直言曲言 第34回 「福 袋」
お正月のデパート商戦の報道を見ていたら,今年は福袋が大変な売れ行きだったそうだ.私自身は福袋というものを購入した経験がないが,少し前までは,わが家の娘達が毎年のように福袋を買っていたことがあり,だいたいどんな内容なのかを知っていた.金額は知らないが,セーターとかマフラー,手袋,それにブローチやイヤリングなどが入っていたようである.衣料品や装飾品などはそれぞれに趣味が異なり,自分好みでない品物に当たってしまうこともあるだろうが,わが家は娘3人姉妹なので,お互いに取り替えっこをしたりして,おおよその満足に至っていたようである.
もちろん,その品物の値定めも彼女らの重要な関心事あり,1万円の福袋に2万円相当の品物が入っていたとか,いや,私のは1万5千円くらいの価値しかないとかで騒々しい.3人姉妹で取り替えっこをしても,どうしても気に入らないものも残り,地味なセーターを「これ,お母さんに上げるわ」とか,中には男物のマフラーが入っていて「お父さんに」なんてこともある.こちらも別段欲しいものでないのだから,1万5千円とか2万円の価値とか言っても,結局欲しいものを単品でバーゲンででも買ったほうが得なのにと私などは思ってしまう.
<射幸心>と言うほど大げさなものではないかもしれないが,何が入っているか分からない,いくら得するか分からない,というのが福袋を買う魅力なのだろうか?
今年の福袋騒動を見ていると,福袋を売ったり,買ったりする動機が少し変わってきたように見えた.一つは,1万円の福袋には3万円相当の商品が入っているとか,あるいは商品名までが表示されているとか,内容が予め示されているものがあったようだ.また,袋そのものが透明で,内容をはっきり選別して購入できるものもあったとか.中には袋に入れて販売するのでなく『2002万円の住宅』とか『2億5千万円相当の宝石が1億円』とかという商品もあり,これのどこが福袋というのか不思議なものもあった.何万円相当とかの金額や品物に当たりはずれがないのだから,既に『射幸』というのにも当てはまらない.ただし,購入申込額が複数の場合,抽選ということらしく,そこに多少とも射幸心の余地が残されているらしい.
別に,射幸心を煽るものであれば福袋としての価値があるというわけでもないが,どうも不況続きの中で日本人のショッピング態度が,これは売るほうも買うほうもだが,変わってきているようだ.基本的な消費生活態度としては抑制型である.失業率が高まり,リストラの波が押し寄せている.一家の主人がいつリストラされて職を失うかもしれない.OL本人にしても同様であり,予想以上のボーナスをもらうことも,思わぬ昇給に出会うこともまずない.無駄なものはあまり買わず,レジャー支出も抑制する.
せっせと貯蓄に精を出しているのだが,長いこと消費社会の慣習に染まってきたのだから,消費=貨幣で商品を買う,という行為をしないとストレスがたまる.何処かでショッピングの衝動を満足させたい.しかし無駄な買い物をして損をするのは嫌だ.そこで『確実に得をする』ことが保証された買い物としての『福袋』が人気を博したのであろう.
住宅にしても,宝石にしても,それだけの代価を支払う能力のある人にとっては,2億5千万円のものが1億円ということは,2万5千円のものが1万円であるのと等価だろうし,驚くには当たらない.しかし,特別な宣伝効果を狙ったのならともかく,1億円で売れる物は当然,仕入れ価格は1億円以下であり,得をしたと思うのは錯覚に過ぎない.その意味では,売るほうも買うほうも,さもしい思惑であり,報道を見ていてあまり良い気分はしなかった.
私はどちらかと言うとギャンブル好きである.最近は,そうした射幸心が薄れてきたのか,単に忙しいだけなのか,ギャンブル場に顔を出すことは滅多になくなってしまったけれど,若いときは競馬・競輪・ボートレースから麻雀・パチンコ・宝くじまで,あらゆる賭け事で手に染めないものはなかった.ついでに懺悔しておけば,飲む・打つ・何とかも含めて三悪と言われるものも一通り体験してきたし,「飲む」だけは今も現役である.
ギャンブルの醍醐味と言えば勝負ごとであるから,勝つこともあれば負けることもある.だから面白い.負けるというリスクを引き受けなければ,勝つという僥倖に恵まれることもない.得をすることがはっきりと確認できる福袋などというものは,リスクのないギャンブルのようなもので,これでなぜ得をするのか分からない.また得をした気になるというのも分からない.
人間というものは,どうも貧しいときには危険を承知で,ギャンブルに手を出したり,富を手にいれようとして冒険をするようである.だんだんに貯えができたり,豊かになってくると,それはある意味で年をとり,老成してくる段階にも一致するのだろうが,保守的・防衛的になり,ギャンブルなどのリスクには近寄らなくなる.ギャンブル性の少ない福袋の人気は,ある意味で人々がある程度の裕福さの中で老成してしまったことの証でもある.
ギャンブルの話をしたが,株式投資とか商品相場などへの投資もギャンブルの一種である.
投資には,やはりリスクはつきものであり,最近のように大手企業でも突然,倒産や会社整理などの話が出てくると,巨額の株式も紙屑同然となる.価格は永遠に上昇を続けるという神話があった土地投資も,最近の10年以上続く地価下落で神話は崩壊した.
リスクが少なく,安全で有利な投資の一つと考えられていたものに『教育投資』がある.だが,不登校や引きこもりがこれだけ増えており,投資の途中で学校を中退してしまったり,投資が完了したはずの段階で,卒業しても就職しないケースも出てくる.投資を回収するどころか,株式投資で言う≪追い証≫(信用取引きの損失を穴埋めするための追加弁済金)まで取られ,元本割れや紙屑同然の投資結果となる.
そもそも,わが子の教育を投資と考えて,投資を回収しようという魂胆がさもしい話なのだが,こうした損得勘定に囚われている親は案外少なくないのである.あるいは,そうしたさもしい投資意識こそが,引きこもりの大量発生につながっている.
引きこもりや不登校の子を<正常>に復帰させようと,精神科医やカウンセラー,フリースクールなどに支払われるお金もある種の<追加投資>と言えるのかも知れない.
かくいうニュースタート事務局の会合への参加費や,さまざまな形でいただくカンパなども,そういう魂胆から無縁とは言いがたい.損得勘定に聡い現代人からすれば,その効用の見えにくい『福袋』を買わされる羽目に陥らされているのだが….
せめて,この追加投資は元本保証とは別の効用や将来の夢につながるように努力をしたい.
(1月16日)