直言曲言 第130回 「大人にならないピーターパンたち」
ニュースタート事務局(関西)の3つの目標と言うものがある。①友だちづくり、②家族からの自立、③社会参加である。いずれも詳しい説明をしなくても理解していただけるはずである。①は友人拒絶や対人恐怖からの解放であり、③は最終的には就労をめざすことである。②は意味は分かりやすいのだが、なぜ『家族からの自立』が必要なのか理解できない人がいる。引きこもり本人もそうだが、家族(親)も必ずしも『家族からの自立』までは望んでいないと言う人がいる。
社会的引きこもり(ないしはNEET)は当該年齢に相応しい存在のスタイルへの期待に応えられない。中学・高校在学年齢なら一般的に通学していることが期待されている。18歳~22歳程度(浪人・留年などを考慮すればプラスアルファの許容)なら、大学か短大か、専門学校に在学しているか、あるいは既に社会人として就労しているかが期待されている。つまり学校教育を受けているか、その隙間の受験生期間は除いては、社会に出て働いていることが期待されている。
実際には社会的引きこもりまたはNEETと呼ばれている人は、学校に通っていないし就職もしていない。それが引きこもりやNEETの定義だからそう呼ばれるのは仕方がない。NEETと呼ばれる人の中には、何らかの事情で失業し、再就職の機会に恵まれない人がいるかも知れない。しかし、NEETも引きこもりのほとんどと同様に就職したこともなく、現実に求職活動もしていない人がほとんどであろう。つまりほとんど例外なく、親に金銭的に依存して生活をしている。いくら、引きこもり的生活にやむを得ない理由を認めようと、あるいはその正当性を主張しようと、親に依存しているという事実は変わらない。家族が『家族からの自立』を必ずしも『望んでいない』というのは、この『依存』状態を甘んじて受け入れているのである。ただ物理的あるいは社会的に『家庭』に引きこもっていて、外出しないことには不健全だと感じていて、この状態だけは改善して欲しいと感じている。
成人に達している青年が働いていない(学生でもない)というのは、健全とはいえないのだが、働くと言うことがただ『金を稼ぐ』手段だと言うなら、この親たちの考え方も理解できないことはない。なぜなら、この親たちは成人した子どもたちの依存を受け入れる金銭的余力を持っていて、家族なのだから成人しても経済力を持たないわが子を『養育』し続けるのは当然だと考えている。それは、それで良いだろう。問題なのはその『養育』の継続がいつまで続くのかという問題である。
今の日本は豊かな国に成っている。特に親たちの世代は、高度経済成長の時代を必死に働いて生きてきた。国民の金融資産は1700兆円に達すると言う。数億円以上の資産を持つ家庭が100万程度はあろう。少子化だし、親の家は既にある。年間500万円ずつ資産を食いつぶしていっても子どもは何とか『死ぬまで生きられる』。こんな計算を真面目にしている親がいる。働くと言うことが『金を稼ぐ』手段であるなら、この考え方も理解できる。しかし、引きこもりの若者の出身家庭の多くは中流家庭である。極貧階層もいない代わりに死ぬまで金の心配をしないで済む富裕層も少ない。いずれ、ごく稀な例以外は経済的に自立して生きて欲しいと思っているから、自立へのプレッシャーを掛けることになる。
この『自立への圧力』は引きこもりの若者にはかなりこたえる。成人年齢になっていて、働けていないと言う状況に、平気な顔をしている若者などいない。NEETの若者が『働く意欲のない若者』で平気な顔で親のすねをかじっている厚顔無恥な若者だなどという大人たちは、若者たちが希望をもって働けないようなこの社会を作ったのは誰かという問題を、どこかですっかり忘れてしまっている。若者たちは、働けないと言う状況の中で心をすり減らしながら引きこもっているのである。
しかし、引きこもりの若者にも様々なスタイルがある。完全引きこもり(第1種)や昼夜逆転型引きこもり(第2種)は親に対する全面的依存に甘んじている。第3種の引きこもりたちは働いていない点では同じなのだが、外出はかなり自由にできる。つまり、第1種や第2種のように物理的に家に引きこもっているのではなく、働く(社会参加する)ことが出来ていないという点で『社会的引きこもり』という。これが最近引きこもりとは別種のものかのように呼ばれているNEETの正体である。
私たちは当然のことであるが、第1種、第2種、第3種いずれの若者も受け入れている。私たちが運営する『鍋の会』に参加しているのは、すべて現在は第3種と言われる引きこもり状態の若者である。かつて第1種や第2種であった若者たちもNSP(ニュースタートパートナー=レンタルお兄さん、お姉さん)たちの誘い出しによって家から出られるようになり、あるいは共同生活寮で生活できるようになって、鍋の会に参加している。もはや第1種ではなく、第2種でもない、後は社会参加(就労)を目指すだけである。
ところで鍋の会に参加している人たちの約半数は、最初から第3種であった若者である。 彼らは物理的に引きこもり状態であった経験がないから、引きこもりとしての心理的なプレッシャーが少ない。ところが、働いていないと言う点では第1種や第2種から脱出して第3種状態にある人とおなじである。しかし彼らのほうは、家に引きこもっていたことが、ないという点で友だちづくりや友だちづきあいの点で長けている。従って、鍋の会での振る舞いも少し先輩で、大きな顔をしている。
親や大人との関係においても、いちいち行動を指図されているのではないから、まるで自立している若者のように振舞っている。もちろん、彼らが本当の意味での自立に向けて一歩一歩進んでくれているのなら問題はない。だけど、鍋の会というネバーランド(ピーターパンたちの夢の島)を開設して、かれこれ5年になる。随分年長のピーターパンが増えている気がする。
一方で第1種や2種の引きこもりたちはNSPの力を借りて、家から出てきた。彼らにとって初めての鍋の会参加は大変な勇気がいるものだ。もうひとつ、彼らには口には出さないが大きなプレッシャーが掛っている。共同生活寮に入寮しているため、親の経済的負担も軽くはない。通常2年間が卒寮のための目標期限である。仕事体験や様々なイベント体験を経て、アルバイトを探したり、濃密な日々が過ぎていく。寮生活という親の負担を抱えながら、つまり親に依存しながらも自立を目指している。鍋の会に3年も4年も通い続けている年長ピーターパンは、自立しているかのような気楽な生活をしながら、いつまでも親に依存し続けている。
2005.07.12.