直言曲言 第61回 「勝ちと負け」
私が中学校を卒業したのは昭和36年(1961年).いわゆる釜が崎地区を校区にもち,大阪でも名うての貧民街にある中学校だった.この年は日本が高度経済成長を歩みはじめた時期にあたり,後に高校進学率は95%を超えることになるが,私の中学校同窓の高校進学率は5割程度で,当時の全国平均の高校進学率も60%に達していなかつた.貧しい地区であったが,大都市でもあり,貧しい中でせめて我が子にだけは高卒程度の学歴を確保してやりたいという親の願いもあったのだろう.それが辛〔かろ〕うじて5割の進学率を支えていた.
私を含めて高校へ進学できた子は良いが,中学校卒業と同時に働き始めた元同級生たちはあまり恵まれた就職をしたとは言えない.それまで中卒は『金の卵』などといわれ,集団就職などで脚光を浴びていたのだが,次第に高卒シフトが進み,有名企業の工場などでは高卒が主力になり始めていた.私の同級生たちは,男では小規模な工務店で大工の見習いになるもの,水道工事会社で働く人,家業の商店を継ぐ人などがいた.印刷屋とか鉄工所など勤務先はさまざまだが,有名企業に就職する人は皆無〔かいむ〕だった.女の子の方は百貨店の店員などを筆頭にサービス業がほとんどだった.
中学校を卒業した翌年,つまり私は高校1年生だったが,中学校の同窓会が開かれた.集まったのは約半数の二十数名だったが,欠席したのはほとんどが就職組で,消息を尋ねると大半は卒業後勤めた最初の勤め先を辞めていた.中に見なれないおばさん風の女性が2人ほど混じっていた.いぶかしげに見つめていると,「私や,○○や!わからんのかいな!」と親しげに声を掛けてくる.名前を聞いて辛うじて思い出したが,中学時代は大人しく目立たずに教室に隅に隠れているような女子生徒だった.もちろん,優等生だった私とそれほど親しかったわけではなく,時にまぶしそうに見つめられた記憶がある.彼女等は一応理容師の見習修行をしていたが,途中で投げだして,今は大阪の「ミナミ」でキャバレーに勤めているという.当時の中学校には,私自身もそうなのだが,不就学児童だった子が本来の学年よりも遅れて中学生になった子もいたので,実年齢はわからないが,本来なら昨年中学を卒業したばかりだから16歳のはずである.渦巻き型に巻き上げたポップヘアー,真っ赤なルージュを引いて,タバコの煙を高校一年生のこちらに吹きかけて来る.1年前の優等生である私は完全に見下されていた.
私の進学した大阪の南部の住宅地にある高校は府立の進学校であった.その高校の周囲にある中学校からの高校進学率はほとんどが80%前後だと聞いた.私の通った進学校の大学進学率は80%を超えていた.当時の全国平均の大学進学率は25%程度であったので,この数字は驚異的なものといって良いだろう.もちろん,そこが有数の進学校であったからであり,その高校に進むことによってある程度の水準(偏差値)の大学に進学するのは約束されていたようなものだった.要するに,中学から高校に進み,大学に行くというのは住居地や親の経済力がもちろん関係するのだが,どの中学に通い,どの高校に進学するのかによって確率が上下する『勝ち残り競争』だったのが実情であった.
『勝ち残り競争』というと,私はスポーツ競技のトーナメント戦方式を想起する.とりわけ高校野球の全国大会はその代表だろう.県大会(地方予選)を含めると全国で5千近くの高校野球部が参加する.トーナメント方式は,そこから勝ち残るチームを最も効率的に選別する方式である.仮にある県に128の高校野球部があっても,トーナメント方式だと7回戦を戦えば優勝チームが選び出される.32チームだと5回戦で良い.各都道府県が競う甲子園だと,一回戦不戦勝のチームを含めてやはり5回勝ち進めば優勝戦に進出できる.逆にいえば,甲子園の優勝チームとは地方大会を含めて十数回試合をして一度も負けなかったチームなのである.
野球部のある高校で『甲子園を目指す』ことを目標にしない高校はほとんどない.少なくとも県大会1回戦の勝ち残りを目指さない高校は皆無といって良いだろう.ところが,1回戦を終わった段階で,全国の半数の野球部は敗退が決定する.回戦が進むたびに半数ずつが敗退していく.ついに甲子園出場を果たしても,甲子園で優勝するのはただの1校だけ.残りの四千数百校はすべて敗退していくのである.こうなると『武士道とは死ぬことと見つけたり』の葉隠れ精神ではないが,競技をするということは『ついには敗れる』ために戦っているのではないのか?
ところが,TVなどの商業ジャーナリズムの発達は,当然ながら勝者にスポットライトを浴びせる.甲子園に駒を進めた有名選手からはプロ野球に転じ,スター選手となる人も出てくる.指導者もまた甲子園優勝監督にでもなれば,マスコミに取り上げられ,引く手あまたとなる.弱小チームはともかくとして,ある程度実力のある高校なら,がむしゃらに甲子園を目指すことになる.ある県の代表校なのに,野球部のレギュラーは全員が他県からの野球留学組というようなケースも珍しくないらしい.おそらく,こうなれば,そのチームの監督は勝ち残るためには手段を選ばす,その分強い選手を選ぶのに必死になる.チームが甲子園で勝ち残る前に,選手にとってはレギュラー選手として勝ち残るのが課題である.かくして甲子園の優勝チーム9人(プラスアルファ)の勝者の影にはおそらく数十万人の敗者の姿かある.
別に私はトーナメント方式の高校野球を否定しているのではない.高校野球も教育の一環であり,しかも,最終的には1校の優勝チームとその他すべての敗北チームを決める競技であるなら,『負ける』ことの意味を教育することを大切にしてほしいと思うのである.これは,言うまでもなく『野球』やその他のスポーツにだけ言えることなのではない.
ひきこもりで相談に訪れる若者は真面目で,総じて優等生が多い.子どもの頃から,勉強もスポーツもクラスでトップグループだったという例が多い.勉強するなら東京大学を目指し,野球をすれば甲子園を目指す.その両方を目指していたという例もある.まあ,東京大学を目指すよりも甲子園優勝の方がはるか難関だから,とりあえず多くの若者は大学を目指す.大学なら東京大学に限らず,準優勝でも県大会突破でもそこそこに褒〔ほ〕められる.
しかし,これも最初に記したように,中学,高校を選ぶ段階である程度『淘汰〔とうた〕』されて行く.『淘汰』というのはある意味で選別であり,勝ち残りの道を閉ざされることである.しかし,大学に進学したら人生の勝負に勝ちが約束されるわけではない.多くの人は,それを素直に受け入れていくのだが,親や社会からある種のモチベーションを与えられ,大学進学だけが『人生の勝負』と志〔こころざ〕した人は,この己の敗北を許せなくなる.人はほとんど敗北して行くにも拘〔かか〕わらず,1回戦で負けてしまったり,一寸〔ちょっと〕したしくじりから1回戦にも出場できなかったことを人生の敗北のように考えてしまう.人生は1回切りのトーナメントなんかではない.勝ったり負けたりのリーグ戦は生きているかぎり続くのである.
(9月11日)