NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第5回 「自閉する家族」

By , 2001年3月15日 2:32 PM

 引きこもりの若者の家族と話していると,家族の間の結びつき,特に,母と子の結びつきが非常に強いのが分かる.もちろんそれ自体は良いことなのだが,反面で,家族が殻を閉ざして外の社会に開かれていない.従って,このような家族で育てられた子どもは親と学校の先生以外の<大人>と接触した体験が極端に少なく,言わば,<大人>に対する<免疫性>を持っていない.これは,引きこもりの子どもを持つ家族だけと言うよりも,現代の核家族のほとんどに共通する傾向なのだろう.
  『昔は良かった』の類の話をするわけではないが,大家族が普通だった頃には,家には祖父母や若い叔父や叔母が同居し,近くに住む親戚がしょっちゅう家を訪ねてきた.近所の知り合いも上がり込んで酒食の宴が始まることも稀ではなく,子ども達も多くの人と触れ合う中で成長していったのではなかったか?
  ところがいつの頃からか,都市への人口移動が増え,団地やマンションが増え,核家族が増え始めた頃からなのだが,家族数は減少し,家に来客というものが激減した.訪ねて来るのは郵便配達かセールスマン,新興宗教の勧誘くらいであり,たいていは玄関口で対応し,座敷に上げることはない.来客の方でも,よほどの込み入った話がない限り,訪問先の玄関口で話を切り上げて帰る,というのが現代社会のマナーになってしまった.

 都市人口が増え,核家族が主流になった1970年代頃からは,家族の絆が強くなる一方で,来客というものはほとんどなくなり,家はまさに家族の城であり,都市の要砦のように外に対しては堅く扉を閉ざし,家族の<鎖国時代>が始まった.プライバシーは,個人というよりも,家族の秘密であり,守るべき恥部のようになった.家の中は暖かい代わりに,外の世界は冷たく『渡る世間は鬼ばかり』というのが,支配的な家族イデオロギー,人間観になった.今激増する引きこもりの若者は,こうした家族環境の中で育てられてきた.

 ところで,『失われた10年』と言われる1990年からの10年間に再度の転換が起きた.核家族の父親たちは勤務先の企業に忠勤を励み,<企業戦士><社畜>などと尊称だか蔑称だか分からぬ呼び方をされ,遠距離の通勤地獄に耐え,若いOLからは<化石>扱いされながらも,そこそこの給与とローン返済で消えてしまうボーナスを,<愛しの我が家>に運ぶだけを生き甲斐にして,働いてきた.ところが,思いもかけぬバブル崩壊,終身雇用のはずだった勤め先にもリストラの嵐が吹き,さすがに真面目一方だった父親も,わが人生の意味を問い直すようになり,休日出勤やサービス残業にさよならして,家庭生活に復帰しようとした.ところが帰ってみれば此は如何に,守ってきたはずの砦,暖かいはずのマイホームには寒風吹きすさび,妻は<奥>様ならぬ<外>様で,自分のボーナスが減り,生活を守るためのパートタイマー出勤に文句も言えず,せめて希望の星と頼んだわが子は不登校で引きこもり,ましてや,外に対しては閉ざしてきた戸締り用心火の用心の自閉家族だから,ご近所に親しい人もいるわけはなく,日曜日のお父さんは,企業社会からも地域社会からも家族からも切り離された,ひとりぼっちである.

 まあ,ことほど左様ながら,お父さんのことはどうでも良いわけで,斯くのごとき閉じられた家族は,子どもの育つ環境としても,はなはだ具合がよろしくない.父親は,これまでは仕事一辺倒で教育のことは母親任せ,母親も成績のことばかり気にするが,子どもの気持ちを慮るゆとりはなく,学校任せの塾まかせ.
  閉じられた核家族と地域社会の中で,競争至上主義に毒されてしまえば友達は皆ライバルで,子どもには親友と呼べる存在など,いない.渡る世間は鬼ばかりなのだから,他に頼りになる大人とてなく,引きこもらざるを得なくなるのは当然である.

 引きこもりにも治療法と予防法があるが,予防法の第一は閉ざされている家族を<開く>ことである.

 今までシャットアウトしてきた他人を積極的にわが家に入れてみよう.隣近所の子どもであろうが,大人であろうが,犬・猫・小鳥も出入り自由にして,訪問客も大歓迎.だんだんと家族のプライバシーなどなくなるが,そんなことはお構いなし.
  プライバシーをなくすなどと言うと,前近代的な生活のように思うかもしれないが,プライバシー保護が<近代>だと考えていたのは錯覚だと分かるのに,時間は掛からない.今まで大切だと思ってきた家庭と外部との仕切りを取ってみれば,『わが子だけは良い大学に入れて,良い会社に入って』という<排他的幸福感>など雲散霧消し,若者本人にも引きこもる理由など見つからなくなる.

 <予防法>と言ったけれど,実はこれは<治療法>にも役立つ.膠着してしまった家族の中で,引きこもりを解決するのはほとんど困難である.第三者の介入が必要で,その試みがNSP―ニュースタートパートナー(レンタルお兄さん,お姉さん)なのである.言わば,閉じられていた家族の中に他人を迎え入れて風通しを良くする.固有の文化を堅持して鎖国していた家族に異文化を持ち込むのであるから,もちろん衝突は生じる.<家族を開く>のは,明治の開国と同じ,<維新>である.
(3月15日)

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