NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第4回 「受容と拒絶」

By , 2001年3月11日 2:29 PM

 昨秋以来,久米宏氏のニュースステーション,NHK人間ドキュメント,筑紫哲也氏のニュース23など,注目度の高い番組でニュースタート事務局の活動が取り上げられた.
  視聴者から問い合わせの電話が急増するが,同時に,著名人らが番組を見て発言をしているのも見逃せない.近頃はTV時評家になっている吉本隆明氏もニュース23を見ていたらしく,文学者や哲学者の青年時代を示唆しながら「青年期に引きこもるのは悪くない」と書いている.昔,愛読した老大家の発言に噛み付く気はないが,どうもコタツに入り,TVを見ながらお考えになったようで,引きこもりの実態をご存知とは思えない.引きこもりの本人に言ったり,親がわが子に言う,吉本氏ならさしずめ<ばなな>さんに言うのならそれでも良いが,TV時評で世間に向けてこんなこといわれても,この人の理解力はこの程度かと思うだけである.

 TVの影響もあるだろうが,大学で心理学を勉強中の学生や,心理療法士の資格取得を目指して勉強中の主婦などから,ボランティアの申し入れが増えている.もちろん熱意と力のある人なら大歓迎である.また,わが子に引きこもられた母親なども心理学のにわか勉強を始めて,子どもの心理を洞察しようと試みる.勉強することに反対はしないが,大学で単位を取ったり,資格を取ったからと言って『自分は専門家だ』と錯覚されるのには困りものである.

 不登校や引きこもりの相談機関の数は,大都市圏では少なくないのだか,その多くが心理学の手法を奉じて,『本人の気持ちを受容して,立ち直るまで気長に待つ』というのを<指導方針>の金科玉条にしている.こうした相談機関のお世話になりながら,数年間も状況がまったく改善しないのに痺れを切らし,<違う手法でやるらしい?>ニュースタート事務局に駆け込んでこられる方も多い.

 私たちも,『受容する』ことや『待つ』ことをまったく否定している訳ではない.おそらく,中学生や高校生の不登校では,そのことが重要であるといえる.しかし,大学生の不登校や成人者の引きこもりでは,『受容』とはまったく正反対の『拒絶』や突き放しといった対応も含めて検討しなければならない.

 子どもが引きこもり始めた初期には,母親はたいてい,その理由に気がつかず,怠けやずる休みだと思い,叱りつけ,励まし,尻を叩く.
  そのことが逆効果だと気がつき,幼いときから勉強や競争を押し付け,無理な上昇志向に追い込んで来たのが原因だと目星をつけると,一転して『わが子が引きこもったのは自分のせい』とわが身を責め,子どもに対しては<受容>一辺倒になる.
  子どもの方でも,母親が自分の非を認めたのに嵩にかかって,『自分の人生を台無しにしたのは親のせい』と,引きこもりを正当化する.こうなったら子どもの方では,引きこもりからの脱出は望んでいるものの,そのための努力は意識の表面から退場し,日々無為に過ごすことに安住するようになる.引きこもっていることが最も快適であり,そこから脱出しようとすることには苦痛を伴う.いわば引きこもりの<安定期>である.これを<受容>したり,長く待とうとするのは結果的に引きこもりの長期化につながるのは明らかである.

 大学生の不登校や20歳を過ぎた引きこもりで長期化している場合には,拒絶や突き放しを含めた戦略を考えるべきである.大学生の不登校の場合,親は当然復学や卒業を望んでいるのだが,子どもにしてみれば,親がそれを望んでいる限り<身分>(休学中あるいは無駄な授業料が支払われているという身分)は安泰である.
  不登校状態を解決するには,退学させるべきである.乱暴な言い方のようだが,それで<不登校>問題は解決する.本人が自発的に大学に行きたくなれば,多くの私学では一旦退学しても復学は可能だし,新しい大学に再入学する方法も残されている.

 機械的に勧めているわけではないが,20歳を超えて長期化している引きこもりには,自宅からの追い出しや小遣い(生活費)の提供の打ち切りを勧めることもある.強硬手段であるが,少なくともそれで膠着状態から脱出した事例は多い.引きこもりからの完全脱出につながるかどうかは,本人の対応と次の手段が有効に打てるかどうかにかかっているが,3年も5年も本人は言うまでもなく,両親までも憂鬱な引きこもりに耐えているよりは,はるかに常識的で健康な手段だと考える.心理学的には<非常識>であるとしても,20歳を過ぎた<大人>を親が抱え込んでいる方が,社会的には非常識であり,親自身がその非常識に気づいていないことが多いからである.

 そもそも,人が人の人生を100%,全面的に受容したり,背負い込んだりすることは不可能である.多分,母性だけが子どものために自分の人生を賭けても悔いがないと思ってしまうのだろう.子どもが中学生くらいまでは,この母性の存在はかけがえのないものである.成人した子ども,独立した人格,ある意味で既に他人である人格に対して,所有物であり,同一人格であるかのような錯覚を持ちつづけているのは<異常>であり,<迷惑>ですらある.親がこのことに気づきさえすれば,引きこもりの若者を追い出すことも,兵糧攻めにすることもないかも知れず,あるいはそもそも,引きこもりになどさせなくて済んだのかも知れない.

 <子離れ>は簡単なようで難しい.しかし,そのことによって,引きこもりの若者が<親離れ>ができるようになったら,即ちそれが自立であり,引きこもりからの脱出なのである.
(3月11日)

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