NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第105回 「普通であること」

By , 2004年9月7日 12:14 PM

最近、ニュースタート事務局理事長の二神能基氏の講演を聞いて驚いた。お話されることのほとんどすべてに、私が同意できることである。私はニュースタート事務局の理事で、関西の代表なのだから、話の内容が一致しているのは、外から見れば当たり前なのかも知れない。しかし、私が二神氏を昔からの畏友、先輩として尊敬していることには変わりがないが、別個の人格で、しかも日常的にはあまり意見を交換したり、闘わせたりしているわけではない。むしろ、微妙なニュアンスのずれや解釈の違いなどがあるのが当然だと思っていた。私は私で、引きこもりについての解釈や解決法を独自に考えてきたつもりで、現に100回を越える連載になっているこの『直言曲言』だって、二神氏の事前検閲など受けたことがない。思うに、基本的な社会認識が一致しているなら、この引きこもりに対する理解や対処法なども案外、客観的な理解が可能で、『科学的な事実として認識してよいのだな』と安心した次第である。
ところで、二神氏の講演を聞いた聴衆の意見を聞くと『二神さんの講演は(西嶋の話よりも)分かりやすくて良かった』というのが多かった。私の話はいつも理屈ぽくって、無理やり聴衆を説得しようとしているようで、反感を買っているらしい。素直に反省しようと思っている。私自身が、二神氏の講演を聞いて、一番感心した一節がある。そのことを記す。
二神氏は、ホワイトボードに簡単な縦棒の絵を書きながら、これまでの人生というのは初期に学校という階段を昇り、それから会社に就職する、それを誰もが当たり前の人生だと考えていた、と述べた。1990年頃までは高校なり、大学なり、専門学校を3月に卒業し、4月には会社に就職する。これを『新規学卒者就職』と言い、比率は全体の80%を占めていた。それが今や、新規学卒者就職率は50%を割るようになり、むしろそれまで『普通』の人生コースと考えていた生き方は、今や少数派になっていると言うのである。さらに、これまでの会社生活は『終身雇用』制度に支えられて定年まで勤めるのが一般的であったが、今や就職後半年で職場を離れたり、リストラ・失業・転職など人生の一本道からどんどん離脱する人が増えている。
私はこの話を聞きながら、これは単に『人生一直線』のような『普通の人生』を批判したり、少数派になっていることを説明しているのではないな、と感じた。聴衆であるお父さん、お母さんたちのほとんどがこうした『人生一直線』の考え方しか持っていず、そこからの脱落者である不登校や引きこもりになったわが子の『不幸』を嘆いているのである。『一直線』しかないとすれば、そこから脱落したわが子を何とか元の一直線に戻そうとする。その点が、人生の多様性や働き方の多様性を促進しようとしているニュースタート事務局の考え方と違うのである。『普通の人生』を批判しているのではなく、『普通の人生しかない』と言う考え方を批判しているのである。
せっかくの二神氏の講演は『分かりやすい』と評判だったのだが、それを聞けなかった人のためにと、私が再現しようとしたのが裏目に出て、小難しい理屈になってしまったかも知れない。

不登校からの中退や引きこもりは、さまざまな局面で普通の人生の『一直線』から離脱して、飛び出してくる。戦後60年になる日本経済の歴史は『普通の人生』を営々として築いてきたので、お父さんやお母さんはその『離脱』を単なる『落ちこぼれ』と考えている。しかし、こんな人生システムを信奉しているのは日本だけではないだろうか?本当に自分の未来が見える。多様な生き方を認めなければ、子どもたちを本当の『落ちこぼれ』にしてしまうのではないか?親たちが『普通の人生』だと思っている人は、今や50%以下の少数派に過ぎなくなっている。
1991年の地価暴落によってバブル経済は崩壊した。このときにも『右肩上がりの経済』の『終焉』は語られた。しかし、景気の回復と地価高騰の再現を信じて疑わなかった人は多い。人間は基本的に保守的な心性を持っている。親から受け継ぎ、子へ伝えていこうとする。それ自体を否定することは出来ない。しかし、ひとつの時代が終わりを、新しい時代に変っていこうとするとき、その変化に気がつかないのは悲喜劇を生み出してしまう。
学歴社会と終身雇用制社会。明らかに終焉を迎えている社会システムである。学歴社会に踏みとどまることだけを、人生の幸せをつかむ唯一の方法と考えている親たちは、不登校になったり引きこもったりする子どもに対して、人生の落伍者であるかのような哀れみの目を向けている。果たして、そうなのか?ひょっとすると、それは時代の流れに敏感な若者が、新しい生き方を模索し始めたことの表れでないのか?
親がその『哀れみ』の視線を向けている限り、子どもたちは自信を持った一歩を踏み出せないのではないか?昔ながらの『普通の人生』からの落伍者として、人目を避けて引きこもっていなければならないのか?

確かに、今彼らが外に出られないのは、あなた方『親の所為』ではない。しかし、あなた方親たちが、『普通の人生』『一本道』の人生しか見ていない限り、素直で親思いの、あなた方の子どもは、新しい人生の未来を確信することが出来ない。『学校ではない学びの場』『株式会社ではない働きの場』が必ずあるはずであることの確信。私たちもまた、必ずしも確かな実像としての未来社会の像が見えているとは言えない。少なくとも、古い社会への復帰だけが、若者たちの引きこもりからの回復につながるのではないことを確信している。私たちは古い社会への復帰を支援しているのではない。私たちは、未来へ向かっての『ニュースタート』を支援しようとしている。

2004.9.7

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