NPO法人 ニュースタート事務局関西

「テレビ野球観戦」髙橋淳敏

By , 2023年3月18日 7:37 PM

テレビ野球観戦

現在WBCなるものが開催されている。あれは野球とは言わずベースボールというのか、その野球という競技かスポーツの観戦生活に一家言ありそうなので、書いてみようかと思う。2年前に他界した団塊世代だった父親は、関東出身で根っからの巨人ファンであって、家のテレビでよく野球観戦をしていた。平日はほとんど仕事で家にいないので、野球を見る暇もなかったと思うが、毎日朝は新聞で結果やなんかを確認して(他の欄はろくに読んでいなかったんじゃないだろうか)、日曜日の夜には決まって19時前からソファーに寝転がって肘をつき片手で頭を支えながら、ああだこうだと言って、テレビで野球観戦をしていた。文句は言っても江川投手が好きだったようで、投球ホームをまねしてみては、斜めからではなくもっと頭上近くから振り下ろすのだと、合っているのかどうかも分からないが教えてもらったこともある。そんな私は野球を観ることに、関心はあまりなかったが、友達との遊びなんかで、できるだけ速く正確に球を投げることとか、野球漫画は読んでいるような子どもであった。野球をやったことはあるが、観ている時とも同じで、なんか間延びのする競技だなあと思っていた。守備をしている時はピッチャーやキャッチャーでもないなら、球がこなきゃ暇だし、打つときは自分の番すらなかなか回ってこない。チーム対抗であり、チームプレーとは言うものの、駅伝のようにそれぞれが役割をこなして、はいっ次!とバトンタッチするようなところがあって、プレーしていて思うのは待たされている時間が長い。そういえば、父親は駅伝も好きで正月は必ず観ていた。観戦もそうだが、それを「待たされている」と思うような自分は、たぶんこの競技に向いてもいなければ合ってはないだろうなと漠然とは思っていた。「チームとしての一体感とはいうけども、どういうことなんだろうか」とか、野球をしている間にも考えてしまうのだった。バットやグローブやら、ベースやらなんやらと、準備する物が多い競技でもあった。
関西に住んでいた時期が長いせいか、親が巨人ファンであるのがなんとなく恥ずかしくて、といって阪神を応援する気にもならなければ、その時代たまに巨人に勝つこともあったあまり目立たない別リーグの西武ファンにでもなろうとしたけど、野球の面白みをあまり感じず、ニュースでハイライトだけを観ては、いったい自分は何を確認しているのだろうかと不思議に思ったりもした。でも、父親やその世代は私が観ているよりも何か特別な思いで、それぞれの球団や選手を応援しているように見えた。アメリカから輸入されたスポーツをなぜ?これが占領されるということなのか?とか。それがなんなのか分からなかったが、大人になるということは、そんなこともあるのかと感じていた。平日も休日もゴールデンタイムと言われるような時間に、チャンネル数の少ない日本の民法やNHKもこぞって中継し、野球はその試合内容をすべて届けるに値するコンテンツであった。巨人や阪神がメインだったが、一日に2試合4チーム、多いときは3試合もテレビ中継されていることもあった。毎年のようにしてドラフトやら、推定年俸やらが発表され、その度に選

手は記者会見があり、年俸1億円を超えては「お気持ちは?」なんてインタビュアーから聞かれて、選手もまんざらではなさそうだった。そしてサラリーマンであった父がなぜか、自分にはできないからかそのような選手なのか球団経営に思いを寄せていた。甲子園だとか東京ドームへ観に行くこともなく、野球の試合観戦というよりも球団とか選手の物語を追いかけていたのだろう。私の同世代的に現れたイチロー選手は、良くも悪くも「野球」を変えた。注目されていなかったパ・リーグの選手でもあって、チームプレーというよりも個人技でとにかく一人塁へ出続けた。派手なホームランとかではなく、与えられた自分の役割を問題なくこなす姿はスマートなベースボールではあったが、こういう選手を野球ファンは素直に喜べるのだろうかと。すぐに阪神大震災があり、「がんばろう神戸」という標語を腕に入れ、振り子打法で球団を優勝に導き、一世を風靡した。そして、彼はすぐに大リーグへ行くのだった。
そういうイチロー選手を羨望のまなざしで見ていたような人もあったが、野球世代で自らもアメリカに留学したこともある父親なんかは、どのように思っていたのかわからない。依然、長嶋だとか江川にこだわっていたように思わなくもない。日本人選手が大リーグに行くようになり、サッカー人気も出てきたからか、野球のテレビ観戦は廃れていった。以前よりは中継しなくなった。だけど、晩年の父親は何故か母親と阪神を応援していたようだった。母親もそれまでは野球なんてあんまり知らなかったし、むしろ嫌っていたようなところもあったはずなのに、父親と一緒にああだこうだ言いながら、二人にぎやかに阪神を応援していたと聞いた。闘病しながら、二人リビングで、野球観戦をしていた。父親がベットから動けなくなる直前、阪神の試合があるからとリビングに行く父親を介助した。そこで観た試合は阪神戦でもなく巨人戦でもなかったが、父親はソファーに腰かけて観るとも観ないとも言えないような表情で、少しだけテレビに顔を向ける時間があった。私はまだその時になっても、希望を持っていた。だけど、それが父親が歩いてリビングに来た最期になった。私がやってきたテレビでの野球観戦生活はこのときに、終わったことを知った。今のWBCでは、そのような野球観戦はもうできないと思う。

2023年3月18日 髙橋淳敏

3月鍋の会報告

By , 2023年3月13日 10:19 PM

 3月12日(日)鍋の会参加は6名でした。この日はきのこをたくさん差し入れしてくれた方がいたので、きのこ鍋に決まりました(^^)きのこには鶏肉がいいだろう。味はみそ鍋がいいだろいと、想像しただけでも美味しいです。他の野菜や鶏肉を買いに行く間に、ご飯を炊いておにぎりを用意して、買い物組が帰ってきて野菜を切って、今回も麺を手作りしてくれたので下茹でしてお鍋も出来上がりました!おだしは昆布だけでしたが、きのこと鶏肉とお味噌で美味しいお鍋ができました。差し入れに高槻の地元の酒蔵でゲットした酒かすと、フルーツがたくさん入ったヨーグルトなど、デザートまであって嬉しかったです。次回はお花見鍋会です!今年はもしかしたら桜が散っているかもしれませんが4月9日に開催します。持ち寄りになりますので、手作りでもお勧めの一品でも甘いものも大歓迎ですので、みなさまからの持ちよりをお待ちしています。(くみこ)

2月例会報告

By , 2023年3月5日 7:53 PM

 2月18日(土)の定例会、参加は10名でした。(内4組の方がご家族)
 冒頭は、この引きこもりを考える会という定例会を始めたころの話。1998年頃、勝ち組負け組などと言われた競争社会の中引きこもった人たちは勝とうとする人ではなかった。20年以上前のその頃引きこもった人たちの心の中と今10代で引きこもる人たちの心の中はどう違うのか。以前と違って、「良い大学→良い企業への就職」という価値観が絶対的ではなくなってはきているはずだ。そうがんばっても変わりはないというような無気力な感じもあるのではないか。
 皆様の話からは、離れて暮らしているがその場所で一人で引きこもるという話は少なくはありません。そこでは少なくとも家で引きこもるよりは他人との関りがゼロではないはずです。コンビニでもネット注文で宅配を受け取るにしても最低限の他人との出会いがあり、そこにはもしかすれば何か事故的にでもコミュニケーションが必要になるかもしれないというチャンスが潜んでいます。なので一人で暮らす意味はあるはずですが、その時に他者と本人との間に親が入ってしまうことはもったいない。本人の前に立ちはだかって外の刺激から守るのではなく、本人の後ろに立ってたとえ傷つこうが外へ押し出すことが親のできる唯一と言っていいくらいの事ではないでしょうか。
 引きこもる人は学校や社会に適応しすぎる。だからそれが出来なくなるくらいならもう学校には行けないとなってしまう。みんなの前で逸脱できること。これは真面目で人の気持ちを想像できる子にとってはとても難しいことだろう。そのためには逸脱しても、そのままでいいんだよと言ってもらえる安心できて自信を持てる環境が必要。それは自分が今よりもっと良い状態にならないと出ていけない場ではなくて、そのままでいい場でそこに集まる人たちだ。ニュースタート関西で毎月開催している「鍋の会」はそんな場でありたいと思っています。初めての方でも大丈夫ですので、ぜひご参加ください。(くみこ)

3月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2023年2月19日 10:00 AM

3月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

3月18日(土)14時から (288回定例会)
場所:クロスパル高槻 5階 視聴覚室
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
【高槻市青少年センターと共催で行っています】

「自立カレーレシピ」髙橋淳敏

By , 2023年2月18日 2:00 PM

自立カレーレシピ

親元から離れて一人暮らしをしてすぐに、実家ではほとんどする機会のなかった料理を、初めてした夜のことを覚えている。袋に詰められたままの塩と砂糖くらいしか調味料もなく、買ったばかりの真新しいフライパンに、生でも食えるのだからなんとかなるだろうと、テキトウに切った野菜を、狭く暗いキッチンの一口コンロで炒め物をした。だけど、野菜を大きく切りすぎたせいで、炒めても炒めても野菜には火は通らないし、調味料でごまかそうにも味が濃くなるだけで食えたものではなくなってしまった。捨てるのには忍びなかったので、腹も減っていたし、水を加えて煮てしまえと、目をつむって、この料理は元から煮物だったことにした。機転が利くとはこのことだと、一瞬でも褒めた自分を恨むほどに、いかんともしがたい煮物ができあがった。フライパンの中で、ゴロゴロとお湯に浮かんだ野菜たちを眺めながら、こんな状況は今まで遭遇したことがないな、さてどうしたものかと途方に暮れた。そこへ、これまでに作ったことのある数少ない料理の中で、数えるくらいだが使ったことがあるカレールーの存在を、どこかの記憶から掘り起こした。ああそうだ、あの万能の塊みたいな奴をここに投入すれば、万人受けするカレーという料理になるではないかと、急いで部屋を出て、まだ馴染みのないスーパーへと急いだ。揚げ物などの匂いに誘われながらも、カレールーの箱の背表紙の作り方の絵を見たときは、まさにこれまでに私が苦闘してきた手順とほとんど同じではないかと、パッケージングされているが、まだ見ぬ茶色の塊に運命すらも感じながら、握ることもできずどうにも収まりがつかない箱を指で挟んで片手に、レジの列へと並んだ。部屋のドアを開けるや否や、その箱を破るようにしてルーを取り出して、玄関すぐ横にあった煮え汁に投下、三たび火を入れる。ここにきてライスの存在を忘れていたことに気がついたが、そんなことは最早ご愛嬌でしかなかった。何を作ったらいいか分からない時代はとうに過ぎ、米を洗えと言われて洗剤で米を洗った者がいたらしいが私はそんなへまはしないと誓いながら、カレーを煮ている間に、中古で手に入れた炊飯器に洗米をセットした。これで万事が上手くいくはずだ。そして、これこそが料理の醍醐味と言われていると思った、待ち時間だった。だが途中、待ちきれずフライパンの中身をちょっと味見をしてみると、煮物の時代の塩と砂糖が効いているせいか、絶妙にまずい。これはまた、いろんな意味でまずい。調整のつもりで水を足すと、ルーが薄まって胡麻化しただけで、これまた不味くなった。ああまずい。テーブルに出されたものは、すべて平らげてきた好き嫌いもない人間だが、店でこのカレーが出てきたら、うまいまずいよりも、「一体この店はカレーの中に何を入れているのだろうか」という不信感で、食べきる自信がない。だけど、何が入っているかは、自分で作ったので分かる。不味いが食べ物だという自信はある。新生活でこれが生ゴミになってしまうのは、またいろいろと困ることが多い。今の時代なら「カレー失敗」とでもググれば、この他の対応も出てくるのかもしれないが、なにぶんインターネットもない時代だ。これ以上の失敗は無理だと観念して、炊けた米に遠慮がちに、フライパンの中の野菜炒めのカレー煮込みをかけて食べたら、それが私にとっての解放の味だったというお話。

以来、30年弱経つが、私は誇張でもなくカレーを作った回数は、千を優に超えている。いろんなレシピを参照し、たくさんの人にも食べてもらった。ちょっとした失敗もしたことはある。だけど、この時に作ったカレーほど不味いカレーを作ったことはないが、この時に作ったカレーに勝るような経験はしていない。そして、たぶんこれからもないだろう。「自立」と聞くと、人はいろいろと準備をしたがる。今風に言うと、リスクを避ける。親が、子どものために自立の準備をする。マニュアルだとかレシピだとか、学歴だとか資格だとか、就職先だとか所属先だとか、マンションだとかアパートだとか、家電製品だとか寝具だとか、あとはお金とスマホがあればなんとかなると、自立を考えている。でもそれは明らかに間違いである。自立にとって必要なのは、今までの生活からの解放であり、たくさんの「失敗」である。失敗はしないに越したことがない?失敗は成功の元?いや、そんなことはない。失敗こそが、人生ではないか?生きた心地や、豊かさは、失敗のできる環境にある。子どもは、何度も転んでは親とは違う立ち方をする。だから、今の時代、一度失敗して家に戻ることになったとしても、親に飽きられても、何度だって家を出ていけばいい。何度でも何度でも、家を出て行って、失敗して、人生を豊かなものにしよう。

たいがいのことは、自分でできる。若いとはそういうことで、多少の無理はあっても自分でできてしまう。もちろん自分でできないこともたくさんある。自分ができないことは、他にもできない人がたくさんいる。そして、そういう仲間と協力してやれば、これまた、たいがいのことは自分たちでできるようになる。そのようなとてもいい時期を、今の日本の社会は学校などでやり過ごしてしまう。将来、「自分だけ(自分の子どもだけ)」が上手く生きていけるように、マニュアル組織に順応するための「教育」が、生き生きしているはずの子どもたちを管理している。親や大人たちも「管理」された子どもたちに依存した生活を送ることになる。あるいは、子どもたちは自分ができないことをお金や親の欲望に依存することで解決する。それは、親も子も大事な経験を失っていることであって、失敗を奪っていることは、子どもや自分たちの生活を大いに損なっているという自覚くらいはすればいい。子どもは親や大人たちがの思うように生きない。現に、子どもが家に引きこもれば、親はそのことを良く理解できるはずだ。もう、諦めた方がいい。今までの生活スタイルが崩れていくことを、自らの生の豊かさだと笑い飛ばせばいい。人生に意義があるならば、成したことよりも、失敗した経験にあると、そう思わないか?

2023年2月17日 髙橋淳敏

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