にしていては他人と食事などできないのだ。食中毒というものも世の中にはたくさんあるが、鍋料理を食べて食中毒を起こしたなどとは聞いたことがない。食事のルールやマナーなどというものは人と人とを差別し、離反させるための仕組みではないか?
年中行事ということであるから、夏も鍋の会をやる。夏には鍋料理は暑かろう、と気を使う人もずいぶんといる。主催者のほうはそんなことはお構いなく、年中「鍋」である。夏は冷やし素麺でも冷やしうどんでも何でも良いのだが、『鍋の会』のもうひとつの目的は、お酒を飲むということなのであるから、冷やし素麺ではもうひとつ盛り上がらない。鍋料理はやはり秋や冬に限る。いや季節を問わないのである。あまり常識に囚われていては『鍋の会』などできないのである。ごく普通にやれば鶏肉や豚肉に野菜類を入れ、これに豆腐やきのこ類を入れれば十分である。味は醤油だしが普通、味噌でも塩でも良い。最近では「キムチの素」などというものも市販されていて、これで味付けをすると参加者にも好評のようである。
『鍋の会』の特色は、この鍋料理を準備する人たちも回りもちになっていることである。自分の順番ともなれば鶏や豚肉の味だけでは気がすまないという人もいる。トマト味やイカ墨スープの鍋料理など珍品が登場することもある。ちょっと見るとぎょっとする。真っ赤であったり、真っ黒、であったりする。材料を聞いて二度びっくり、『そんなの食べられるの?』しかし、食べてみるとこれが『美味い』。鍋料理というものどんな材料を入れても美味くなるのである。単品ではない。多品種の材料がまじっている。おまけに、ぐっぐっと熱が通っている。山海の珍味がまじっていれば美味くなるはずである。一度、スーパーに売っているものすべてをぶち込んで鍋料理を作ってみようか、きっとレシピなど関係なく美味いはずである。
毎月2回やるのであるから料理『担当者』は回りもちである。この「担当者回り持ち」というのがなかなかに波紋を呼ぶ。なにしろ元ひきこもりである。家に引きこもっていて、料理だけは得意という人もいる。料理なんて一度もしたことがないという人もいる。たいていは、そんな人同士を組み合わせる。しかし、問題なのは40人前という分量である。『鍋の会』は平均して約40人の参加者である。30人のときも50人のときもあるが、平均して40人と予測しておけば大丈夫である。プロの料理人でない限り、40人前なんて料理をこなしたことがないのはあたりまえである。たいていは料理の途中で分量が少ないのに気づく。料理が一段落して一息つこうとして、ふと見上げると参加者はまだ満足していない。それどころか40人の参加者がようやく一鉢目の鍋にありついたところで、大半は『お代わり』の順番を狙っていて小鉢は空(から)である。あわてて、材料を追加しようと思うが白菜も豆腐も品切れである。
こんなとき、今の『鍋の会』会場は便利である。『ダイエー』がすぐ近くにある。誰かに買いに走らせればすぐである。もうひとつ、人数や分量の目途が立ちにくいときにはコツがある。なべのスープを大量に造り置きしておくかうどんや中華麺などの麺類を準備しておくことである。スープが余っていれば材料を薄めて使えばなんとかなる。麺類や米があればぶちこんで雑炊(ぞうすい)にしてしまえばよい。鍋料理なら大抵の麺類には合う。またこれが美味い。麺類がでてくれば自然とお腹がいっぱいになるというものである。
『鍋の会』で古くて新しい問題は『有料化』問題である。『鍋の会』参加費は現在無料なのである。参加費は無料だがカンパや材料の持ち込みは歓迎としている。鍋料理とは言え、40人前も作れば、費用が掛かる。ビール代も酒代もかかる。といっても総額2万円程度である。1人500円ほどもあればお釣りが来る。しかし親の参加者が少ないときなど時々は、カンパが少なくて赤字になることがある。親や大人が参加して、気前の良い人が1万円札や5千円札をいれてくれれば良いが、引きこもりの若者たちは貧乏なのである。いや、もっとはっきりいえば、けちなのである。働いたことがない。親に経済的に依存しているから、お金についてのリアリティがない。リアリティがなければ人の善意など金額の多寡ではかれない。だから思い切りケチなのである。有料の鍋の会など中途半端で参加する気になれない。
40人も50人もの参加者が必要なのではない。たった一人の若者が参加できなくなると困るのである。だから、現在も『鍋の会』は無料なのである。
2005.11.17.