NPO法人 ニュースタート事務局関西

自分で自分が何であるかを決めた頃 – 1

By , 2002年9月12日 1:38 AM

自分が今何を書きたいのか,それははっきりと分かっているのだが,タイトルが決まらない,
それでこんな仮のタイトルを付けた.書き進んで行くうちに書きなおすかも知れないが,読者が今この文章を読んでおられるとしたら,多分書きなおすべきタイトルが最後まで見つからなかったのだろう.

今,私は『社会的引きこもり』といわれる青年期の≪社会的冬眠現象≫の問題に取り組んでいる.実践的にはそれを解決に導く方法は確立されつつあるが,その社会科学的な原因の解明や社会的予防の方法はまだ確立されているとは言えない.この問題に対しては精神科医やカウンセラーと呼ばれる人たちも関与しておられるし,私たちのような実践的活動による取り組みをしている
グループにも色々な立場や方法を取っている人たちがいて,何が真理で,何が正しい方法なのか,未だ解明されていない.
おそらく今の時点で私が言えるのは,社会的引きこもりといわれる一群の青年の中にも,大部分の青年に共 通の特性があるのは事実として,その周辺にもまた,さまざまな別個の状況を抱えた青年たちがおり,それぞれに精神科医による『治療』や,カウンセラーによる『癒し』,私たち実践派が勧める『体験』が有効であったり,または無効や有害であったりする場合があるのであろうということである.

『社会的引きこもり』とは,思春期の青年男女が学校という教育される側の環境から脱して(現実に脱しているのか,脱した後のわが身を想像して),社会参加する時のイメージが確立できず,家族の陰に隠れて身を潜ませている姿である.ある意味で自分自身による自分に対する『モラトリアム』(執行猶予)であり,『冬の時代』が通りすぎるのを待つ『社会的冬眠』でもある.
この『モラトリアム』という言葉を『社会的引きこもり』の説明に当てはめて見て,私は自分自身がある重 要な作業をし忘れていることに気がついた.『モラトリアム』とは,私が学生時代にある種の<怠惰>な学生生活を正当化するために使った『猶予の4年間』と同じ意味である.

確かにあの頃の大学生の不登校と,今の大学生の不登校は意味も動機も違う.あの頃にも下宿に引きこもって,講義やサークル活動にも顔を出さない奴らがいた.しかし,その人たちはは逆に卒業の時期が近づくと,単位を揃えて,リクルートスーツに身を包み,実に簡単に実社会に出ていった.それに引きかえると,私自身は7年半も大学に席を置きながら,ついに中途退学(除籍)させられ,文字通りの中途半端な人生を送ってきたのではない
か?実は私自身も『社会的引きこもり』ではなかったのか?

今の『社会的引きこもり』に比べると,その頃には家族の陰に隠れて無為に過ごせるだけの経済的ゆとりがなかった.孤高の精神のようなものから来る人間嫌いは結構いたはずだが,人間不信や対人恐怖は今ほどではなかったような気がする.だけど,社会システムに対する不信感はひょっとすると今以上に強くて,それが学生運動などの反体制運動にも走らせた.
私自身が,社会に出てどのように社会貢献すれば良いのか,イメージが掴めないまま留年を重ね,ついに中退 してしまった.だとすれば,それは今の引きこもりの若者たちと同じような心境であったのではないか.他人の引きこもりの支援や論評をする前に,自分自身の引きこもり体験を総括しておく必要があるのではないか?それを書くべきだ.

******************

ここまで書いてきて,これは相当に長い文章になるなと気づき始めた.いつものように『直言曲言』の原稿のつもりだったのだが,とてもその一本分の長さには収まりそうにない.分載するのも一つの方法だが,HP管理人のS.Oさんにそんな面倒をお掛けするのも気が引ける.
そこで『掲示板』に勝手に連載するという方法を思いついた.このHPはもちろん私の私的なHPではない.
まして『掲示板』はある意味で『公示板』である.しかし,私もHP主宰の一人だし,関西事務局代表も名乗っている.たとえ『公示板』であろうと『四条河原の落首』のように,私的な書き捨ても許されるのではないか?
HPにしても,掲示板にしてもその歴史はまだそれほど古いものではないし,使い方やルールが確立しているわけでもない.よし,掲示板に連載するぞ!

******************

そんな訳で,明日からぼちぼちと書きつづけます.毎日書けるかどうかは分かりません.また管理人さんに強制的に引越しさせられるか,削除されてしまうかどうかも分かりません.時間が経てば,見出しも上の方に引っ越して行き,皆さんの目障りにならなくなると思います.
もちろん,こんなもの読みたくないという人は無視してください.私小説を書くつもりではありません.あくまでも私の引きこもり論考のひとつです.

また『目障りだ』とか『やめろ』だとかの罵詈雑言を浴びせていただいても結構です.書き手本人に≪グサリ≫と突き刺さるような鋭い批評であれば本人が筆を折るかも知れません.そうでなければ私も無視して書き進めます.
2002.9.12
にしじま あきら

 

One Response to “自分で自分が何であるかを決めた頃 – 1”

  1. admin より:

    1へのレスポンス

    西嶋さん!中退者の文字を見ると心が疼き、何かしら私事について書いてみたいという衝動にかられてしまいました。
    西嶋さんの批評でもなく、このページを借りて書きすすめます。
    私も8年間の大学生活の末、中退者の仲間に加わりました。大学生活の中で、卒業論文も書き、2科目を残しての中退でした。
    もちろんそれを誇るつもりはありませんし、50歳近い今になってもそれを悔いることは何一つありません。
    大学入学と同時に父親が死に、自分で学費を工面しながらの大学生活は実に気侭なものでした。
    70年安保も終結し、現在の大学とほとんどかわらない体制が作られていった時代。
    大学で学ぶことは、ほとんど意味をなさず、自分であれほど熱を入れて読んでいた哲学書も大学生活の中で、さしたる意味を持たなくなってしまった。
    大学の8年の満期が来て中退となった。中退をしても、それまでの生活と何ら変わるところがない。
    当時、望めば、中退者であっても就職口はあったと思うが、大阪の西成で土方をした。
    土方仲間とサボって魚釣りをしたり悪ふざけをすることは、大学生活よりもはるかに面白いものだった。
    大学生活を送っている間は、おそらく社会的引きこもりの一員であったが、土方稼業になってからは、いきのイイ、型枠はずし工となったと思う。
    引きこもっていて、人生を悲観的に見ている人に、あえて言いたい。
    こんな私も、今は、ささやかな経営者の端くれになっている。
    と言って、潰れかけだから、たいしたものではないことを強調しておかねばならない。
    この度、17歳になる息子は、高校をやめた。
    一説には、この親が辞めさせたと囁かれている。おそらく事実であろう。
    鬱陶しい学校などには行く必要がない。こればかりは、断言できる。
    面白くもない学校での生活を捨てて、自由に、自分の人生を築いていく。
    ひとつの提言、新時代の家出のすすめかも知れない。
    大西 裕(2002.9.12)

コメントをどうぞ
(※個人情報はこちらに書き込まないで下さい。ご連絡が必要な場合は「お問い合わせ」ページをご覧下さい)

Panorama Theme by Themocracy | Login