直言曲言 第35回 「有料ですか?」
ニュースタート事務局関西の電話が鳴る.
「知人からそちらの電話番号を教えてもらって電話をさせていただいています」
たいていはそんな切り出しである.
「実は私の子どもが引きこもりで困っています.そちらは引きこもりについていろんなご支援をしていただけるところとお聞きしましたが,そうなのでしょうか?」
普通はこのように続く.
「はい,そうですが,どのようなご用件ですか?」
こちらは,少し冷たい印象を受けられるかも知れないが,こういうビジネスライクな受け答えである.そこで相手は「実は…」と話し始める.時間にゆとりがあるときは,5分か10分くらい電話で話を聞くこともある.
ところで私は,NPO法人の理事で,関西の事務局長をやっているが,これは本業でなく,別に仕事を持っている.平日の9時半から午後6時までは仕事中である.
電話を掛けてくる相手はそんなことはご存じないから仕方がないが,電話で延々と相手のご事情を聞いているわけにはいかない.
『大体のご事情は分かりましたが,こちらの活動のご案内は手紙で差し上げますから,ご住所をお聞かせ願えますか?会合に参加されたり,詳しいご相談は案内を読んでから,またご連絡下さい.』
と申し上げる.相手はFax番号か,住所を電話で告げ,こちらはメモを取るのだが,途中で相手はこんなことを聞いてくることが多い.
「ところで,ご相談したり,会合に参加するのは有料なのですか?」
と,これは一言で説明しにくい.
『ええ,有料でさせていただいていることも,無料でさせていただいていることもあります.とにかくご案内は無料で送らせて頂きますから,ご住所を』
と言うのだが,相手はためらっている様子で
「また,少し考えさせていただきますので」
と言って電話を切ってしまう.住所は途中までしか聞いていないので,案内の送りようもない.こういう電話は,たいていがそれっきりであり,二度と掛かってこない.事務局への電話の3分の1ほどはこのように切れてしまう.
言うまでもなく,≪有料≫か,無料かにこだわっておられるのは明らかである.ということは,他の≪相談機関≫に頼って≪法外≫な料金を要求されたことがあるのか,あるいは,そういう経験はないにしても,そういう懸念を抱いておられるのかである.
案内書を読んでいただければ,何が無料で,何が有料かは書いてある.例会の参加は親御さんや一般の大人は2千円としている.これは会場費や案内の郵送料などが掛かるので致し方ない.引きこもりの当人や無職の若者,学生は無料と明示している.鍋の会の参加は無料である.ニュースタートクラブは300円.個別面談を申し込まれれば,時間と金額を明示することにしている.手紙やFaxやメールでの相談は無料である.電話口でも,有料かどうか,金額を聞かれたらお答えする.すると
「NPOなのに有料なのですか?」
と驚く方がいる.
NPOというのは確かに≪非営利活動≫の団体という意味であるから,そこから提供されるサービスや物品は≪タダ≫と誤解されるわけだ.多分,国や自治体などが税金で運営しているところだという誤解があるのだろう.
無料で提供するサービスもあるにはあるが,すべてを無料では,やっていけない.善意の寄付やカンパ収入もある.しかし,担当者が私的に相応の時間や手間隙かけて提供するサービスには,相応の料金をご負担いただいている.正直に申し上げると,有償というように設定しないと,申込が殺到してご要望にお応えしきれない.
こちらからは事前に有償とお伝えしたつもりだが,ご本人はそれを見落としていて,面談終了後に「えっ,お金が要るんですか?」などと言われたこともある.持ち合わせがないのでと言われた時には,『いくらでもお志だけで結構ですよ』と申しあげることもある.先日などは,ちゃんと申し上げた金額をお支払いいただいたのだが,翌日電話が掛かってきて苦情を言われ,いただいたお金をそっくりお返ししたこともある.おそらく,ご主人に無断でご相談に見えて,帰宅して報告されたら,ご主人が『自分に無断で相談し,法外なお金を支払った』と問い詰められた様子なのである.
資本主義,市場経済の世界で,個人的なサービス受益には負担が伴う.引きこもりは個人の病気ではなく,社会病であると主張している私どもにとっても,難しい問題である.
社会システムの矛盾が引きこもりを発生させているとすれば,その『解決』のコストも社会的に負担されるべきかも知れない.残念ながら,政府や公的機関にもまだその自覚はない.いくら引きこもりが100万人を超えていると言われていても,あくまでもその発生は個別的であり,解決法もまた個人の選択に委ねられている.法によりその救済が義務付けられたりしない限り,営利法人であれ,非営利活動であれ,有償の活動がサービスとして購われるのは,今の所やむを得ないだろう.
ところで,私達は「引きこもりになるのは,親の責任ではない」と主張している.学校で学び,株式会社で働くという,教育や労働のシステム,家族が地域社会から孤立して,排他的な人間関係の中で子どもが育てられるという,現在の社会システムが,引きこもりを大量発生させている.
それを別の側面から見るならば,すべてを貨幣に換算し,商品として<売り買い>する市場経済のシステムが人間を疎外してきた結果だとも言える.
引きこもりが社会病であり,親に直接的な責任はないと言うものの,市場経済システムの社会で,経済優先,オカネ至上主義の考え方を取り,地域社会(コミュニティ)との交際をゆるがせにし,子ども達の友情を否定し,教育や福祉まで商品として買い与え,人間の価値を学校の偏差値や就職先の株価で判断するような育て方をしてきた大人達に,まったく責任がないとは言えない.
残念なことに,こうしてお金を最優先にしてものごとを判断してきた人ほど,個人的なサービス受益に対しては,無償であることや,価格が格安であることにこだわる人が多い.要するに,お金に対する執着がどこまでも付きまとうようである.
私達は,所得が低く個人的な負担に耐えられない人から,多額な報酬をいただこうとは考えない.仮に報酬や料金を設定していても,考え方としてはカンパとして,感謝しながら受け取らせていただいている.こちらの期待以上のカンパをいただくこともある.鍋の会は参加無料であるが,実は多くのお母さん方の奉仕労働により支えられているし,持ち寄っていただく食材や,調理品も無償でいただいている.鍋の会に無料で参加する若者たちが,こうした奉仕のシステムに,感謝の気持ちを持って参加してくれているのやら,時々心もとない気持ちになることもある.
有料か無料かというのは意外に難しい問題なのである.
NPO法人という<純粋?>であるべき法人の事務局長が,このように,お金の問題や有料か無料かなどという問題について論じるのは,誠に不適切であるかも知れない.
おそらく,そのNPO法人ですら免れ得ない『お金の呪縛』こそが,引きこもりの発生とそこからの脱出を困難にさせている≪社会システム≫なのである.
(1月23日)