NPO法人 ニュースタート事務局関西

直言曲言 第3回 「引きこもりとコンビニ」

By , 2001年3月6日 2:26 PM

 私が初めてスーパーマーケットというものを見たのは,昭和30年代の中ごろだった.大阪市の南の著名な貧民街で育った私は,子どものころから,母親に命じられて公設市場への買い物に行き慣れていた.貧しい人が住む地域特性だったかも知れないが,まだ醤油も味噌も米も酒も,量り売りが主流だった.

 あるとき,商店街の中のスーパーマーケット『イズミヤ』の売り場に紛れ込んだ私は,そこに並べられている果物や缶詰,瓶詰めの類の,色鮮やかさに圧倒された.まるでアメリカ映画の中に出てくる食品売り場のようだ,と思ったのが正直な感想で,変な言い方だが,『世の中には豊かな物資があるものだ』,と感銘してしまった.
  後で調べると,あのスーパー『ダイエー』が大阪の千林に1号店を出したのが1957年(昭和32年)というから,世の中にスーパーマーケットができてから既に数年が経っていたようである.まさに高度経済成長の始まりの頃であった.年表を見ると『セブンイレブン』の設立が1973年とあるから,コンビニエンスストアが見かけられるようになったのは,この頃からだろう.高度経済成長が一応の頂点に達し,オイルショックという障害にぶつかった頃である.

 私は公設市場で育った世代だから,何でも袋詰やパッケージで売っているスーパーマーケットやコンビニになじめなかったが,1970年代に結婚して世帯を持ち,ニュータウンで暮らすことになったので,スーパーでの買い物は週末の欠かせない行事になった.
  コンビニの方はと言うと,割高で品数が少なくお菓子類ばかり売っている,という印象を持っていて,つい最近まで利用したことがなかった.
  ところが年を取ったせいか,出張で旅に出たときなど,夜遅くまで飲み歩くことがなくなり,知らない町のホテルに泊まったとき,近くのコンビニを利用するのが便利だと知るようになった.少々のアルコールと缶入り飲料,おつまみの類を仕入れておくと,深夜になっても退屈しなくて済む.これは,海外旅行のときも同じで,と言うよりも,言葉の通じない外国ではなおさらであり,あの,日本でもおなじみの,店員と言葉を交わさなくても買い物のできるシステムは,<すこぶる>付きの便利なのである.

 中国を旅行したとき,ある町で何の店だが分からない商店を見ていると,看板に<超級市場>とある.これが<スーパーマーケット>だということを理解するのに,私は約30秒ほどかかった.その後,やはり中国で初めてコンビニを見つけたときは,これは分かりやすかった.店舗のデザインが日本で見なれているローソンと同じだったからである.
  この上海の郊外で見かけたローソンは,店の中も並べられている商品も,日本とほとんど同じで,おにぎりや缶入り飲料やお菓子の類が,陳列の仕方もほとんど同じように並んでいた.レジの横にガラスケースが立っていて,豚まんを保温しながら売っている.あれは,日本では<中華饅頭>とも言うが,上海では<日式饅頭>と表示されて売られていた.

 そろそろ本題に入らないと叱られそうだが,コンビニエンスストア=CVS=コンビニは引きこもりの若者の生活にとって欠かせないものである.
  引きこもりで対人恐怖の若者の多くは外出することを嫌う.近所の人目を気にするため,外出するとしても深夜に限られる.スーパーやコンビニはセルフサービスだから,店員と話をしなくても買い物ができる.しかし,深夜にはスーパーは開いていないし,コンビニだけが頼りである.引きこもりでなくても,昼夜逆転しているような単身の若者にとって,世の中にコンビニというものがなければ生きていけないのである.コンビニにも行けない若者はいる.あるお母さんは『うちの子は深夜に自動販売機でなら買い物ができる.せめてコンビニで買い物ができるようになってほしい』と言う.
  引きこもりとコンビニの相互依存関係は非常に強力だが,引きこもりの若者が増えたのをコンビニや自動販売機のせいにするつもりはない.せいぜい,援助交際が増えたのとテレクラやツーショットダイヤルなどの流行との因果関係程度のことである.

 ところが,コンビニの隆盛と非常に確かな因果関係があると思われるのは,家族の解体である.コンビニだけでなく最近はスーパーでも売っているが,お弁当や一人用のおかずパックなど,コンビニに置いてある商品からは,家族の匂いがしない.しかも,深夜にそれを買いに来る若者を見ていると,家族を失った孤児のようなさびしい影を引きずっている.

 もちろん,コンビニがこれだけ全国を席捲するようになって,今さらこんなことを言っても始まらないが,共食共同体としての家族の崩壊が目に見えてきたのが,コンビニが増え始めた1970年代の始めだった.
  高度経済成長の初め頃は,むしろ,まだ貧しいながらに核家族の団欒を楽しむ風潮が残っていた.成長がある種の到達点にまで来たとき,家族が一人一人の行動を主張し始め,家電から個電へ,共食から個食へ,と家族の解体が始まった.食事を共にすることによる家族の人間関係は廃れて行き,むしろそれに遅れて,株式会社の中での人間関係を確認する儀式であった<宴会>も,1980年代に入って急速に廃れて行った.

 最近,ニュースタート事務局関西では鍋の会を始めた.スーパーやコンビニでは一人用の土鍋が良く売れているという.鍋の会はスーパー大型土鍋を使っている.
(3月6日)

コメントをどうぞ
(※個人情報はこちらに書き込まないで下さい。ご連絡が必要な場合は「お問い合わせ」ページをご覧下さい)

Panorama Theme by Themocracy | Login