NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第123回 「成熟すること」

By , 2005年4月18日 2:15 PM

1944(昭和19)年10月3日、私の誕生日である。別にお誕生日プレゼントをねだるつもりではないので記憶になどとどめないでください。わざわざ念を押すまでもないか?現在私は60歳。20年くらい前までは平均寿命60歳と言われていて、60歳で還暦、いわゆるおじいさんといわれても不思議でない年齢で、もういつ死んでも『若死に』とは言われない年である。私は大酒を飲むし、タバコもチェーンスモーカー、余り節制するタイプではないので、実は『あいつは早死にする』と言われてきた。

私より一つ年上の、大学の先輩で『西嶋は早死にする』と人に言いふらしてきた友人Mが今年2月に死んだ。私が昔から私淑した先輩で、渡世の義理もあって葬式のようなものを仕切る羽目になった。こいつは、昔から持病もあって結構、身体を大事にしてきた『健康オタク』だった。その先輩の葬式を仕切りながら『おいどうだ、俺のほうが長生きしたぞ』というのが、私の心の中の、正直な弔辞だった。

私の父はやはり60歳で死んだ。私がその血を継いだのかどうかは別にして、父は波乱万丈の人生を生きて、大酒のみで肝硬変で死んだ。私はその父に可愛がられ、父の生き方を真似る羽目になったが、父に親孝行はできなかった。その代わり、3人の娘を育て、女房を愛し、せめて父よりは長生きしようと努めてきた。父の命日は6月18日(誕生日もほとんど同じの10月なので)、いくら何でも、突然今私がガンを宣告されたとしても、父の年齢よりも長生きするのは確実であろう。

そこで生意気にも、自分の老いかけている半生を振り返ってみる気になった。尚、私自身の半生記については、執筆の趣旨は違うが、このホームページの『旅人』というコラムに『自分で自分が何であるかを決めた頃』という駄文を掲載している。読んでいただければ幸甚である。 私の正直な告白としては、あるいは私のどうしょうもないほどの、自己欺瞞かもしれないけれど、私は60歳の成熟した男としての自覚がない。私は15歳の、いやひょっとして12歳程度かもしれないけれど、うぶな(自分で言うのはおかしいな)少年の心を持ちつづけている。

いくら自分で『60歳のじじいなんだ』と言い聞かせようとしても、苔の生えたふてぶてしい人生観など浮かんで来ず、相変わらず他人の表情を常に窺いながら、おどおどとしている自分に出会うだけである。これは別に自分の若さを自慢しているわけでもないし、かといっていつまでも成熟しない自分を卑下しているわけでもない。おそらく、私よりもはるかに若い読者に対して、『老いる』ということは必ずしも『人生を達観』することではないのだと言うことを伝えておきたいだけである。

つまりいくつになっても人はがむしゃらに生きて行くしかないのではないかということを。 『達観』といえば、確か私が15歳頃のこと、当時どん底の貧窮生活から抜け出して、(それまで私は小学校にも通えない不就学児童だったが、いきなり中学校に編入させていただき)ようやく学校生活にもなれた頃だった。奇妙な倦怠感に襲われていた。15歳の少年としては、おそろしく生意気な感懐なのだが『人生において見るべきものは既に見た』という気持ちを懐いていた。

実際、その頃自分の経験や知識を振り返って、自分が既に得ていた学問的な知識や世間の知恵、生活の辛酸、喜怒哀楽、そのすべてが自分のわずか15年の人生で、自分自身が体験し、吸収したものだという事実には驚愕を禁じえなかった。たった15年の人生で、これだけのものを見聞きしてしまったのだから、60年も生きることになったら、人はどれほど多くの山や谷を経験しなければならないのだろうか? 15歳のこの生意気すぎる実感は、その後の私の生きざまに多少のバイアス(偏り)を与えたかもしれない。高校生時代の私は『成熟する』ことを拒否していた。

15年間でこれほどの体験をしてしまった私は、このペースで人生経験を積んでいくと、若いうちに『老成』してしまうのではないかと恐怖していた。どんな体験をしようと、そうやすやすと人生の糧などにはせず、さらりと受け流して、経験のキャパシティ(容量)に常に余裕を残しておきたいと思っていたのである。 私はその後の人生においても、多くのことを体験した。余り苦労せずに難関と言われた大学に入った。20代の学生時代に株式会社を起こして多額の金を動かしたこともあった。大学を卒業して就職する必要もなかったので、大学は中退した。失意の中で放浪人生も送ったことがある。紅灯の巷で無頼を気取ったこともある。良いことでも、悪いことでも新聞の紙面を私の写真が飾って、得意絶頂の時代もあった。

それでも60歳になった今も、未だ老成せず、子どものようなナイーブな(素朴な)感性を持ち続けているのは、私の『成熟を拒否する』習性のおかげかもしれない。あるいは私の人生の経験は15歳以後の45年間よりも、12歳くらいまでの感性豊かな時代の貧困人生の方が重みがあったのかも知れない。 さて、私が自分でいくら『少年のような』とか『ナイーブな感性』と言っても、その感性が他人に伝わる訳ではないので、恥ずかしながらその一部を告白してみよう。

一般的に60歳のおっさん(じいさんと言ってもよいが)と言えば、それなりの人生経験があるわけだから、少々の出来事に遭遇しても余り驚きもせず、感動もせず『良くある話だ』というような顔つきで、平気の平左を気取っているものだ。まず私にはこれができない。例えば、他人の身の上話を聞くと、すぐに感情移入をしてしまい、他人事と思えず動揺してしまう。腹が立つとすぐに激高してしまうし、うれしいことがあると快哉を叫ぶ。およそ、60翁に相応しいような落ち着きがない。 表面に現れる顔つき、表情だけでなく、内面の心情も同じである。

他人の行動や考え方にも知らん振りができず常に関心を持っていて、どんな出来事にも好奇心を動かされる。幼児性が抜けないのだ。身体能力は人並みに老人になっているが、心は子どものようで大人としての節度や慎み深さに欠けている。要するに人間として未成熟なのだ。

ところで成熟するとはどういうことを意味するのだろう。果物のことを考えてみよう。種が土に落ちて、芽がでて、成長する。やがて花が咲き、実がなる。木が若い間は、実も小さく少ない。木が大きくなり、花もたくさん咲き、大きな実がなる。実は最初は青いがやがて成熟して赤くなり、芳香を放つ。さらに成熟すれば、実は地に落ち、やがて腐っていく。成熟とは、生命のサイクルで言えば腐敗の前段階である。 未成熟であることを恥じることはない。引きこもっている時代とは、成熟のモラトリアム(執行猶予中)である。誇りをもって引きこもればよい。ただし、期限はある。青い実が成熟しないうちに落果させてはならない。

2005.04.18.

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