NPO法人 ニュースタート事務局関西

vol.12 引きこもり時事通信 Dec~Jan in 2014~2015

By , 2015年1月20日 10:00 AM

引きこもりにまつわる、興味深い、気になる、疑問を持つ・・・etcのニュースをご紹介し、解説、感想、場合によってはツッコミ等を付記するコーナーです。(栗田)

 

☆高齢者のための子育て相談支援は誰がやるの?
http://blogos.com/article/103342/
2015年01月13日 01:04 工藤啓
わが子が何歳であっても、親にとって子どものことは何とかしてやりたいというのが親心であり、それは「子育て」であり続けるようです。もう何年も前から高齢化するひきこもりの問題は一部で指摘されています。ひきこもり問題にかかわるひとたちにとっては「常識」かもしれませんが、問題そのものが社会化されているとは言いがたいのではないでしょうか。
DIAMOND ONLINEでも「高齢化する引きこもり親子の行く末か 45歳息子が80歳母親と無理心中の背景」といった記事が出されており、大変痛ましいものではあるが、特別な家族の話として終らせていいものなのでしょうか。
厚生労働省のウェブサイトには政策レポートから引用したひきこもりの定義が掲載されています。
「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」を「ひきこもり」と呼んでいます。
出典:厚生労働省
この定義を前提と考えると、窓口に直接当事者がひとりで相談に来ることは難しいと推察されます。もちろん、6ヶ月以上、家族以外のひととかかわらずに自宅にいたひとのなかには相談窓口に行くことができるひともいるかもしれませんが、公的機関とはいえ、さまざまな事情が複雑に絡み合っている自身の現状を、相手を信頼して開示できるひとは稀だと思います。

だからこそ、公民に限らず、相談窓口はご家族の方や関係者などにも開かれており、ご家族向けのグループワークや家族会のようなものを開催されているところもあります。

そして話を高齢化に戻すと、やはり、さまざまな調査では、ひきこもり問題の高齢化は顕著に出てきているようです。

この島根県健康福祉部の調査では、県内の担当地区を持つ民生委員・児童委員からのアンケートで、県内に1040名の該当者がおり、40代が最も多く、50代、60代もかなりいます。
山形県子育て推進部が行った「困難を有する若者に関するアンケート調査報告書」では、若者の状況を調査してみたところ中高年層にかなりひきこもり状態またはそれに近い状態の方がいるとと示唆される結果が出て話題となりました。

(略)
40代~60代のひきこもり問題についての課題は、住宅や仕事、生活や自立などいろいろ取り沙汰されますが、現場主観として「実際に出会う」ことが大変難しいように思います。もちろん、クローズアップ現代などでも取り上げられた、全国的に有名なな秋田県藤里町社会福祉協議会の例はありますが、制度や仕組みとして広げるのは簡単ではないように思います。
(略)
これらを地域社会という漠然としたものではなく、また、育成し得ない人材の登場を待つのではなく、せめてどこでも運用可能な仕組みにするとすれば、高齢者福祉全般にかかる施策などを担当する基礎自治体の高齢福祉課(名称はこれに限りません)に「子育て相談支援」の枠組みを作るしかないと考えます。
子どもがいくつであろうと、親にとって子どものことは「子育て」であり、70代でも、80代でも少しでも何とかしたいという気持ちは、その他の年代と変わりません。だからまずは親や家族で何とかしようとするし、できる限り第三者に知られたくありません。本当に限界まで来ると第三者への相談を選択される方も、若者支援のなかでは少なくないのですが、予防的早期対応を含めて、気軽に相談をするとなると、日常生活で比較的接点を持ちやすい高齢福祉課の枠内で子育て支援がなされるのがもっとも話がしやすいのではないかと思います。
70代や80代にとっては、子どもの状態を把握して相談窓口を探すというのは難しいのではないでしょうか。周囲には話すことができず、ネットで調べられる方も多くないように思います。その意味で、子どもはいつでも子どもであり、子育てというキーワードをうまく活用していくことが直接的に情報が来るのではないでしょうか。
私が心配しているのは、子どものことについて悩んでおられる70代や80代の保護者世代には、周囲からの孤立や、身体の具合、認知の問題など、トラブルに巻き込まれやすいリスクがかなりあるのではないかということです。子どもを想う気持ちを利用されるようなリスクを負わせないためにも、行政の仕組みのなかで対応できる部分は早い段階でやっていくべきだと思います。

 

今まではたとえば大学生や20代の子どもを持つ親で、50代くらいの親でまだ現役世代だったわけですが、親の状況の高齢化から考えたのがこの記事。NSの相談でも、事態は全く変わらず時間だけが経ってしまっているという話は折々あります。ただ事態はむしろ年が経つ方が困難になる。その困難をどうひもとくかというのが今後の引きこもりの状態を考える上でカギとなっていくと思います。
そして、今回で、この引きこもり時事通信は終了いたします。皆様、今までお読みいただきありがとうございました!

2月の定例会(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

By , 2015年1月19日 10:00 AM

2月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)

2月21日(土) 14時から (192回定例会)

場所:高槻市総合市民交流センター(クロスパル高槻) 4階 第4会議室

当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。

参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら

※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。

【高槻市青少年センターと共催で行っています】

発達障害の「うそ」

By , 2015年1月19日 10:00 AM

読んでいただければ分かってもらえる話しだが、ここで発達障害そのものが存在しないと言いたいのではない。むしろ「障害」は日々形作られてしまっている。発達障害のあり方、その一般的な認識がおかしいのではないかと問いたい。発達障害を持たされている人が嘘を言っているのではなく、その専門家といわれる人たちはじめ周囲の人が発達障害の「うそ」をついていると。そもそも「障害」は誰が作るものなのか?近年出てきたこの発達障害という言葉は、そのことをまた考えさせてくれていると、皮肉な言い方もしてみる。
東大入学生の親の5割以上は年収950万以上
東京大学に入学する子どもを持つ親(平均40代後半?)の年収950万円以上の子どもの割合が、57%(2012年 東京大学学生委員会調査)とのことだ。これは今に始まったことではないが、高学歴な親がより高収入を得、その子に学習塾などお金のかかる教育を受けさせるからか、偏差値の高く学ぶには環境の良いだろう大学を受験する。その移行から落ちる子どももあるが、逆に上がっていくのは摂理に反することもあろうから、いろいろと無理を強いられる。日本の社会が豊かであり、機会は平等に与えられていると言っても、結果はお金を持つものが教育においても世代を超え優遇され続けられている。さらに近年大きく問題になってきたのは、少子化で下り坂な経済状況下において、この格差が縮まるどころか、それぞれが自らのよりよい生活や資産を守るためにもこのような格差こそが拡がり、世代を超えた移行はより強化される傾向にある。
ただ、多くの人は東京大学に行きたいのでもなく、上下が転覆するような革命を望んでいるのでもない。むしろ、身近にいる高学歴出身者に偉そうに言われながらもその背景を省みることははばかられ、東京大学に受かったようなわずかな人をたとえに挙げて、自らを鼓舞し現状まだ努力が足りないと少し上や、最近では現状維持くらいを目標にして頑張ることが美徳のようにされている。あるいは、そのような努力は無駄だと諦めてしまい、(いろんなことは無かったことにもできず、)引きこもる日常に生きている。誰が手にしても価値は変わらない「お金」の側に問題があるはずはないと疑うことも出来なければ増やすだけだと、買わなければ機会は与えられない宝くじを買い続けさせられる。格差(英語では不平等と訳されている)といわれる社会問題の核の部分は、個人の不断の努力ではいかんともしがたい、不毛な競争原理であり、富の集中、物質的な意味に留まらない貧困の再生産である。小中学校は義務教育なので関係ないというよりは、先生の努力もむなしく社会や大学の有り様に多大なる影響受け、いじめですら止められない現場に甘んじているという方が近い。そのような社会の影響をできるだけ受けないように、近年の学校は門を閉じる傾向にあるが、箱庭の中で起こる事なかれ、生モノであるはずの学校教育を行き詰らせ決定的にダメなものにしてしまってはいないだろうか。
「障害」というものが、私たちの社会の中で形作られている
このような見解には違いもあるだろうが、発達障害を語る上において(人のことを或る括りで語る場合はいつもだと思うが)以上のような社会的な背景や、実際の教育現場、あるいは家族の在り方などを具体的にも想像するのがいいだろう。発達障害といわれるようになった今からちょうど10年前の2004年12月(発達障害者支援法)、それは器質性の障害とされた。要するに脳機能の欠陥(過剰?)であり、治ることはなく個人が一生その与えられたハンディキャップを持って生きていくべき障害だというような規定をした。専門家による一般的で代表的なのは、素因(器質的)と環境因に分けたような解釈であろうが、糖尿病などを例に上げ、「同じように発達障害の大多数は、生物学的な素因を強く持っていることは明らかであるが、引き金となる環境状況によって増えるということは十分に起こりうる」(2011年、杉山登志郎、「発達障害の子どもたち:講談社現代新書」)というような考え方である。分かりやすいようにも思えるが、ここでも生物学的な素因を強く持っている事のほうが、その障害における重要な原因とされていて、例えば障害と言われなくとも多くの人がその素因をもっているかもしれない可能性などについては考えられてはいない。仮にも糖尿病を例に上げたのならば、現代の食生活などにおいて増加した環境因こそが問われ、改善すべき問題があると呼びかけるべきであるのに、改善の期待できない糖尿病になってしまった身体を治療しまた元の環境に戻そうというのに近い。特殊学級などで他者と関わりを持つことによって改善されたなどの報告も多いが、素因を強調するのであれば、普通学級に戻れば解決される話でもないはずだ。発達障害の、その「障害」というものが、私たちの社会の中で日々更新され、形作られているとなぜ考えられないだろうか。

生まれながらにして貧しい家庭というのは、昔は何とかしたければできる環境因とされただろうが、今は素因といってしまった方がよさそうで、その不平等こそ発達障害ではないが「障害」と言われるものに近くなってしまっているのではないか?発達障害の特徴としてよくあげられるのは、社会性の欠如、コミュニケーション能力の欠如、想像力の欠如などである。それがそのまんま、発達障害とされた個人に対する社会の側の対応と一致してはいないか。社会は発達障害者に対して一括りにしてしまうなど社会性を欠き、コミュニケーションする能力を欠き、その人がどのような場面を生きてきたかなどの想像力をも欠いている。大した発達もしなくなった現代の社会において、その周囲の人がどんな「障害」を個人に課してしまっているかということこそ、社会がまた発達するためにも改善すべきであるし、学ぶべきことであるだろう。

2015年1月15日 高橋 淳敏

11日鍋の会では石釜が登場(^^)

By , 2015年1月9日 12:29 PM

みなさま、あけましておめでとうございます。

今年もはじまりました。

2015年一回目の鍋の会は、石釜を使います。

11時から、昨年作ってピザを焼いた移動石釜のパーツを組み立てます。

石釜に興味のある方はぜひ見に来てください。

参加申込みは事務局までお問い合わせしてください。

オブスペのメンバーでトルティーヤ生地のピザを焼いたり、

私はリアルアンパンマンの顔を焼きたいと思っています。(おっきいあんぱんですね)

鍋は無いですが、あったかい汁物は用意しますので、こちらもお手伝いの方大歓迎です!!IMG_0716

どんな会になるのかわかりませんが、

お久しぶりの方も初めての方もご参加お待ちしています。

ニュースタートの移動石釜です⇒

 

 

 

1月の鍋の会

By , 2014年12月29日 10:00 AM

★1月の鍋の会★

第341回  1月11日(日)13時~17時 ※今年は去年作った移動石窯を使います。みなさんに焼きたい物を持って来て頂いて焼いてみましょう。

第342回  1月25日(日)13時~17時

今年始めの鍋の会は、石窯を使って、焼きたい物を焼いて食べようの会です。

焼き芋、ピザはもちろん、他にも焼けそうな物焼いてみましょう。

この石窯は、去年の11月に高槻のお祭りに出店したときにみんなで手作りしたものです。

お祭りではピザを焼いて出して、大盛況でした。

いつもとは少し違う雰囲気の鍋会になりそうですが、ぜひ、初めての方も久しぶりの方も気軽にお越しください。

参加申込みは事務所まで、電話かメールでお願いします。

詳細はこちら

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