直言曲言 第2回 「20代無職について―フリーターへ送る―」
「20代の無職が増えている」と聞けば,不況で就職氷河期だから,若い人も気の毒に」,と応じるのが普通だが,今や見当違いである.失業やリストラの問題とは違う,新しい労働問題が発生している.ただでさえ少子化による将来の労働力人口の不足が心配されているのだが,このままでは財政崩壊の上に,所得税の納税者も,年金や医療保険,介護保険の負担者も,どんどん減って行くだろう.
今,若者は高校や大学を出ても企業に就職しようとしない.あるいは,就職した会社を1年も経たないうちに辞めてしまって,フリーター生活を送る.将来の生活安定のために,と親たちが懇願しても通じない.彼らは就職を希望していないのだから失業者でもない.中高年には,学校を出ても働かないというライフスタイルが理解できない.
しかし,考えてみれば,大多数の中高年が働いているのはまさに生活のためであり,お金のためであって,生き甲斐,働き甲斐のために働いている人がどれだけいるだろう.豊かな社会の中に生まれた現在の20代若者たちに,なぜ会社にいるのか?,会社で働く価値があるのか?,と問い返されたとき,どう応えるのか?彼らは働くのが嫌なのではない.ボランティア活動や自分の納得した仕事なら,無給でも低い報酬でも,積極的に参加しようとする.
かつてはJapan as No.1と称えられた日本の繁栄をリードしてきたのが,株式会社である.今や,倒産や買収,合併を繰り返す大企業,公的資金で支えられている銀行,会社ごと売りに出されているようなベンチャー企業.不祥事隠しを暴かれ,大企業経営者もマスコミで揶揄される.働き者の父親もリストラで戦々恐々としていて,最早『一流大学に入って,一流企業に就職しろ』とは言わなくなっている.若者たちは株式会社を終身雇用先として信用しなくなっているのである.
厚生労働省によると,1997年にフリーター人口は151万人(『労働白書』),最近の民間企業調査では344万人であるという.これは深刻な問題になっている失業者の総数に匹敵する.つまり,見かけ上の失業者の2倍の人たちが,望むべき職業に出会っていないのである.
『働かざるもの食うべからず』とは言うが,現実の世の中には配当生活者もいれば,不動産賃貸で豊かな生活をする人もいた.それが最近では,株価の下落や不動産の値下がりで安穏としていられなくなってきている.一方で,貧しくても働こうとしない,少なくとも,企業に終身を委ねる『定職』には就かず,フリーターで自足している若者もいる.フリーターの大部分は《良い条件の就職先がないから》と言うのが実態だが,中には《フリーターで良いじゃない》とか《フリーターのどこがいけないのか?》と開き直る豪の者も少なくない.ある意味で私はこの開き直りに共感する.
しかし,敢えて若者達に問う.開き直っているだけで良いのか?
マルクスは資本家と労働者の<階級>的対立を指摘した.今やその資本家も企業経営に汲々とする産業資本家と,その上にカジノ資本主義に暗躍する金融資本家との対立を生み出した.リストラに脅える労働者も,労働予備軍としてのフリーターとの間に,矛盾を抱えようとしている.実は企業にとって,大量のフリーターの存在は,安価な労働力をスポット買いできる便利な存在である.スラムの失業者たちが安価な待機労働力として活用されたように,フリーターも温存され,差別されている.
君たちはそのことを自覚しているか?
私たちの世代も,フーテンやプータローなどと蔑まれ,開き直った若者時代を共有してきた.フリーターをひとつの風俗として,時代は飲み込もうとしている.決して飲み込まれ,流されているだけではいけない.フリーターや20代無職にもつながる不登校,引きこもり問題への対応を通じて,『学校ではない学びの場,株式会社ではない働きの場』を作る必要性を感じている.
フリーターとして現代の企業社会へのアリバイ(不参加証明)を主張するのは良い.もう一歩進めて『株式会社ではない働きの場』づくりに積極的に参加するべきでないか?
(2月28日)