10月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
10月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
場所:クロスパル高槻 5階 視聴覚室 ※いつもと階が違いますのでご注意ください。
当事者・保護者・支援者問わない相談、交流、学びの場です。
参加希望の方は事務局までお申込みください。詳細はこちら
※参加者は中部から西日本全域にわたります。遠方の方もご遠慮なく。
10月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
☆10月8日(日)おしかけ鍋の会
集まってからみんなで何鍋にするか考えて買い物に行って準備します。
初めての方も是非ご参加ください!
時間:12時~16時 第485回
場所:カフェコモンズ(JR摂津富田駅近く)
待ち合わせ:11時45分JR摂津富田駅改札口
参加費:カンパ制
参加資格:鍋会前か後に引きこもりを共に考える交流学習会に参加
※場所についてなど説明が必要ですので参加希望の方は必ず事務局までお申込み下さい。
問いをもち続ける
36名が殺された京都アニメーション放火事件から4年が経ち、先日初公判があった。自らも火傷を負い瀕死であった被告人を救った元主治医は「なぜこういうことが起きたのか、どうすれば防げるのかを社会全体で考えないといけない」と言う。被告人の名前を「さん」付けで呼ぶ遺族がいる。母親を殺された息子が、容疑者を恨むようになってほしくないとの理由だが、この父親であり元夫も「青葉さんが何でこんなことをやってしまったのか、みんなが目を向けて欲しい」と法廷の外へと訴える。裁判はいつものように被告人に責任能力があるかが争点となる。弁護側は「闇の人」という被告人の妄想による犯行で、責任能力はないと主張する。多くの命を奪った責任、その能力が今の被告人に不全なのは当然だが、弁護人や医者の妄想では収拾はつかない。責任能力を問われては、法定の中では、その有無しか弁護できないのだろうが悪手、事件の責任も被告人ごと闇に葬られてしまうのが常だ。元主治医や先の遺族は「なぜこんなことが起きたかについて」青葉被告を訴追しながら、今の社会で「誰しもが抱える心の闇」が、どのようにして一人個人が殺人や自暴自棄に至ったのかを追及している。同じようなことを再び起こさないために、そのためには青葉被告との協力も辞さない。「社会全体で考える」とはどのようにしてか。実は、追及されているのは私たち、社会ではないか。
もう何十年も前になるが、テレビのニュース番組の素人対談企画(そういった企画が現在はないので想像しずらくなった)で、たぶん学生だったと思うが若い人が「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と質問をして、いろいろと物議を醸したことを記憶している。その番組内だけではなく、質問の内容について、あるいはそういった質問が公然と出てきた状況について、のちにもいろんな場面で語られることがあった。マスメディア全盛の影響もあって、善悪や優劣という評価に留まらず、いろんな切り口の見解も出ていた。今のようにSNSで局所的刹那的な炎上で、傷つけた人と傷ついた人が焼けて、あとには何も残らないのではなかった。一定期間で、様々な意見とその余波や余韻があったように思うが、例えば作家の大江健三郎は朝日新聞の中で「この質問に問題がある」と言い「まともな子どもなら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ」と、この3年前にノーベル賞を取った時代を代表するの知性が、およそ感情的にしか応答できなかった。今だったらこの問いと共にSNSで炎上しそうなものだが、駄目なものは駄目なのだといったこの質問に対する感情は、ほとんど多くの人が共有していたように思う。そう「なぜ人を殺してはいけないのですか」という質問自体が、挑発的であった。そのような挑発に乗ってはいけないというのが、一つの落としどころでもあったように思う。
だけども、釈然としない感じは私の中や世間でも残っていた。そもそも、この素人対談が企画されたのは、酒鬼薔薇を名乗る中学生が起した神戸連続殺人事件が前提とされていた。人は殺されていて、殺した、しかも少年がいる事実があった。「なぜ人を殺してはいけないか」という答えようのない問いは、マスメディアなんかで拡散され多くの人がこの問いを抱くこと自体が、おかしなことなんだと思いたい感情はわかる。だけど、この問いや人がこの問いを抱くことは拡散されたし、大江をはじめ多くの人がマスメディアの性質を知らずにか、その拡散に貢献した。それを頭ごなしに、そのような問いを抱くこと自体がおかしなことだと言われても、大江がまさに言ったまっとうな子どもではなく、自分はおかしな子どもだったのかという思いが残ってしまうだろう。若い質問者は自己顕示欲も伴ってか、質問は挑発的だったが、日々起こっている家庭内での殺人だけでなく戦争や死刑、人が故意に人の命を奪うことが日常茶飯事に起きている事実を前提にしていただろう。問いを明確に内省的に「人はなぜ殺人をおこなうのか」にすれば、テレビ的ではないにしても、質問者の青年の問いに対して、空中戦ではなくもっと時間と余裕をもって応えていくことはできたのかもしれない。
治安が悪い話ではない。むしろ治安は良いとされていた社会である。自殺も殺人であると考えるまでもないが、毎日のようにすぐ近くでも殺人は起こっている社会である。生殺与奪の権が自分も含めた特定の個人に委ねられているという状況こそ、おかしなことである。だからこそ国家のような仕組みや器を用意しているつもりなのかもしれないが、歴史的に見ればそれこそひどいことで戦争や虐殺、死刑など殺人をとどめる仕組みになっているとは、到底言えたものではない。どんなに優れた仕組みであったにしても、むしろそれが優れた仕組みであればあるほど、生殺与奪の権がその仕組みに委ねられているということは、大きな矛盾を含むことになる。私たち一人一人の「命」は自分や家族や企業や国家も含めた何者にも委ねられるものではない。いや、私は「戦争を知らない子どもたち」がこの世に産み落とした生であった、国民である前に人として育てられてきた。だからこそこの命は地球という茫漠とした所属意識の他、どこにも所属しないという感情はぬぐえない。だけど、戦時中に生まれた人や、高度成長期に生まれてきた人は、人である前に国民としてあるいは労働者として、育てられ生きたのかもしれまい。「命」が国家や企業に所属する時代はたぶんあった。だが私は今でも人が人の命を奪う事実を知ることがあっても、なぜそんなことが起きるのかについては分からない。それこそ頭で分かるようなことではないとは思うが、この問いは手放してはいけないことと思っている。私はあのときテレビで質問した同じくらいの年頃だった彼が、他人であるとは思えなかった。「なぜ人を殺してはいけないのか」命を何かに委ねるということは、人が人を殺すことがあるということではなかったのか。物質的には豊かなった時代ではあったが、すでに青年たちは追い込まれていた。
2023年9月16日 髙橋淳敏
周年祭キャンプ
2023年9月17日(日)18日(月祝)雨天中止
CPAO10周年&ニュースタート事務局関西25周年
~めんどくさいことをみんなでやろう~
場所:「渦の宮」京丹波下山クラベシ56(JR下山駅徒歩30分)
参加費:カンパ3000円くらいあれば(食材費、その他経費)
持ち物:一日目昼食(各自)、鍋の具材になるものを一品持ってきてください。
連絡先:ニュースタート事務局関西(高橋)090-6050-3933 email:info@newstart-kansai.sakura.ne.jp
※参加される方は上記まで必ずご連絡ください。
周年祭スケジュール
9月17日(一日目)
13時~16時 現地到着 準備
持参したお昼ご飯を食べながら、オープニングアクト
「CPAO沖縄姉妹」「引きこもり宣言」
一日を過ごす場づくり(火おこし、テント張り、飾りつくりなど皆で暮らし方を考える)
16時~19時 持ち寄り鍋の会
鍋の準備をしながら乾杯(引き続き場作りをしたり、遊んだり)
夕食と自己紹介的なことも
19時~21時 野外映画上映と話し合い
「めんどくさいことを手放さない暮らし(下之坊修子監督)」上映
映画の感想とそれぞれの「暮らし」について話そう。
21時~22時 野外フェス
うた、おどり、ラップ、ポエムなど
22時以降 引きこもりサミット
引きこもり25年「ひきこもり」とはなんだったのか
9月18日(二日目)
7時~9時 朝ごはん
朝ごはん準備、食べて片付け。ピザ生地をこねる
9時~11時 ピザ生地発酵中
ポカンとする人、遊ぶ人、引きこもりサミットの続きをする人
11時~13時 昼食
石窯でピザを焼いて食べる
(他にもやりたいこと、スポーツ、打ち水?など、いろいろ)
最後は、みんなで片づけをして、掃除
15時ごろ 帰宅
※室内では、伝説のメディアアクティビスト「てれれ」(2003年~2013年)のセレクト(略セ)と特集をほぼ24時間上映します(17日15時2003年セ、18時04年セ、20時コンドーム特集、21時05年セ、22時06年セ、23時07年セ、24時コミュニケーション特集、18日6時08年セ、7時09年セ、8時食と○○特集、9時テレビ特集、10時10年セ、11時11年セ、12時12年セ、13時13年セ)
9月の定例会◆(不登校・引きこもり・ニートを考える会)
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